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2010年長崎UBF、マタイの福音書、その31 --> 問題紙

よみがえられたイエス

Messenger:MSN.David

御言葉:マタイの福音書 28章1節~20節
要 節:マタイの福音書、28章6節 「ここにはおられません。前から言っておられたように、よみがえられたからです。来て、納めてあった場所を見てごらんなさい。」

キリスト教はイエス・キリストの十字架と復活を土台にしているものです。しかし、私たちは十字架と復活をどれだけ大事に考えているのでしょうか。クリスチャンであっても十字架の事件や復活に対する確信がない人を指して、「砂の上に自分の家を建てた人」とたとえます。しかし、十字架の事件と復活に対する確信を持っている人を指して、「岩の上に自分の家を建てた人」と言います。この時間、私たちも復活のイエス様に出会いますよう祈ります。

1節をご覧ください。安息日が終わって、週の初めの日の明け方、マグダラのマリヤと、ほかのマリヤが墓を見に来ました。十字架につけられ死なれたイエス様は墓の中に葬られました。それから三日目になりました。この日、マグダラのマリヤと、ほかのマリヤがイエス様が納められた墓を見に来ました。マグダラのマリヤは過去、心配、恐れ、不安、絶望感、劣等感、虚無感、神経質的な性格にさいなまれていました。しかし、彼女はイエスさまと出会ってから、不思議な平安と喜びに包まれました。人生の心配も、恐れも、不安も彼女を苦しめることがありませんでした。むしろ、心が喜びに包まれました。何事も前向きに考える不思議な力が生じました。このイエス様が十字架につけられ死なれたとき、彼女は愛するイエス様を失った悲しみに包まれました。同じ気持ちにさいなまれていたほかのマリヤがイエス様の死体に油でも塗り、最後を告げようと提案した時、彼女たちは墓のところまで同行していました。

彼女たちが墓に来た時、大きな地震が起こりイエスの墓を閉じていた石がわきへころがしてありました。何とその石の上には天の御使いがすわっていました。その顔は、いなずまのように輝き、その衣は雪のように白いものでした。番兵たちは、御使いを見て恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになっていました。三日前イエス様は確かに死なれました。ローマの兵士達はイエス様のわき腹に槍を突き刺すことでイエス様が死んだことを確認していました。彼らがそうした時、水と血が一緒にあふれ出ました。人々はイエス様の死体を墓の中に納め、墓の入口には大きな石で封じていました。それに、宗教指導者達はローマ総督ピラトに頼んで墓の石に封印をし、番兵が墓の番をするようにしました。しかしこのような彼らの努力は無駄なことでした。闇が光に打ち勝つことができないように、イエス様を死の勢力により閉じ込めることができませんでした。イエスさまは死亡の力を打ち破り、死者の中からよみがえられたのでした。

恐れている女達に御使いは、さらに驚くべきことを知らせてくれました。5、6節をご覧ください。「御使いは女たちに言った。『恐れてはいけません。あなたがたが十字架につけられたイエスを捜しているのを、私は知っています。ここにはおられません。前から言っておられたように、よみがえられたからです。来て、納めてあった場所を見てごらんなさい。』」

女達は十字架につけられたイエス様を探していました。彼女たちの頭には十字架につけられ水と血を流しながら死なれたイエス様の姿が生々しく残っていました。このイエス様を考える女達の心情は悲しみでいっぱいでした。彼女たちはコリント人への手紙第一、15章19節で言っているように、すべての人の中で一番哀れな者でした。もし、信者が蘇りを信じないのなら、この世の中にあって一番哀れなものです。愛し続け、何の報いもないからです。

しかし、イエス様を納めてあった墓は空でした。御使いは女達に「ここにはおられません。」と言いました。そして「来て、納めてあった場所を見てご覧なさい。」と言いました。女達が直接イエス様を納めてあった墓の中を覗いて見ると、確かにイエス様はおられませんでした。その空の墓はイエス様がよみがえられた証拠でした。墓が空になったというのは、イエス様がよみがえられたか、誰かが死体を盗み出したかどちらかです。もし誰かが盗み出したとしたらイエス様の弟子達しかいませんが彼らはイエスが十字架につけられるとき、逃げ回っていました。

イエス様は前から言っておられたように、よみがえられました。イエス様は十字架につけられる前に何度もご自分の死と復活について言われました(16:21,17:23,20:19,26:32)。世の中に自分が死んで生き返ることを正確に言える人は誰もいません。しかし、イエス様はご自分がいつ、どうやって死なれるか、また、死んで三日目によみがえられることを正確に預言しました。イエス様はその預言どおりによみがえられました。また、イエス様の復活は旧約聖書にもすでに預言されています(詩篇16:8-10)。ですから、イエス様の復活について、マタイは、イエスが前から言っておられたように、蘇られたと、記録しています。イエスの十字架と風勝は偶然ではなく、聖書に従って起きた出来事なのです。このイエス様の復活が私達にどんな意味がありますか。

第一に、イエス様の十字架の死は聖書に記録されたように、私達の罪を贖うための死であったことを証明します。罪の代価は死です。イエス様は死者の中から三日目によみがえられたことによって、聖書で言っているように、ご自分の死が私達の罪を贖うための死であったことを証明しました。

第二に、イエス様は神の御子であり、約束されたメシヤであることを現わします。イエス様は死の力を打ち破り、死者の中からの復活により、大能によって公に神の御子として示されました(ローマ1:3,4)。イエス様の復活はイエス様が神の御子であり、約束されたメシヤであることを現わす出来事です。

第三に、私達もイエス様のように復活するという望みを与えてくださいました。アダムが罪を犯して後、死が人々を支配するようになりました。人は誰でも一度死ぬことが定まっています。誰もこの死の力に打ち勝つことができません。しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストによってすべての人が生かされるようになります(Iコリント15:22)。誰でもキリストを信じる者は滅びることなく、永遠のいのちを持つようになりました。イエス・キリストの復活を信じる者はパウロのように死に向かって、「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。」と叫ぶことができます。死の与える恐れから解放され生ける望みを持つようになります。どんな苦難や試練の中にあっても、押しつぶされることはありません。

7節を見ると、十字架につけられたイエス様を探していた彼女たちには悲しみがいっぱいでしたが、イエス様の復活の知らせを聞いた時には喜びでいっぱいになりました。また、弟子達はイエス様を捨てて逃げましたが、イエス様は変わらず彼らを愛し兄弟と呼んでくださいました。宗教指導者たちがイエス様の復活を隠すために、企みました。「『夜、私たちが眠っている間に、弟子たちがやって来て、イエスを盗んで行った。』と言うのだ。もし、このことが総督の耳にはいっても、私たちがうまく説得して、あなたがたには心配をかけないようにするから。」彼らは金をもらって、指図されたとおりにしました。しかしながら、墓の中にイエス様を納めて置くことができなかったように、いくらイエス様の復活を隠そうと企んでも隠すことができませんでした。

16節をご覧ください。十一人の弟子たちは、ガリラヤに行って、イエス様の指示された山に登りました。ガリラヤはイエス様の働きの中心地であり、弟子達にとって故郷でした。イエス様はここで弟子達との関係性を回復し、彼らに使命を与えてくださいました。

18-20節を一緒に読ませていただきます。「イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。『わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。』」この御言葉はマタイの福音書の結論であり、イエス様の至上命令です。

イエス様は天においても、地においても、いっさいの権威を与えられていると言われました。死の力を打ち破りよみがえられたイエス様は全宇宙の権威者です。この権威を持ってイエス様は弟子達に「それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。」と命じられました。それはなぜでしょうか。その権威に包まれるためです。その権威に所属するためです。その権威に恵まれるためです。私たちがその権威に包まれないのなら、その権威に所属しないのなら、私たちは別の権威に所属します。別の権威に包まれます。それは恐れの権威であり、心配と敗北感、虚無感の権威です。しかし、私たちが死の権威を打ち勝ったイエス様の権威に包まれる時、女たちのように喜びに包まれます。弟子たちのように、その権威を背にし、大胆にあらゆる国に出て行く人々となります。更には父と子と聖霊により、バプテスマを授ける人となります。

結論、イエス様はよみがえられました。イエス様の復活は私達の復活を保証してくれる人類最大の出来事です。私達が復活のイエス様に出会い、復活信仰の上に堅く立ち、揺れることなく復活の証人となることができるように祈ります。よみがえられた主が世の終わりまで、いつも、私達とともにいてくださることを信じます。


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Last-modified: 2020-12-26 (土) 22:07:23