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*** パウロとピリピ((アレック・モティア、ピリピ人への手紙講解、IVF出版会(IVP) of Korea、2008)) [#p3e5e989]
私たちはどのような目的を持って人生を生きていくべきなのか。教会の真実や本質は何だろうか。教会で教える信仰とは何であり、私たちはどのようにすればこの信仰を持ち続けることができるのか。イエス・キリストはどんな方であり、私たちに何を約束しているのか。人生の中で困った時に、イエス・キリストは私たちにどんな存在なのか。イエス・キリストから受ける有益は何であり、その有益で十分なのか。パウロはこれらを集約して、ピリピの人々に短い手紙を書いています。これがピリピ人への手紙です。

ピリピとパウロの関係は、独特な出会いからスタートします。ピリピを訪問したのはパウロが第2次伝道旅行の時でした。バルナバと別れて、独自の旅行を組んでいました。しかし、計画通りに行きませんでした。特に、使徒の働き16章の6節からの内容からして、パウロは困難にぶつかっていました。アジヤで御言葉を語ることが御霊によって禁じられていたとあります。この言葉をどう解釈するかは別として、パウロの計画が壁にぶつかったことを指します。パウロは必死でしたが、ムシヤに面したところで諦めざるをえませんでした。聖書は「イエスの御霊がそれをお許しにならなかった」と記録しています。その後、ある夜、パウロは幻を見ます。「マケドニヤに渡ってきて、私たちを助けてください」との懇願の幻でした。パウロだけが見たこの幻、パウロは夜通しで、祈っていたことが分かります。パウロは悲しい時、苦しい時、壁にぶつかっている時、絶望感にさいなまれているとき、失敗と敗北感に苦しめられている時、間違ってはいないかと心配していた時、祈りました。そして、パウロは第2次伝道旅行を始めた当初の人間的な意志や決断を捨てました。そして、幻に沿って旅行計画を修正しました。これからのミッションは神様が先頭に立ち、パウロは忍耐する形となったのです。このようにしてパウロが到着したマケドニアの最初の訪問地、ピリピと関係するようになったのでした。

ピリピはヨーロッパーに初めての教会が立った歴史的な町となりました。教会は祈りをしたところから誕生しましたし、パウロの意思や計画を捨てたところから始まりました。そこで伝えられたメッセージは「イエス・キリストを信じれば救われる」ことでした。

*** ピリピという町と人々 [#t351812a]


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