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序論

ピリピ人への手紙

私たちはどのような目的を持って人生を生きていくべきなのか。教会の真実や本質は何だろうか。教会で教える信仰とは何であり、私たちはどのようにすればこの信仰を持ち続けることができるのか。イエス・キリストはどんな方であり、私たちに何を約束しているのか。人生の中で困った時に、イエス・キリストは私たちにどんな存在なのか。イエス・キリストから受ける有益は何であり、その有益で十分なのか。パウロはこれらを集約して、ピリピの人々に短い手紙を書いています。これがピリピ人への手紙です。

パウロとピリピ*1

ピリピとパウロの関係は、独特な出会いによります。第2次宣教旅行は計画段階からトラブルばかりでした。バルナバと別れて、独自の旅行を組んでいました。パウロは独自の旅行で困難にぶつかっていました*2。そのパウロが、ある夜、幻を見ます。「マケドニヤに渡ってきて、私たちを助けてください」との懇願の幻でした。パウロは悲しい時、苦しい時、壁にぶつかっている時、絶望感にさいなまれているとき、失敗と敗北感に苦しめられている時、間違ってはいないかと心配していた時、祈りました。そして、パウロは第2次伝道旅行を始めた当初の計画を捨てました。そして、幻に沿って旅行計画を修正しました。パウロのミッションは神様が先頭に立ち、パウロがついて行き、忍耐する形となったのです。このようにしてパウロが到着したマケドニアの最初の訪問地がピリピです。

ピリピという町と人々

ピリピはローマの縮小版とも言われます。ピリピにはローマの特権が付与されました。ピリピのコインにはラテン語が書かれていました。ピリピはローマ帝国の優秀な制度や優れた政策により作られた町でした。神様はこのピリピにパウロを招きました。パウロはそこで、監獄の看守、紫布の商人・ルデヤに出会いました。パウロとシラスは数名の女性の集まりの中にいました。ピリピに教会が誕生しました。神様が行われた御業でした。

神様が看守を信仰に導くためには、神様の力を彼らに見せつけることで十分です。堂々とした神の存在と生き生きとした事実を伝えることです。しかし、ピリピで神様はそのしもべたちが祈りの場所さえままならない環境に押入れ、商売する女たちの助けを求める中、ルデヤに出会わせました。パウロとシラスを鞭打ち、監獄に入れられ、看守との出会いを作らせました。その方法よりももっとも良い方法があるのではないかと思いがちですが、神様の方法は違ったのです。神様は私たちが最も良い方法とは全く別の方法で、ご自分の形で、ご自分の計画通り、物事を進められます。このようにして、ピリピに教会が誕生したのです。

ピリピ人への手紙の主題

ピリピ人への手紙の主題は三つあります。一つは教会が一つになること、もう一つは教会に与えられる迫害の真相、三つ目が主・イエス・キリストの再臨です。それを一つにまとめるとすれば「主・イエス・キリストの人格」です。十字架に苦しめられ死なれたイエス様、現在、私たちと共にしている方、将来来られる方です。パウロはピリピの人々の個々の人格の中に、キリストが現れることを願い、この手紙を書いています。キリストの中で、その愛の中で、一つとなり、この世にキリストの人としてメッセージを残し、この世の中での旅が終わった時には最高の保障を受け取る、そのような人になることを願い、ピリピの人々がそのような人として選ばれたことを喜んでいます。これがキリストの豊かさであり、その民の喜びのもと・主・イエス・キリストです。

パウロが歩いた道*3

パウロが歩いた道はローマ時代、ローマ帝国が立てた道路標識(マイル・ストーン)のあるローマ属国圏内にスッポリ入るのです。当時の地図(4世紀、ポイティンガ図)を見ると、エルサレムを見つけ出すのは至難の業であります。ローマの植民地の一地方都市の小さな町にすぎません。パウロが歩いた道は、当時の歴史の主役であったローマ帝国の国益、戦略上の都合により敷かれた道だったのです。新約聖書のパウロが歩いた道を、このような観点から見つめることは現実感覚を持たせます。神様はこのような中で御業に仕えているのです。

聖書を見続けるとエルサレム、ユダヤ人が巨大化されますが、現実は全くそうではなかったのです。ローマ帝国のふるまう力の中、信者の姿は微々たるものであり、神様の強引な歴史の引っ張り合いもなかったのです。ローマ帝国時代、力と刀が横暴していた時代の、人々は信仰の自由を求めて言葉の不便、生活の不便を甘受しながらも、異国の地に逃げて生活をするしかなかったのです。パウロやバルナバはこのような異国の地で信仰のともしびを守っていた人々のための聖書先生だったのです。しかし、このような時代においてもパウロの信仰の大きさに驚かされます。それは一体、どこからの感覚であり、概念であり、哲学なのだろうか。パウロはピリピの人々にこれらの感覚、概念、哲学をピリピ人への手紙を持って伝授しようとしたのです。


*1 アレック・モティア、ピリピ人への手紙講解、IVF出版会(IVP) of Korea、2008
*2 使徒の働き16章の6節から、アジヤで御言葉を語ることが御霊によって禁じられていたとあります。
*3 原口貞吉、パウロの歩いた道、日本基督教団出版局、1996.

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Last-modified: 2020-12-26 (土) 22:07:23