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2009年長崎UBF Ten Step 5thメッセージ --> 問題紙

ほんとうの成功とは

Messenger:MSN.David

御言葉:ヨハネの福音書3:1-16
要節:ヨハネの福音書3:6「肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。」

先週までわたしたちは創世記の勉強を通してすべての始まりについて学びました。この世は神様によってじまり、エデンも神様によって作られました。美しさも、称賛も、賛美も神様により造られました。しかし、この世には誘惑者サタンによって罪が始まりました。しかしながら、神様によって罪からの救いが始まりました。今日は救い主・イエス様と当時の知識人、ニコデモとの対話です。今日の御言葉を通して、救いの知恵について学びますように祈ります。

1節の御言葉をご覧ください。「パリサイ人の中にニコデモという人がいました。ユダヤ人の指導者でした。」パリサイ人と言えば、区別された人という意味で、特別な集団でした。彼らは誰よりも神様を愛していました。神様を愛する集団として、当時、サドカイ人と区別され、大きな神殿を中心として神様に仕えていたサドカイ人たちとは異なり、パリサイ人たちはバイブルハウスとも言える会堂で聖書勉強と宣教をしていました。彼らはユダヤ人が集まるどころはどこにも、会堂をを設け、そこで週2回ほどの聖書勉強をしましたし、安息日には午前中と午後、二回の礼拝をささげていました。祈りをもってはじまる彼らの礼拝は礼拝を主導する人が決まっておらず、その都度、指名を受けた人々によって聖書を朗読し、言葉の内容を説明する説教があり、最後には祈りと賛美をもって、礼拝を終えていました。イエス様も、パウロも、バルナバも、このような中で言葉を読み、言葉の解説をする礼拝の主導者となっていました。

エルサレムの神殿が破壊されたAD76年以降、神殿を中心として神様に仕えていたサドカイ人たちは勢力を失いましたが、パリサイ人たちは会堂を中心に、依然として人々に福音を述べ伝える御業に仕えていました。彼らの中にはパウロの師である、ガマリエルが生まれており、彼らの教えはミシュナーとしてまとめられ、最終的には現在の旧約聖書が整理されるまでに彼らの活動は強いものでした。彼らの特徴は聖書勉強に熱心で、それを教えるところに使命感を持ち、会堂を中心として熱心に宣教をする集団として、ユダヤ人から強い信頼を受けていました。彼はユダヤ人の指導者でもありました。それはサンヘドリンと呼ばれるユダヤ人の生活を指導する政治的な組織のメンバーであったことを意味します。今の国会議員のような立場にいる人でした。

これを見ると、ニコデモはバイブルハウスを中心に熱心に聖書を勉強する人で、モーセの律法を学び、生活の中にモーセの律法を適用する熱心な信者でした。週2回の聖書勉強に励みましたし、安息日には礼拝をささげる熱心なクリスチャンでした。2節をご覧ください。この人が、夜、イエスのもとにやって来ました。そして言いました。「先生。私たちは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神がともにおられるのでなければ、あなたがなさるこのようなしるしは、だれも行なうことができません。」この話を聞いてみると、ニコデモは会堂で行われていたイエス様のバイブルスターディに参加していたようです。そして、イエス様のことについて誰よりもよく知っている人であったことが推察できます。ニコデモは民に親しまれ、尊敬され、民の生活を指導する人でした。ユダヤ人として重んじる信仰心の強い人で、かつ、人々を指導する立場に立つ成功した人でした。しかし、彼が、夜、イエス様のもとにやってきました。昼間、多くの人々が一緒に参加する聖書勉強会とは違って、暗い夜、イエス様に訪ねてきました。そして、神様から来られた教師・イエス様からしるしを求めていました。しるしの話を持ちかけました。成功したニコデモには、なぜか、神様から来られた教師からのしるしが必要でした。神のもとから来られた人からのしるしがなければ、夜のような彼らの心の問題を解決することができませんでした。

このようなニコデモにイエス様は何と答えられましたか。3節をご覧ください。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」しるしに関心を寄せているニコデモにイエス様は「新生」を語られました。新しく生まれることについて語られました。しるしに関心があるニコデモに、新しく生まれることに関心を持つよう、勧められました。神様のもとから来られた教師に関心があるニコデモに、新しく生まれること、そのものに関心を持つように言われました。神の国を見ることに関心を寄せるよう、コメントされました。教師について、しるしについては分かっていましたが、ニコデモは新しく生まれることについては初耳でした。4節をご覧ください。ニコデモは言いました。「人は、老年になっていて、どのようにして生まれることができるのですか。もう一度、母の胎にはいって生まれることができましょうか。」

ニコデモはパリサイびとでした。使徒の働き23章8節を見ると、パリサイびとは復活も天使や霊の存在も信じていました。しかしながら、パリサイびとニコデモは、新しく生まれることには無知でした。これを見ると、ニコデモは知識としての信仰人ではありましたが、新しく生まれることを知らない人でした。頭では分かっていても、それが自分とは結びつきませんでした。私が新しく生まれるとは、母の胎内に入る以外に、ないと考えました。

では人が新しく生まれるとは何を意味しますか。人が新しく生まれなければどうなりますか。新しく生まれてない人はアダムの罪の本性を受け継いで生まれたので自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした(エペソ2:1-3)。生きている間にも神様ののろいの下にあるだけではなく、死後には神様の審判を避けることができません。人々は死んだらそれで終わりだと思っています。しかし、聖書は「人間には一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」と言っています。このさばきは1、2年監獄の生活するようなものではなく、火と硫黄の燃える池の中で永遠に苦しむことです。これを第二の死と言います。このように新しく生まれなかった受けるようになる結果は致命的です。ですから、永遠の破滅から救われて永遠の幸福を享受するためには必ず新しく生まれなければなりません。人がこの世のすべてを手に入れたとしてもそのたましいが永遠の破滅に処せられているなら、それは本当に不幸なことです。しかし、この世ではすべてを失い、自分のいのちまで失ったとしてもそのたましいが救われて神の国にはいるようになるならそれほど祝福はありません。

ではどのようにして新しく生まれることができるでしょうか

イエス様がニコデモに新しく生まれなければならないと言われるとニコデモはトンチンカンな答えをしました。「人は、老年になっていて、どのようにして生まれることができるのですか。もう一度、母の胎にはいって生まれることができましょうか。」彼はイスラエルの最高の知識人でしたが、霊的な世界においては一番基本的な新生の真理さえ理解できませんでした。それは彼が肉に属していたからです。人は霊的に新しく生まれてなければ、たとえ神学博士だとしても霊的な世界を理解することができません。彼は新しく生まれることを生物学的に解析しながらイエス様の御言葉を受け入れませんでした。そこで、イエス様はもう少し詳しく説明されました。5節をご覧ください。「イエスは答えられた。『まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国にはいることができません。』」とあります。イエス様が「水と御霊によって」と言われたのは何を意味するのでしょうか。とくに「水」は何を表わしているのでしょうか。これについては、いろいろな解釈があります。ある人は、水は肉体の誕生を意味し、それだけでは不十分で、御霊による新しい誕生がなければ神の国に入れないのだと解釈します。また、水は水のバプテスマを指し、御霊は御霊のバプテスマを指すと解する人もいます。しかしながら聖書では、水はまた「御言葉」を表してもいます。「キリストがそうされたのは(十字架上の死)、みことばにより、水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものとするためであり(エペソ5:26)」と教えられています。ですから、ここでは、御言葉と御霊による新生について教えていると解することができます。御霊はいつも御言葉とともに働くからです。私たちが私たちの罪を真実に悔い改め、神様の御言葉を堅くつかむ時、聖霊が御言葉を通して力強く働いて新しく造られた者にしてくださいます。新しく生まれるみわざは私たち人間の力によってできる領域ではなく、全く聖霊に属している働きなのです。では聖霊の働きとはどのようなことでしょうか。イエス様はニコデモ風をたとえにして聖霊の働きを分かりやすく説明してくださいました。御霊と風は原語ギリシア語では同じくプネウマですが、イエス様が言われた時は言語的なニュアンスがあります。8節をご覧ください。「風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くかを知らない。御霊によって生まれる者もみな、そのとおりです。」とあります。風は思いのままに吹きます。どこでもいつでも吹きますし、吹き方もいろいろです。その強さもいろいろです。そよ風もあるし、台風、嵐、突風などもあります。台風は私の目には見えないから台風なんか信じないという人はいないでしょう。私たちの目には見えませんが風が思いのまま吹いていることは確かなことです。このように聖霊もご自分の思いのまま主権的に働いておられます。時にはそよ風のように静かに働かれますが、時には台風のように強く劇的に働くのでその変化がはっきり見えます。私たちは風がどこから来てどこへ行かを知らないように聖霊の働きも科学的に分析することができず、理論的に説明することができませんが、新しく生まれた人の言葉づかいや行動、生活に現れた結果を通して聖霊の働きを認識することができます。たとえば、過去イエス様に悪口を言い、イエス様を信じる者を迫害していた人が聖霊が彼のうちに働かれるといくらかたくなな人であったとしても自分の罪を悔い改めます。そして、イエス様をキリストとして告白し、変えられて主のために献身する者になります。また、運命的で暗い人生を過ごしていた人が明るくて輝かしい摂理の人生を過ごすようになります。新しく生まれた人は人生観と価値観が完全に変わります。

3:5 イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国にはいることができません。 3:6 肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。 3:7 あなたがたは新しく生まれなければならない、とわたしが言ったことを不思議に思ってはなりません。 3:8 風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くかを知らない。御霊によって生まれる者もみな、そのとおりです。」 3:9 ニコデモは答えて言った。「どうして、そのようなことがありうるのでしょう。」 3:10 イエスは答えて言われた。「あなたはイスラエルの教師でありながら、こういうことがわからないのですか。 3:11 まことに、まことに、あなたに告げます。わたしたちは、知っていることを話し、見たことをあかししているのに、あなたがたは、わたしたちのあかしを受け入れません。 3:12 あなたがたは、わたしが地上のことを話したとき、信じないくらいなら、天上のことを話したとて、どうして信じるでしょう。 3:13 だれも天に上った者はいません。しかし天から下った者はいます。すなわち人の子です。 3:14 モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子もまた上げられなければなりません。 3:15 それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。」 3:16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。


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Last-modified: 2020-12-26 (土) 22:07:23