Counter: 955, today: 1, yesterday: 0

2011年長崎UBF、創世記勉強、その2 --> 問題紙

人間、神のかたち

Messenger:MSN.David

御言葉:創世記 1章26節~2章3節
要 節:創世記 1章27節「神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。」

人間はどんな存在なのか、については数多くの人々が熟慮し、哲学の対象としてきました。多くの人々が「人は…、人間は…」と色んな定義をしたり、お話をしたりしています。人間はどんな存在なのか、私たちは真剣に考えれば考えるほど、その奥深さに圧倒されるばかりです。聖書はその理解に苦しむ人間について、どのように定義しているのでしょうか。世界のベストセラーバイブルが定義する人間、そのものについてこの時間、学びたいと思います。

第一に、人間は神に似るように、神のかたちに創られた存在であることです。

26節をご覧ください。神は仰せられました。「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。そして彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配させよう。」と。英語のNIV聖書を見ると、「Let's make man in our image, in our likeness」となっています。神様のイメージに、似るように創ろう、としていたのです。これを見ると、人間は神様のイメージ、神様に似た点があることを意味します。神様はどんなイメージ、どんなお姿を持っているのでしょうか。

エペソ4章24節を見ると、人間は「真理に基づく義と聖をもって神にかたどり造り出された」とあります。人間には神によって創りだされた、正義、そして清潔な姿が好きです。好みます。神に似ているからです。また、ヨハネ第一、4章7-8節を見ると、「愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。」とあります。人間には愛する時の幸せに、感動以上の喜びがあります。一人を愛する時の喜びは愛して見て初めて分かるもので、これは神様から頂いた、神様の属性です。また、ペテロの手紙第一1章15-16節を見ると、神様は聖なる方です。また私たちにも神様に似ている存在であるがために、聖でなければいけないと要求しています。私たちは聖なる姿を保つことのできる、そのような特別な存在として創られたのです。私たちには他の動物と一緒に六日目に創られ、動物の属性を持っていますが、神様に似るように創られたがために、聖なる姿に到達することのできる特別な存在なのです。私たちの心の中にはこの姿へのあこがれがあるのです。到達できなくて絶望したり、落胆したりしながらも、聖なる姿への夢があります。そして、人間には伝道書の3章11節で教えているように、永遠への希望と夢があります。死ぬことへの希望はないのですが、永遠に生きる夢とそれを実現するためのかぎりない願いが埋められています。それも、神様が永遠の方であるがためです。私たちは動物的な属性を持ちながらも、神に似るように、神のかたちに創られた、特別な存在なのです。

7節をご覧ください。「神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。」とあります。私たち人間は正義と清潔を好み、動物的な愛ではなくご自分の息子を十字架に捨てるほどの愛を人間に示した愛を受け継いでいるのです。私たちは神の愛を持って、人を愛することができますし、その愛を持って、人のいのちを救うこともできるように創られたのです。私たちは永遠のいのちを望み、熱望する存在であり、神様のような聖なる姿を受け継いだ存在なのです。しかし、私たち人間は男と女に創られ、神様とは違った、また、別の特別な存在としての領域も受け継いでいるのです。詩篇記者はこの美しい人間の素顔について次のように歌っています。「人とは、何者なのでしょう。あなたがこれを心に留められるとは。人の子とは、何者なのでしょう。あなたがこれを顧みられるとは。あなたは、人を、神よりいくらか劣るものとし、これに栄光と誉れの冠をかぶらせました。あなたの御手の多くのわざを人に治めさせ、万物を彼の足の下に置かれました。すべて、羊も牛も、また、野の獣も、8:8 空の鳥、海の魚、海路を通うものも。」人間、神に似るように、神のかたちに創られましたことを、感謝します。私たちが常に、動物的でもありますが、人間は神様に似るように創られた、神様のかたちを身にまとっている特別な存在であることを、自分に言い聞かせながら生きることができますように祈ります。

第二に、人間は祝福として、生める、支配する、食べる喜びを与えてくださいました。

28節から30節までの御言葉を見ると、神は祝福し、人間が生めることを、地を満たし、地を従えることを、また、神の創造物を支配することを、喜びの一つとして与え、喜びを持ってこれらに当たることができるような環境を整えてくださいました。同じく、食べることも喜びを持って当たることができるようにしてくださいました。生めること、支配すること、食べることは神様の祝福により得られた、人間の属性です。

第三に、人間は非常によかった存在として創られたことです。

31節の御言葉を見ると、神は六日目、お造りになったすべてのものをご覧になり、次のように感想を述べられました。「見よ。それは非常によかった。」「it was very good」これは神様がおつくりになられた創造物はそれぞれが美しいだけでなく、すべてがお互いに調和し、お互いに協力し合い、お互いに必要とする部分を担うことができるような、実に完璧に創られたのです。植物は異酸化炭素を吸い取り、酸素を吐き出しますが、動物や人間はこれらの酸素を吸い、植物に必要とする異酸化炭素を吐き出して生きているのです。お花はそれ自体では花咲くことができないンどエスが、ハチや蝶々さんのように、美しいお花を訪問しながら、そのおいしい鉢を吸い取りながら、花が咲かれる働きをしているのです。何と美しく、ご立派な調和でしょう。神様がおつくりになった様子と姿は実にvery good です。it was very good、見よ、それは非常によかった。

また、この感想は最後に創られた人間にも当てはまる感想です。神様は今まで、創られたものに対して「よし」と、ご感想を述べられました。しかし、最後に人間が造られてからは、it was very good、それは非常によかった、と所感を発表しているのです。人間は神様からしてみれば、あまりにも完璧な、神様のお姿に非常に似ている、美しい姿をしていたのです。人間は神様の前に立つと、その人の外観や能力、業績やキャリアとは関係なく、まったく、創られた姿そのままで、it was very goodの存在なのです。このように、人間が神様の前で自分を発見する時、主は言われます。it was very good、見よ、それは非常によかった。私たちが人前で、団体や友人の前で、また自分の前で、自分を見つめるとその差が激しくなります。高慢になったり悲しくなります。特に、できの悪い人は劣等感にさいなまれます。優秀な人はとんでもない高慢な姿になります。人は誰でも自分の弱さや罪人の姿のため絶望しているのです。しかし、神様の前に立つ時、神様の前で自分を発見する時、私たちはit was very goodという神様の声を聞きます。そして、その声を聞く人は生かされます。この世で生かされるだけではありません。その人には永遠のいのちが保障されるのです。

最後に、人間は安息日を持つことにより祝福されました。

2章1節から3節を見てください。こうして、天と地とそのすべての万象が完成されました。神は、第七日目に、なさっていたわざの完成を告げられました。神はその第七日目を祝福されました。そして、この日を聖であるとされました。その日に、神はなさっていたすべての創造のわざを休まれました。出エジプト記20章10節を見ると、「第七日目に、あなたはどんな仕事もしてはならない。・・あなたも、あなたの息子、娘、それにあなたの男奴隷や女奴隷、家畜、また、あなたの町囲みの中にいる在留異国人も。・・」と命じられました。それは第七日目には創造の神様、私たちの人生を守られる神様、現在も、私たちの人生に働く神様を、見つめる日であると宣言されたのです。人生に、第七日目を持っている種族はだれですか。クリスチャンであり、信者さんです。第七日目がお休みをし、休憩をし、遊びをし、飲んで遊ぶ日ではなく、第七日目は創造のわざをなさった神様、今でも私たちの人生の関与し、創造の御業をなさる神様、私たちを励まし、感動をしている神様を見上げる日なのです。その神様を賛美する日なのです。

第七日目を持っている私たちはどんなに幸せでしょうか。創造主神様を神として崇め、その中で休み、神様を賛美し、その中で許され、その中で力づけられるのです。私たちが安息日に、神様と深い交わりを持って、魂の喜びと充実感を味わうことができますよう、祈ります。


トップ   編集 凍結 差分 バックアップ 添付 複製 名前変更 リロード   新規 一覧 検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS
Last-modified: 2020-12-26 (土) 22:07:23