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2011年長崎UBF、ヨハネの福音書、その3 --> 問題紙

新しい誕生

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御言葉:ヨハネの福音書 3章1節~15節
要 節:ヨハネの福音書 3章3節 「イエスは答えて言われた。『まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。』」

いのちの本性は常に新しい誕生があることです。新しい誕生がなくなるとき、私たちは死に直面します。日本の高齢者の死亡の原因のトップは癌であると報告されていますが、「癌」とは新しいいのちの誕生を拒む勢力が存在する構造を指します。新しい命が誕生するためには常に、死んでくれる構造がなければいけないのです。ガンは死なない細胞の塊であり、このような癌が日本人の死亡の原因菌となっているのです。しかし、これは日本だけの事情ではなく、世界中の人類におかされた現実なのです。死んでくれる細胞の構造が働かなくなった時、私たちはもはや、これ以上新しい誕生は望めないのです。

今日のメッセージのタイトルは「新しい誕生」です。結論からいえば、新しい誕生を迎えるためには死ぬ構造を作り上げるべきです。これがいのちの秘密であり、結論なのです。

今日の御言葉に出ている主人公「ニコデモ」はパリサイ人で、ユダヤ人の指導者であったと紹介しています。パリサイ人とは宗教的な環境や厳しい訓練を受けた人物であることであり、ユダヤ人の指導者であるとは、人間的にも優れた人物であることを指します。パリサイ人とはユダヤ人の中でもユダヤ人であり、宗教者の中でもユダヤ人を代表とする宗教者です。ユダヤ人の指導者とはサンヘドリンの議員を指しており、国を動かし、国家プロジェクトを手掛ける人物として選ばれた人々を指します。ニコデモはユダヤ人の中でもユダヤ人であり、時代の人物として、時代の流れをキャッチし、動かす、時代のヒストリメーカー、時代の指導者だったのです。

その彼が田舎の伝道者であったイエスのところに、夜、訪ねてきたのです。2節をご覧ください。「この人が、夜、イエスのもとに来て言った。『先生。私たちは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神がともにおられるのでなければ、あなたがなさるこのようなしるしは、だれも行なうことができません。』」時代の指導者で、宗教家であったニコデモからして、イエスさまは「神のもとから来られた教師」でした。イエスさまが行うしるしは神様を示す奇跡でしたし、神様を否めることのできない証拠、そのものでした。ニコデモはイエスさまのことを、神様を証しするために来られた教師であると判断しました。

イエスさまはこのようなニコデモに何とお答えになりましたでしょうか。3節をご覧ください。「イエスは答えて言われた。『まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。』」まことに、まことに、と二回繰り返して「まことに」という言葉を使っています。イエスさまはニコデモに、まことのお話を切実に伝えていることが分かります。イエスさまが、彼に切実なお話を伝えたかった内容が何でしょうか。それは、新しく生まれることと、神の国を見ることでした。イエスさまは有望なニコデモが新しく生まれ、神の国を見る人物になってくれることを切に願っていました。神の国を見る人物になるために、新しく生まれることを願っていました。新しく生まれなければ、神の国を見ることができないからでした。

ニコデモはイエス様のお話をどのように理解していますか。4節をご覧ください。「ニコデモは言った。『人は、老年になっていて、どのようにして生まれることができるのですか。もう一度、母の胎にはいって生まれることができましょうか。』」ニコデモは神の国を見るために、もう一度、母の胎に入って生まれるのか、と質問しました。新しく生まれることを、肉的に判断していました。新しく生まれることを、子どもが胎内から生まれることとして理解していました。それで、ニコデモは「神の国を見るために、もう一度母の胎にはいって生まれるのでしょうか。」と質問しました。イエスは彼の質問に答えられました。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国にはいることができません。肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。あなたがたは新しく生まれなければならない、とわたしが言ったことを不思議に思ってはなりません。風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くかを知らない。御霊によって生まれる者もみな、そのとおりです。」

イエスさまは神の国を見るためには御霊によって生まれなければいけない、と教えられました。母の胎内に入って、生まれることではなく、御霊によって生まれなければ、新しく生まれることはできないといわれました。具体的にいえば、「水と御霊によって生まれなければ、新しく生まれることはない」と教えられました。そして、その新しく生まれることを不思議に思ってはいけないと警告されました。

人々は母の胎内から生まれることは不思議に思いません。しかし、水と御霊によって生まれることについては不思議に思ったりします。いやむしろ、否定します。そんなことはない、と。しかし、不思議に思ってはいけないンどエス。水と御霊によって生まれなければ、人は神の国を体験できないのです。それでは、水と御霊によって生まれるとは何を意味しますか。水と御霊とは悔い改めと神様の働きによって生まれることを指します。人生の過ちや罪の勢力からの心の改めが水であれば、そのような心の改めを祝して、実現してくれることが御霊であります。水だけでは新しく生まれることはできないのです。御霊が働いてくれないと新しい生まれはないのです。同じように、御霊だけで新しく生まれることはないのです。水が先であり、改めが必要だからです。悔い改めがあるところに神様の働きが存在するのです。そのような水と御霊によって生まれること、これが「新しく生まれる者の形」です。

信仰の世界は、新しく生まれを体験する世界です。信仰の世界は新しく生まれた者たちの集まりです。ですから、信者とは水が必要であり、神様の働きがある特別な存在なのです。水がない信者はなく、神様の働きの無い信者がないように、信者の集まりには悔い改めと聖霊の働きが存在するのです。逆にいえば、信者の心には常に、悔い改めの心が求められており、神様はそのような心の上に働く子をと喜んでおられるのです。

9節をご覧ください。「ニコデモは答えて言った。『どうして、そのようなことがありうるのでしょう。』」ニコデモはまだ、そのような世界を経験してませんでした。いやむしろ、ニコデモはそのような世界を否定していました。イエスは彼に応えて言われました。10節、「あなたはイスラエルの教師でありながら、こういうことがわからないのですか。まことに、まことに、あなたに告げます。わたしたちは、知っていることを話し、見たことをあかししているのに、あなたがたは、わたしたちのあかしを受け入れません。あなたがたは、わたしが地上のことを話したとき、信じないくらいなら、天上のことを話したとて、どうして信じるでしょう。だれも天に上った者はいません。しかし天から下った者はいます。すなわち人の子です。モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子もまた上げられなければなりません。それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。」


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Last-modified: 2020-12-26 (土) 22:07:23