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2011年長崎UBF、ヨハネの福音書、その21 --> 問題紙

真理の御霊が来ると

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御言葉:ヨハネの福音書 16章1節~33節
要 節:ヨハネの福音書 16章13節 「しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます。御霊は自分から語るのではなく、聞くままを話し、また、やがて起ころうとしていることをあなたがたに示すからです。」

真理の御霊とは何でしょうか。加賀乙彦さんが書いた本の中に「悪魔のささやき」というものがあります。加賀さんはその本の中に、悪魔が存在することを説得力ある文筆で記録しています。日本の知性とされている彼が説明する悪魔の存在は非常に説得力があります。彼が見てきた犯罪者や死刑囚、精神疾患の患者さんの命をないがしろにし、自殺を促し、お互いに殺し合う様子が彼が証言する悪魔の正体です。悪魔は人々の命を狙います。

今日の御言葉の著者「ヨハネ」は悪魔とは正反対の真理の御霊について記録しています。そして真理の御霊の役割や働きを、イエス・キリストのお言葉を借りて説明しています。悪魔がはっきりと存在し、人々の命を狙っているように、そのように、真理の御霊が存在し、人々に命と喜びを与えてくださいます。やがて起ころうとしていることを示してくれます。今日の御言葉を通して、真理の御霊について理解を深めることができますように祈ります。

イエスは弟子たちにやがて起ころうとしていることをお話していました。それは彼らがつまずくことがないためでした。弟子たちはやがて、会堂から追放されます。彼らを殺しますが、神様を信頼し、愛する人々を殺しながらも、彼らは神に奉仕しているのだと思います。それは彼らが神様について知らない、イエス・キリストについて知らないからです。彼らが神様を知り、イエス・キリストの役割を知っているのなら殺しはしなかったことでしょう。しかし、彼らは神様を知っていたのですが、知らなかったのです。イエスに出会い、知っていたのですが、イエスを知らなかったのです。私たちが自分の色眼鏡を脱ぐ努力をしなければ、イエスさまも、神様もその姿を理解することはできないのです。やがて、そのようになると私たちは神を愛しているとしても、神の者たちを殺す側に立つのです。自分の色眼鏡を脱ぐとは、自分の過ちを認めることであり、悔い改めることであり、素直になることです。

イエスは天から来て神に戻ろうとしています。彼らはどこに行くのか、その国について尋ねるべきでした。しかし、だれ一人、尋ねる者はいませんでした。いやむしろ、彼らは悲しみに包まれました。イエスがいなくなると言っているからでした。愛する師匠、イエスさまがどこかに行かれると、頼りになるイエスさまがいなくなることへの悲しみが込みあがったからでした。彼らの気持ちはわかるものです。イエスも彼らの悲しみが理解できたのです。それでイエスは彼らに説明を加えています。彼らが質問することができないものを理解して、先に、説明をされたのです。

7節「わたしは真実を言います。わたしが去って行くことは、あなたがたにとって益なのです。それは、もしわたしが去って行かなければ、助け主があなたがたのところに来ないからです。しかし、もし行けば、わたしは助け主をあなたがたのところに遣わします。」ここで助け主はカウンセラーです。カウンセラーとは私たちを助ける存在です。私たちの味方になって、私たちが困らないようにコメントを出してくれる方です。イエスさまが十字架につけられたのは弟子たちにとって悲しみですが、弟子たちにとって益なのです。カウンセラーが約束されているからです。イエス様の苦しみと悲しみ、十字架の死はカウンセラーの約束でもあるのです。イエス様の十字架のお陰で、私たちは常に隣で助ける助け主、カウンセラーが派遣されたのです。

それでは、カウンセラーは私たちの味方であるとはどんな意味でしょうか。そのお方の役割は何でしょうか。8節をご覧ください。「その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを認めさせます。」カウンセラー、私たちの見方は、私たちのために罪について、義について、裁きについて教えて下さるのです。罪についてというのは、イエス・キリストによる信仰が罪と直結していることを、義についてとは、イエス・キリストの従順と十字架の死を、さばきについてとは、イエス・キリストの十字架の死と復活によって、この世を支配する者がさばかれたことを教えるのです。カウンセラーは私たちを真理に導くのです。ですから、カウンセラーのことを指して、イエスさまは「真理の御霊、Spirit of Truth」と称しています。私たちに真理を悟らせ、罪を悟らせ、裁きについての警告を知らせてくださるのです。真理の御霊は正しさについて知らせ、私たちの正しくない姿を指摘してくださるのです。カウンセラーは私たちの味方ですが、それは真理の御霊としての見方であって、正しくはわたしたちを浄化させる働きをするのです。私たちを真理に近づかせる働きをするのです。真理の見方が来ると、私たちを真理に導きいれるのです。真理に導きいれるとは私たちを真理に近づかせることを指します。私たちを真理に近づかせるとは、私たちの罪深い姿が変わることを意味し、罪深い私たちの姿が変わるとは自分を捨て、自分の十字架を負うことを指します。神に近づくことであり、真理に近づくことを指します。

私たちはカウンセラー、味方、御霊、聖霊、という言葉を耳にする時、どうしても自己中心的に考えやすいです。私の見方になって、私の都合を理解して、私に有利に働いてくださる方がカウンセラーであり聖霊であり、真理の御霊であると考えます。しかし、聖書は言っています。真理の御霊が来ると、私たちをすべての真理に導きいれると、真理に導いて、そこに合わせて入れる、のです。私たちの勝手で自己中心的な罪の本性に真理が曲がってくるのではなく、真理に導きいれてくれるのです。真理の御霊来ると悔い改め、涙が出て、告白するのです。真理の御霊が来ると罪を指摘し、裁きを警告し、義を示してくださいます。その御霊は自分から語るのではありません。聞くままを話します。神様のお話を伝えるのです。神様の願いを伝えるのです。ですから、真理の御霊なのです。真理の御霊が来ると、私たちはみな、変えられます。そして、真理に近づくのです。

もう一つ、13節を見ると真理の御霊はやがて起ころうとしていることをあなたがたに示す、としています。真理の御霊はやがて起ころうとしていることを知らせるのです。真理の御霊が来ると、弟子たちは預言者になるのです。真理の御霊が来ると、予知するのです。だれも、予知をする人はいません。人間は一秒、一時間の先のことを読んでいません。読む力を持っていません。しかし、真理の御霊が来ると、人はやがて起ころうとしていることを見るようになります。預言者となります。


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Last-modified: 2020-12-26 (土) 22:07:23