2010年日本UBF新年御言葉第2講 メッセージ --> 問題紙

借りた家で

MSG of Thomas Kang of Mishima Center of Japan --> 借りた家で

Messanger : MSN Caleb.K.

御言葉:使徒の働き 28:1-31
要 節:使徒の働き 28:30-31「こうしてパウロは満二年の間、自費で借りた家に住み、たずねて来る人たちをみな迎えて、大胆に、少しも妨げられることなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた。」

新年、あけましておめでとうございます。今年は寅年です。私達が猫の額のような狭い心を捨てて、虎のような信仰の勇士となるように祈ります。使途パウロはまるで、虎のような信仰の勇士でした。彼は決して人間条件が優れた人ではありませんでした。しかし、彼は当時の超強大国であったローマを福音化する原動力となりました。2010年の新しい年を迎えた私達が、今日の御言葉を通してパウロの信仰と情熱を学び、勝利の第一歩を歩き出すことができますように祈ります。

1節の御言葉をご覧ください。「こうして救われてから、私たちは、ここがマルタと呼ばれる島であることを知った。」パウロ一行はついにマルタと呼ばれる島に到着しました。27章には、パウロ一行がこの島に上陸した経緯が説明されています。パウロはユダヤ人達の妬みのよって囚人となり、他の囚人たちと一緒に船でイタリヤへ移送されることが決まりました。その船には276名が乗っていました。出発の時、パウロの姿はみすぼらしい囚人の一人にすぎませんでした。今回の航海は延期した方が良いと提言した彼の言葉は無視されました。しかし、航海の途中突風に遭い、緊迫した状況になるとパウロへの大愚が変わりました。パウロはリーダとなり、百人隊長も彼の言うことを聞くようになりました。パウロは緊急時に、彼らの牧者になっていました。27章33―35節を見ると、次のようにあります。「ついに夜の明けかけたころ、パウロは、一同に食事をとることを勧めて、こう言った。『あなたがたは待ちに待って、きょうまで何も食べずに過ごして、十四日になります。ですから、私はあなたがたに、食事をとることを勧めます。これであなたがたは助かることになるのです。あなたがたの頭から髪一筋も失われることはありません。』」こう言って彼はパンを取り、一同の前で神様に感謝をささげてから、食べはじめました。すっかり夜が明けて、陸地が見え始めましたが、それが何という島か全く分かりませんでした。しかし、入り江が目に留ったので、船をその入り江に入れて砂浜に上陸しようとしました。しかし、突然、船の船首がめり込んで動かなくなり、船尾の方は激しい波にたたかれて壊れはじめました。その時、兵士たちはこのどさくさの中で囚人たちが逃げるのを恐れて彼らを殺してしまおうと相談しました。彼らは囚人たちを殺すことによって仕事の責任を果たそうとしました。彼らの計画通りにすると、パウロの命も奪われることになります。しかし、百人隊長はパウロを助けるために、彼らの計画をやめさせました。そして、泳げる者がまず海に飛び込んで陸地に上がるように、それから残りの者は、板切れや、船にある物につかまって行くように命じました。こうして、パウロの言ったとおり、彼らはみな、無事に陸地に上がりました。もし、パウロが同船していなかったら、他の囚人たちは命を奪われたはずです。しかし、パウロのローマ行きを実現させようとする神様の特別なご計画のゆえに、全員奇跡的に上陸に成功することができました。

彼らが上陸した所は、「マルタと呼ばれる島」でした。幸いなことにこの島の人々は、寒さに震えている彼らのために火をたいて皆をもてなしてくれました。その燃え盛る火によってパウロたちの体は温まり、助かったという安心感でほっとしていました。ところが、熱気のために、ゆっくり眠っていたまむしが我慢できず、はい出して来てパウロの手に取りつきました。迷信深い島の人々はパウロの手から下がっているまむしを見て、「この人はきっと人殺しだ。海からは逃れたが、正義の女神はこの人を生かしてはおかないのだ」と互いに語り合いました。そして、もうすぐ悲鳴をあげてパウロが倒れるだろうと思っていました。しかし、パウロがその生き物を火の中に振り落として何の害も受けませんでした。5分経過しても10分経過してもパウロの身には何の変化も現れませんでした。パウロが火に落としたまむしが焼き蛇になっていくのを見ながらパウロが急死するのを待っていた彼らは、今度は態度も一変して、「この人は神様だ」と言い出しました。神様は危険の中からも使命のあるパウロを守ってくださったのです。それから、島の首長でポプリオという人の領地がありましたが、彼はそこにパウロ一行を招待して、3日間手厚くもてなしてくれました。たまたまポプリオの父が、熱病と下痢とで床に着いていたとき、パウロは彼のために祈って治してやりました。この島でもパウロは牧者として主の栄光を現しました。

パウロたちは、この島に三ヶ月とどまりました。ようやく冬も去って航海を再開してナポリ湾のポテオリに入港しました。ポテオリはローマの港です。パウロはついに、当時世界の首都であり、不滅の都市と言われたローマの入り口に立ったのです。パウロの心はドキドキわくわくしていました。

それではどのようにして福音がローマに宣べ伝えられて行きましたか。16節をご覧ください。「私たちがローマに入ると、パウロは番兵付きで自分だけの家に住むことが許された。」番兵付きでしたが、パウロは自分だけの家に住むことが許されました。おそらく、総督フェストもパウロに有利な証言をしたと思われるし、船中でパウロがどんなに大きな貢献をしたかについて百人隊長から報告されたとも考えられます。いずれにしても主の福音のために信仰によって生きているパウロを主が保護し、ベストの道に導いておられることがわかります。パウロはローマに着いてから3日後にユダヤ人のおもだった人たちを呼び集めて自分がローマに来るようになったいきさつを説明しました。特に彼が強調したのは、「私はイスラエルの望みのためにこの鎖につながれているのです。」ということです。鎖につながるとは自慢することではありません。恥ずかしく思いがちです。しかし、パウロはイスラエルの望みのために鎖につながれていることを光栄に思いました。イスラエルの望みはイエス・キリストです。彼はイエス・キリストと福音のために、鎖の使徒になったことを誇りにしていました。そして、彼はローマのユダヤ人たちに朝から晩まで福音を語り続けました。その説教の中心は第一に神の国についてであり、第二は旧約聖書に基づいてイエス様が救い主であることを証しすることでした。ところが、ユダヤ人たちはパウロの期待とは違って心の門を開きませんでした。ある人々は福音を信じましたが、大部分の人々は信じようとしませんでした。パウロはイザヤ預言者の預言の御言葉をもってはっきりとユダヤ人たちに言いました。「この民のところに行って、告げよ。あなたがたは、確かに聞きはするが、決して悟らない。確かに見てはいるが、決してわからない。この民の心は鈍くなり、その耳は遠く、その目はつぶっているからである。それは、彼らがその目で見、その耳で聞き、その心で悟って、立ち返り、わたしにいやされることのないためである。ですから、承知しておいてください。神のこの救いは、異邦人に送られました。彼らは、耳を傾けるでしょう。」パウロはイスラエルの民がその福音を受け入れようとしないことで心を痛めましたが、異邦人を救おうとされる神様の望みを新たに受け入れて異邦人宣教の方向をつかみました。こうして神様の救いの計画はイスラエルから異邦人へとその流れが変わるようになります。  それでは、パウロはどのように福音のみわざに仕えましたか。30、31節をご一緒に読んでみましょう。「こうしてパウロは満二年の間、自費で借りた家に住み、たずねて来る人たちをみな迎えて、大胆に、少しも妨げられることなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた。」パウロは満二年の間自費で借りた家に住みました。この借りた家は自費で借りた家ですが、それでも番兵付きの監獄でした。決して福音を伝えるのに良い環境とは言えません。しかし、パウロはそこでたずねて来る人たちをみな迎えて、大胆に少しも妨げられることなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えました。パウロがあれほど切に願っていたローマ宣教は、このようにして実現しました。しかも、「少しも妨げられることなく」伝道できることは、パウロにとって奇蹟としか言いようのない快挙であったに違いありません。振り返ってみれば、ユダヤでの伝道にしてもアジアやヨーロッパでの伝道にしても、妨害のなかったことはなく戦いの連続でした。しかし、今世界にその文化と軍事力を誇るローマ帝国の真ん中でしかも囚人の身でありながら自由に伝道できる環境が作られたのです。

私たちはパウロの借りた家でのみわざを通して二つのことを学ぶことができます。第一に、外的な状況にはばからず、妨げられることない福音の僕の姿勢です。パウロは番兵付きの囚人の身分でした。羊の自宅を自由に訪問したり、勝手に旅をしたりすることもできません。しかし、彼はこのような状況に対してつぶやいたり、不平不満を言ったりしませんでした。彼は与えられた状況の中で、自分ができることに最善を尽くして福音を伝えました。パウロのそばにはいつも番兵が付いていました。たまに、皇帝の親衛隊の隊長が訪問することもありました。あるときは、先に釈放された元囚人がパウロに会いにきました。パウロの噂を聞いて彼の顔を見にくる人々もいました。色んな理由で、様々な人々がパウロの家を訪ねて来ました。パウロは彼らを一人も断らず、喜んで迎えました。そして彼らに福音を伝え祈りました。そうした時、彼の体は縛られていましたが、福音は少しもはばかれることなく、ローマの全地域に広がっていきました。福音はお金や権力などの外的な条件よりも忠実な信仰の人を通して伝えられるものです。ですから、福音のみわざにおいて最も大切なのは環境ではなく、福音を伝える人の信仰と姿勢です。パウロは、この二年の獄中生活の中で「エペソ人への手紙」「コロサイ人への手紙」「ピリピ人への手紙」「ピレモンへの手紙」を書き、開拓した教会を、祈りを持って仕えました。

第二に、神様が喜ばれる福音のみわざの方法です。パウロはローマ征服という大きなビジョンを持っていました。しかし、彼がローマに行って実際に行なったのは、借りた家で聖書勉強を約束して聖書勉強に励んだことです。それは彼が見た夢とビジョンに比べればとてもちっぽけな働きでした。しかし、使徒パウロが借りた家で仕えた1:1のみわざは一番大きく偉大な福音のみわざでした。全人類を救うための神様の御わざも信仰の人アブラハム一人を召されることによって始められました。イエス様も12弟子を育てられ、その中でもペテロ一人を信仰の人として立てられました。世界宣教は一人の救いから始まります。一人を救い、育てる1:1弟子養成の方法は神様の方法です。私達の教会もサラベリー宣教師と李サムエル宣教師が始めた1:1聖書勉強から成長したものです。パウロが借りた家で始めた1:1のみわざはAD313年にローマをキリスト教の国に変え、そこから世界に広がるようになりました。長崎センター一人の信仰のアウラハムとサラが立てられますように祈ります。彼らを通して長崎大学の3%の学生たちが牧者となり世界宣教の御わざに尊く用いられますように祈ります。

囚人の身分でありながら借りた家で、尋ねてくる人々に福音を伝えるパウロをみながら私は自分の軍隊生活を思い出しました。私は大学4年間の牧者生活を終えて入隊しました。自分の思い通りに行動することができないという面においては、軍隊も牢屋と共通する部分があります。普通は高校卒業の直後か、大学2年生頃に休学してから入隊する場合は多いですが、少し遅めに入隊しており、不安だらけの軍隊生活が始まりました。しかし、私は軍隊生活を通して、どこにもおられ、いつも見守ってくださる神様を体験しました。忙しかった大学4年間を終えて、単純な社会である軍隊で精神的な休みを得ながら周りの人に福音を伝えることができました。軍隊では24時間体制で、担当区域に対して2ずつ交代で見張りをするのが大事な日課の一つです。毎日変わるパートナーに自分の人生に訪れた神様の事を証し、宗教活動が許される日曜日は兵士たちを教会に引率する役割を任せられました。決して自由な環境ではありませんでしたが、これまでとは違った神様の恵みを頂くことができました。私はパウロの心を少し理解することができました。厳しい環境であるほど、その中で得られる大切な信仰と純粋な心、切なる祈りは格別なものであることが分かりました。しかし、私は最近、当時の切なる心、どんな状況でも自分が出会った神様の事を伝えることに情熱を失っていることに気づかされました。主の御わざや兄弟姉妹たちの事より、自分の将来や生活のことで多くの心と時間を割り当てていました。もう少し環境がよければ、もう少し安定的な状況に変われば、いまより良くなると期待する心がありました。しかし、パウロの信仰を通して、私の信仰のなさ、自己中心的な罪の本性を悟りました。私が2010年は初心に戻り、救いの恵みを覚えて積極的に神様に感謝する生活を送ります。環境や状況を見ずに、現在の状況について感謝し、主のために自分でできることを積極的に探して仕えることに力を入れます。先週は韓国の家族のために祈りながら、人が神様を信じること、一人が救われることが、どれだけ大切なことで、なによりも優先されるべきことなのかについてしみじみと感じることができました。3月までは東京での生活になりますが、私がその場所で実を結び主の栄光を表すことができるように祈ります。バイスカラン君の良い牧者として、また新しい羊に出会うチャンスが得られますように祈ります。

結論です。パウロは58歳の年で鎖につながれている囚人でした。しかし、パウロは自分が置かれた状況を言い訳にせず、イエス様から頂いた恵みと使命を覚え、情熱に燃えていました。「私はイスラエルの望みのために、この鎖につながれているのです。」と告白しました。また、借りた家で訪れてくる人々に聖書を教え続けました。その結果、立派な信仰のリーダが生まれ、ローマ宣教、世界宣教に貢献することができました。2010年新年、私達もパウロのように救いの恵みに満ち溢れ、情熱的に主を愛し、自分がいる場所で、自分の身近な人に聖書を教えることができますように祈ります。状況や環境を言い訳にせず、祈りを持って、主の前で自分ができることに最善を尽くすことができますように祈ります。使途の働きは終わりがなく今も続いていると言われています。私たち一人一人がパウロのような福音精神と信仰の持ってこの時代、使徒の働きのみわざに主役として用いられますように祈ります。

ハレルヤ

トップ   編集 凍結 差分 バックアップ 添付 複製 名前変更 リロード   新規 一覧 検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS
Last-modified: 2020-12-26 (土) 22:07:23