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2010年長崎UBF、マタイの福音書、その15 --> 問題紙

安息日の主であるイエス様

Messenger:MSN.David

御言葉:マタイの福音書 13章1節~58節
要 節:マタイの福音書、13章23節 「ところが、良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いてそれを悟る人のことで、その人はほんとうに実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結びます。」

私たちは人間は生きている間、何かしらの人生の実を結びたいという願いがあります。良い結果を残すことは人生の喜びでもあり、満足感が得られます。何かしら頑張って、結果が得られた時の喜びと幸せを、毎日、毎瞬間、毎年のように満喫したいものです。昨日、私の次男のサッカーは負けましたが、やはり負けた時の悲しみは大きいものです。できるだけこのような気持ちは持ち続きたくないものです。勝った時の喜びと心のわくわく感と、満たれる幸せにより人生を飾りたいのです。

今日の聖書の言葉はそのような、人生の実を、100倍、60倍、少なくとも30倍は結ぶことのできる秘訣を教えています。人生の実を結ぶ秘訣がなんでしょうか。今日の御言葉を通して、人生を通じて実を結ぶ秘訣を学びたいと思います。

1節をご覧ください。あの日、イエスは家を出て、湖のほとりにすわっておられました。すると、大ぜいの群衆がみもとに集まったので、イエスは舟に移って腰をおろされました。群衆が多くて、彼らにいっぺんに、また効果的にお話をする環境を作られました。海から陸に上がるその風にのっとり、イエスの言葉は海から浜に立っていた人々の耳に伝えられました。イエスは多くのことを、彼らに話して聞かされましたた。その内容はたとえ話でした。その内容を調べてみましょう。

3節をご覧ください。「種を蒔く人が種蒔きに出かけました。種まく農夫のたとえです。農夫が種を蒔いているとき、道ばたに落ちた種がありました。つるつるした道端でしたので、鳥が来て食べてしまいました。実を結ぶことのできる秘訣をもったせっかくの種でしたが、鳥のえさになってしまいました。また、別の種が土の薄い岩地に落ちました。岩の上に積もった土は深くなかったので、すぐに芽を出しましたが、日が上ると、ちょっとした分量の水分が無くなり、強い日照りに焼けてしまいました。しかも、ある種は日照りには何とかしのいできたのですが、岩地の薄い土に根がないために、つまり水分を吸い取ることができなかったがために、枯れてしまいました。7節をご覧ください。また、別の種はいばらの中に落ちました。いばらとは旺盛な生命力をもって成長を続ける癌細胞のように、周りの実る樹木や茎の生命力を脅かす存在です。ある種がこのいばらの中に落ちると、当然のことながら、いばらが伸びて、ふさいでしまいました。種は力を発揮することがなく、日に日にしぼみ、死んでしまいました。実ることがありませんでした。以上、三種類の種を説明しました。種は同じですが、種が落とされた畑の違いにより、実ることができない状況を説明しています。それでは、実る種はどんな畑に落ちた種ですか。

8節をご覧ください。別の種は良い地に落ちました。すると、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結びました。良い地に落とされた種は、少なくとも30倍、多ければ100倍の実を結びました。良い地とは良く耕され、岩が少なく、湿度が保たれた、種が入り、根を張ることのできる環境を備えた土です。島原のグリーンロードを車で走ってみると、日照りが強く、厳しい暑さの中でも、スプリンクラーで常に水分が供給され、きれいに耕された土から、無数の芽を出している畑を見ることができますが、まさしく、良い地のことを意味しているものです。土はその地方ごと、色が若干違うものですが、きれいに耕され、水分が保たれ、種が根を下ろすことのできる環境を備えた土を、良い地と言えます。このような地に落ちた種は、30倍、60倍、100倍の実を結ぶのです。

10節を見ると、この話を聞いていた弟子たちが近寄って来て、イエスに言いました。「なぜ、彼らにたとえでお話しになったのですか。」「分からないでしょう」と疑問符をつけていたのです。すると、イエスは「あなたがたには、天の御国の奥義を知ることが許されているが、彼らには許されていません。というのは、持っている者はさらに与えられて豊かになり、持たない者は持っているものまでも取り上げられてしまうからです。わたしが彼らにたとえで話すのは、彼らは見てはいるが見ず、聞いてはいるが聞かず、また、悟ることもしないからです。」

たとえはそのお話の趣旨を深く考えてみる必要があります。イエスさまがたとえでお話をしているのは、見ている人に、聞いている人に、また悟る人に神様の御言葉を与えたいと強く願っているからです。誰でいいから御言葉を与えたいということより、その意味を探ろうとする人に、実る神様の御言葉が有効に働かれるように配慮されたのです。神様の御言葉は種のように、その人生の畑に必ず実る種となるからです。神様の御言葉は人々の人生の畑の上で、あるものは30倍、あるものは60倍、ある者は100倍の実を結ぶのです。

聖書のことばを聞いても悟らないと、悪い者が来て、その人の心に蒔かれたものを奪って行きます。道ばたに蒔かれるとは、このような人のことです。つまり、聖書の言葉の意味を探り、その深い意味を悟ろうとしなければ、その種は鳥が来て食べてしまいます。また岩地に蒔かれるとは、みことばを聞くと、すぐに喜んで受け入れる人のことです。しかし、自分のうちに根がないため、しばらくの間そうするだけで、みことばのために困難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまいます。御言葉の意味がわかって喜ぶだけでは実ることができないことを説明しています。根を張る作業が必要です。「自分のうちに根がないため」と言っているのは、自分の人生の中で体験的に、御言葉を体験したことがないため、という意味です。御言葉を聞いて、喜びがある言葉を、一年間持ち続け、その御言葉が結ぶ実を、人生の中で体験する時、私たちは良い地をもつ人生を耕すのです。22節では、いばらの中に蒔かれる種について説明しています。このような人はみことばを聞くが、この世の心づかいと富の惑わしとがみことばをふさぐため、実を結ばない人のことです。ことばは良い気がしますが、それを認めてしまうと、現在の私がだめになりそうな心配やまどわしが来る人です。そのような人は人生の実を結ぶことができません。

ところが、良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いてそれを悟る人のことです。人生をもってその言葉を体験する人です。一年間、二年間、あるいは10年間、一つの言葉をつかみ取り、そのつかんだ言葉が結んでくれる人生の実を体験的に保つことです。体験的に学ぶ人です。23節を見ると、「その人はほんとうに実を結びます。」とイエスさまは確信しています。あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結ぶと断言しています。23節を一緒に読んでみましょう。「ところが、良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いてそれを悟る人のことで、その人はほんとうに実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結びます。」

聖書の言葉は力があります。聖書の言葉は種に似ています。落ちると必ず実が結びます。私たちは誰でも人生を通して、実る人生を生きたいと願っています。その秘訣を今日の御言葉は教えています。それは御言葉を悟ることです。そして、人生をもって体験することです。その時に、人生の実を結ぶものです。

私の人生は考えてみれば、みことばの体験場でした。大学3年生の時に、アブラハムへの神様の招待の声を、自分への招待と受け止めたつかんだ時、わたしはアブラハムのような人生を憧れる人となりました。神様からダビデ将軍、ダビデ王の洗礼名を頂くことができました。マルコの福音書のことば11章22節「神を信じなさい」という言葉をつかみ取り、10年間過ごしたときに、わたしはあこがれであった人生の実を結びました。安定した職場を得ました。また、10年間、ルカの福音書5章4節「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい。」ということばにまみれた人生でした。見えない数多くの人生の経験をし、数多くの魚を手にする10年でした。今年、私は新しい10年を迎えるようになりました。神様はヨハネ17章4節の御言葉をくださいました。「あなたがわたしに行なわせるためにお与えになったわざを、わたしは成し遂げて、地上であなたの栄光を現わしました。」

私は真剣にこの言葉が与える意味を悟るべきです。そして、またの10年の人生をもって根を張るべきです。神様はその実を予定しています。わくわくするものです。少なくとも30倍、多ければ100倍の人生の実を予定しています。神様が私に行わせるためにおあたえになったわざを真剣に考える10年になるべきです。どのようにすればそれを成し遂げることができるのかを、考えて、工夫して、知恵を絞って、神様が与えになったわざを成し遂げるべきです。地上で神様の栄光を現すことを考える10年になるべきです。またの10年を楽しみにしています。


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Last-modified: 2020-12-26 (土) 22:07:23