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2008年九州地区聖誕礼拝、賛美歌125章 --> 勉強資料 問題紙

この上もない喜びのクリスマス

御言葉:マタイ2章1-11

要節:マタイ2章2節「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。」

Merry Christmas!!

皆様の人生にイエス・キリストの誕生の御喜びが永遠に至るまで続きますように祈ります。
この時間、イエス・キリストの誕生の物語を、マタイがお伝えした福音書を元に学び、クリスマスの真の意味を吟味する時間になれることを願い、祈ります。毎年12月が近付くと世界中のムードがクリスマスムードに一転します。不思議なことです。今年は経済的にも世界的な不況が続く中、暗いニュースが続きますが、しかしながら、これらのニュースの途中にも、依然としてクリスマスは人々の気持ちを盛り上げますし、あちこちで明るいニュースを作り上げています。老若男女を問わずわくわくしながらクリスマスの日を迎えています。不思議なことです。神様からのニュースだからです。

マタイはこれらの神様からのニュースを一冊のパピルスの束に記録して残しています。実は、クリスマスの不思議の始まりはこの記録によるものです。その内容が何でしょうか。

2:1をご覧ください。「イエスが、ヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東方の博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。」とあります。ヘロデの時代とはローマの時代をさします。「ローマの物語」がかなり売れているようですが、そのローマの時代に、ユダヤのベツレヘムという村にイエス・キリストがお生まれになられたのです。マタイが注目したのはそのとき、東方の博士たちがエルサレムからやってきたことです。マタイは「見よ」、Behold!と記録しています。東方の博士たち、英語ではMagiと記録されていますが、Magicを語源とする不思議を作り出す人物たち、栄誉ある人々、まさしく博士たちが東の国から国賓としてエルサレムにやってきたのです。ユダヤ地方の国中が彼らを迎えていたのです。ユダヤ地方のヘロデ王も彼らをお迎えして、会談をし、わざわざエルサレムにやってきた理由をお聞きしたのです。彼らはヘロデとの話の中に、こういったのです。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。」

東方の博士たちは拝むために、ユダヤの首都・エルサレムにやってきたのです。東方の博士たちは星を研究する人たちでした。星を研究するとは天文学を指し、当時としては最先端の学問でした。彼らは時代を予測しましたし、明日の動きを今にわかるまさしくMagicianでした。その彼らにはひとつの願いがありました。拝む対象を探すことです。拝むとは「からだをかがめておじきをする」ことを意味します。人々の間にはマジックを作る博士たちが、拝みの対象でした。彼らはすごい存在でした。しかし、この東方の博士たちにはまことの拝む対象がありました。それはユダヤ人の王としてお生まれになった方でした。

私は大学生になったとき昼寝を楽しむのんびり屋さんでしたが、本を読むと人が賢くなると思って、いろんな本をつまみ食いしていましたが、ある大学の哲学を教える先生の本に惚れてしまいました。私は、あの先生が書かれた本を読むのにとどまることができず、手紙を出して、あなたの好きな本を教えてほしい、と聞いていました。数日たってからか、その先生から思いもよらない直筆のお手紙が届いたいのです。私は体をふるえながらその手紙を読んだことを覚えています。私の期待は膨らんでいました。それもそのはず、私の尊敬する先生からの推薦される本ですから、心がわくわくしていました。お手紙には様々な哲学書がきっしりと書かれてありました。しかし、書かれて教えてくれた本はすべて、ユダヤ人の王としてお生まれになった方に関するものでした。つまり、イエス・キリストについて書かれた本だらけでした。私が聖書を読むようになったのはそのためでした。

東方の博士たちはマジックを作り上げる、最先端の科学者たちでした。彼らは今から言えば、ノーベル賞受賞者を超える知識と知恵に満ち溢れていました。彼らは星の動きに対する知識が増え、不思議な自然現象がわかればわかるほど、確実になってくるものがありました。人間はだれでも拝む対象が必要であること、また、その方によってすべての自然や世界が支配され、すべてが動かされていることを、また、すべてのものにはこの方の原理が働き、その方が関与されないところはどこにも存在しないという、確信でした。彼らはある星を見て、人生をかけて旅を計画しました。それは拝む対象を探す旅でした。彼らはユダヤの首都エルサレムに来て、ユダヤの王・ヘロデに尋ねました。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。」

この博士たちのお話を聞いたヘロデ王は恐れ戸惑いました。「ユダヤの王は私なのにどこにヘロデの王が生まれたのだ。」エルサレム中の人も王と同様でした。いったいこれはどんなお話なのか、東方の博士たちの話は彼らを動揺させるのに十分な値打ちがありました。ユダヤの王とは、キリストを意味することだということを、東方の博士たちから教えてもらったヘロデ王は動き出しました。民の祭司長たち、学者たちをみな集めて、キリストはどこで生まれるのかと問いただした。王の命令に祭司たち、学者たちが諮問会を開き動き出しました。彼らは聖書を調べつくしたうえ王に提言をし、言いました。「ユダヤのベツレヘムです。預言者によってこう書かれているからです。『ユダの地、ベツレヘム。あなたはユダを治める者たちの中で、決して一番小さくはない。わたしの民イスラエルを治める支配者が、あなたから出るのだから。』」

王の諮問会に出された答弁書を見て、ヘロデはひそかに博士たちを呼びました。そして緻密なヘロデは彼らから星の出現の時間を突き止めました。そして、ヘロデは星の出現する場所がユダヤの首都・エルサレムではなくベツレヘムであると結論付けて、彼らをベツレヘムに送りました。「行って幼子のことを詳しく調べ、わかったら知らせてもらいたい。私も行って拝むから。」博士たちは王の言ったことを聞いて出かけました。ヘロデに感謝し、祭司や学者たちにお礼をしました。すると、見よ、東方で見た星が彼らを先導し、ついに幼子のおられる所まで進んで行き、その上にとどまりました。博士たちの願いはヘロデを動かし、祭司や聖書学者たちを動員し、彼らが目的としていた幼子のところまで博士たちを導いてくれました。

その星を見たとき、彼らはどうなりましたか。10節、「その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ。」彼らの喜びはこの上もない喜びでした。彼らの喜びは満ち溢れていました。英語の聖書には彼らの喜びのことを、「OverJoy」「GreatJoy」と記録しています。まさしく、彼らを人生を充ちあふれさせる偉大な喜びでした。

私たちは誰でも、私たちの人生を充ちあふれさせるOverJoy,GreatJoyを体験したがります。東方の博士たちはその秘訣を教えてくださっています。それは、自分のまかせられた仕事に充実な日々を送ることです。中学生は中学生として、高校生は高校生として、大学生は大学生として、主婦は主婦として会社員は会社員として、研究者は研究者として与えられた仕事に全身全力で取り組むことです。誰もが見ても、尊敬できる境地を作り上げることです。一生懸命取り組むこと、これが東方の博士たち、Magiたちが教えてくれたOverJoy,GreatJoyを体験する秘訣です。不思議なマジックを作りあげる秘訣です。私たちは一人一人、それぞれの分野でMagiとして呼ばれるべきです。その人にOverJoyGreatJoyが訪れます。しかし、東方の博士たちはそれだけでは本当のOverJoy、本当のGreatJoyを体験することはできないことを教えています。私たちは一人一人、人生をかける星探しの旅を始めるべきです。

11節をご覧ください。「そしてその家にはいって、母マリヤとともにおられる幼子を見、ひれ伏して拝んだ。そして、宝の箱をあけて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげた。」とあります。東方の博士たちは母マリヤとともにおられる幼子を見て、ひれ伏して拝みました。あの東方の博士たちがひれ伏して拝んだのは、ヘロデ王の皇太子ではありませんでした。きらきら光る宮殿に住む人ではありませんでした。馬小屋に生まれたあのみじめに見える「幼子」でした。誰が見てもみじめに見える馬小屋の幼子を、東方の博士たちはひれ伏して拝んでいたのでした。マタイは驚き、あの場面を生々しく記録しておいたのでした。東方の博士たちの喜びは、星の研究で得られた成果でした。人々からの褒め言葉でした。しかし、マタイは東方の博士たちがOverJoyGreatJoyを体験したのは、馬小屋にお生まれになった幼子を、彼らの足を使って、時間をささげて、目で確かめてから得られたものでした。彼らの喜びは彼らの宝箱さえもすべて捧げるほどの喜びでした。これはイエス・キリストによる喜びであり、神様からくる喜びでした。

この時代、人々は様々な喜びを求めています。東方の博士たちから私たちは喜びの秘訣を学びます。いやむしろ、喜び以上の、この上もない喜び、OverJoy,GreatJoyの秘訣を学びます。それはそれはきらきら光るエルサレムや宝石に包まれている宮殿にあるのではありません。博士たちも最初はそのように誤解していたのです。しかし、星が導いてくれたのは、田舎の馬小屋、だったのです。イエス・キリストはまさしく、この時代、田舎の馬小屋のような存在です。誰一人見向きもせず、関心も寄せません。しかし、あの博士たちをOverJoyさせたのは、GreatJoyを与えたのはベツレヘムの馬小屋にあったのです。イエス・キリストにあったのです。このイエス・キリストが、今日、ダビデの町にお生まれになったのです。みなさん。ご一緒に、この日をお祝いし、喜びましょう。

ハレルヤ

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Last-modified: 2020-12-26 (土) 22:07:23