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*** 2011年長崎UBF、ヨハネの福音書、その22 --> [[問題紙>2011John-22q]] [#a5e4d1ae]

|SIZE(20){私たちのためのイエス様の祈り}|

Messenger:MSN.David

御言葉:ヨハネの福音書 17章1節~26節&br;
要 節:ヨハネの福音書 17章17節 「真理によって彼らを聖め別ってください。あなたのみことばは真理です。」

今日の御言葉はイエス様の祈りです。今日の御言葉を見ると、私たちはイエスさまはどのような祈りの仕方をしていたのかが分かります。また、祈りとはどんなものであるのかも悟ることができます。御言葉を通して祈りについて学びますよう祈ります。

16章で、イエスさまは十字架が近づいていることを感知し、弟子たちに言われました。「あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」イエスさまの十字架は弟子たちとの別れを意味します。イエス様の十字架は弟子たちにとって患難を切り開くものです。しかし、イエスは彼らに勇敢であるようにと言われます。患難がありますがそれに勝てる勇気を持つようにと言われたのです。なぜなら、イエスさまが勝っているので、彼らも勝てるのだという意味です。弟子たちの患難は彼らがこの世に属さないで、真理に属しているから受ける苦しみであり、艱難です。しかし、イエスさまが患難なら勝ったように、そのように、弟子たちも正義に立つ人としての勝利が神様の中で保障されていることを教えています。

イエスは保障されている彼らの勝利の道について何一つ疑いはありませんでしたが、彼らのために祈り始めます。イエス様の祈りはどのような祈りだったでしょうか。

第一に、イエスさまはまず、ご自分のために祈りました。

1節をご覧ください。イエスはこれらのことを話してから、目を天に向けて、言われました。「父よ。時が来ました。あなたの子があなたの栄光を現わすために、子の栄光を現わしてください。」イエスさまは十字架につけられて、死なれる時が来たのだと告白しています。イエスさまはその十字架の死が神様の栄光を現すためであることを確信しています。しかし、イエスさまはその確信している事柄について祈っています。あなたの子があなたの栄光を現すために、子の栄光を現してください。イエスさまは確信をしているものであっても、それが実現するまで切なる願いを持って祈っていることが分かります。イエス様の祈りは確信とともにあったのです。それはすべての者に永遠の命を与えるという神様からの権威を示すためでした。神様がイエス様におあたえになった権威はすべての者に永遠の命を与えることでした。死んでしまい、生かされない命ではなく、自虐しながら悲しむ命ではなく、自らの命を憎みたとうとする命ではなく、生かされる命、意味ある命、実を結ぶ命を与える権威をイエスにくださいました。イエス様の十字架は人々に永遠の命を与えるためのものでした。イエス様の十字架の犠牲と従順は神様の願い、永遠の命を現すためのものでした。イエスさまはその十字架を通して、神様の栄光が、イエス・キリストの栄光が輝くようにしてくださるよう祈りました。

イエス様の祈りは確信があるものであっても、すべての権威と実行権をお持ち、すべての権限をお持ちの神様に、切なる願いを持ってささげたイエスのお心でした。私たちもすべての権限とすべての実行権をお持ちの神様の前に祈りを持って生きるべきです。神様を認めるべきです。神様に頼るべきです。それが私たちが学ぶべきイエス様の祈りです。

第二に、イエスさまは弟子たちのために祈ります。

6節から16節までの御言葉をご覧ください。イエスさまは神様が選び、イエスさまと関係するようにしてくださった弟子たちに神様を知らせました。弟子とはイエス様の教えを受けた人でした。弟子は師匠により操作されるものでした。師匠の考えに従って生きるものでした。しかし、イエスはその弟子たちが神様のものであると認識していました。6節「わたしは、あなたが世から取り出してわたしに下さった人々に、あなたの御名を明らかにしました。彼らはあなたのものであって、あなたは彼らをわたしに下さいました。彼らはあなたのみことばを守りました。いま彼らは、あなたがわたしに下さったものはみな、あなたから出ていることを知っています。」イエスさまはご自分のお話をしませんでした。イエスさまは徹底して、神様の御言葉を持って彼らに仕えました。彼らはイエス様の者が神様からのものであることを知りました。8節を見るとその理由について記録しています。「それは、あなたがわたしに下さったみことばを、わたしが彼らに与えたからです。彼らはそれを受け入れ、わたしがあなたから出て来たことを確かに知り、また、あなたがわたしを遣わされたことを信じました。」

私たちは神様のお言葉を、イエス様のお言葉を、人々のお言葉を、まるで自分の言葉のように、まるで自分が造ったかのように、偉そうに話す場合があります。特に、弟子たちにはそう言っているケースが多いです。しかし、イエスさまは徹底して自分の言葉を排除しました。イエスは徹底して神のしもべとして働きました。イエスさまは彼らが神様を知り、イエス・キリストが神の子であることを知るところで成長することを願いました。それが永遠の命であり、彼らの人生が生かされることを知っていたからでした。

イエスはその彼らのために祈っています。9節「わたしは彼らのためにお願いします。世のためにではなく、あなたがわたしに下さった者たちのためにです。なぜなら彼らはあなたのものだからです。わたしのものはみなあなたのもの、あなたのものはわたしのものです。そして、わたしは彼らによって栄光を受けました。わたしはもう世にいなくなります。彼らは世におりますが、わたしはあなたのみもとにまいります。聖なる父。あなたがわたしに下さっているあなたの御名の中に、彼らを保ってください。それはわたしたちと同様に、彼らが一つとなるためです。」イエスの弟子たちはこの世とは区別されたものです。イエスさまがこの世と区別され、神に属していように、同じように、彼らはまだこの世に残り、世とは区別された存在として生きるものと選ばれています。神様がイエス様にあり、イエスさまが神様に会ったように、同じように、彼らも一つになることを願って祈っています。神様が弟子たちにより栄光を受け、イエスさまが弟子たちにより栄光を受けるために、また、彼らが神様の栄光を与え、イエス・キリストの栄光を現すために祈っています。

また祈ります。「彼らをこの世から取り去ってくださるようにというのではなく、悪い者から守ってくださるようにお願いします。わたしがこの世のものでないように、彼らもこの世のものではありません。」イエス様の弟子たちのための祈りは、彼らが特別扱いされるのではなく、悪いものと一緒に生活するように、しかし、悪いものから彼らを守るようにと祈っています。イエスさまがこの世の中にいて、悪い者たちと一緒に暮らしましたが、神様によって守られ、神様の栄光を現し、神様の願う道を歩んだように、そのように、弟子たちも区別された生き方をして、神様の見守りを感じ取ることができるように、神様の栄光を現すことができるように祈りました。神様がイエス様におり、イエスさまが彼らにおり、神様が彼らを見守っていることを悟るように祈りました。イエス様の祈りは弟子たちがイエス様の生き方と同じような、そのような人生を生きることができるように祈りました。神様がご一緒し、一つになった人生を生きることを願いました。

第三に、弟子たちが真理の御言葉によって区別されたものになるよう祈りました。

17節「真理によって彼らを聖め別ってください。あなたのみことばは真理です。」この祈りはイエス様の祈りの絶頂です。イエスさまは色々と彼らのために祈りましたが、イエス様の願いはこの祈りにつきます。「真理によって彼らを聖め別ってください。あなたのみことばは真理です。」イエス様の弟子たちへの切なる願いは彼らが御言葉のしもべになることでした。彼らが聖書先生になることでした。イエス様の願いは彼らが聖書を実行し、神様の栄光を現す「イエス・キリスト」のような人生を生きることでした。19節を見ると、その願いと祈りとともに、イエス様の決断が見受けられます。19節「わたしは、彼らのため、わたし自身を聖め別ちます。彼ら自身も真理によって聖め別たれるためです。」イエスさまは特別に、自分自身をささげる決心をしました。それは彼らもまた、それぞれの使命に従って清められるためでした。弟子たちもイエスに習い、神様の願いに沿って生きることを願っていたがためでした。

第四に、イエス様の祈りは弟子たちの弟子たち、また、その弟子たち、私たちのために祈ります。

20節「わたしは、ただこの人々のためだけでなく、彼らのことばによってわたしを信じる人々のためにもお願いします。それは、父よ、あなたがわたしにおられ、わたしがあなたにいるように、彼らがみな一つとなるためです。また、彼らもわたしたちにおるようになるためです。そのことによって、あなたがわたしを遣わされたことを、世が信じるためなのです。」とあります。神様の栄光が弟子たちだけにとどまらず、私たちにまで及ぶことを願って祈っています。

最後に、イエス様の祈りは弟子たちが、また信じた人々が天の御国でご一緒なることを祈ります。

24節「父よ。お願いします。あなたがわたしに下さったものをわたしのいる所にわたしといっしょにおらせてください。あなたがわたしを世の始まる前から愛しておられたためにわたしに下さったわたしの栄光を、彼らが見るようになるためです。正しい父よ。この世はあなたを知りません。しかし、わたしはあなたを知っています。また、この人々は、あなたがわたしを遣わされたことを知りました。そして、わたしは彼らにあなたの御名を知らせました。また、これからも知らせます。それは、あなたがわたしを愛してくださったその愛が彼らの中にあり、またわたしが彼らの中にいるためです。」

イエスさまは祈ります。彼らに神様への愛、を知らせてくださるように。イエスさまは十字架の前なのに、愛の確信をしています。その愛の中に、弟子たちも、その弟子たちもいることを願っていました。



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