#norelated
[[聖書勉強資料>BibleStudy]] > [[イースター2010(第2講)>2010Easter02qq]] > [[問題紙>2010Easter02q]]&br;
御言葉:コリント人への手紙第一 15章12節~34節  要節:コリント人への手紙第一 15章22節

|復活の力|h

----
'''1. 12節を読んでみましょう。コリントの人たちの中にはどんなことを主張する人がいましたか。13-19節を読んでみましょう。もし、死者の復活がないのならどんな問題が起こりえますか。この事実から学ぶ、キリスト教の基礎は何でしょうか。'''&br;
- 15:12 ところで、キリストは死者の中から復活された、と宣べ伝えられているのなら、どうして、あなたがたの中に、死者の復活はない、と言っている人がいるのですか。 --  &new{2010-04-03 (土) 07:06:59};
- 15:13 もし、死者の復活がないのなら、キリストも復活されなかったでしょう。&br;15:14 そして、キリストが復活されなかったのなら、私たちの宣教は実質のないものになり、あなたがたの信仰も実質のないものになるのです。&br;15:15 それどころか、私たちは神について偽証をした者ということになります。なぜなら、もしもかりに、死者の復活はないとしたら、神はキリストをよみがえらせなかったはずですが、私たちは神がキリストをよみがえらせた、と言って神に逆らう証言をしたからです。&br;15:16 もし、死者がよみがえらないのなら、キリストもよみがえらなかったでしょう。&br;15:17 そして、もしキリストがよみがえらなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです。&br;15:18 そうだったら、キリストにあって眠った者たちは、滅んでしまったのです。&br;15:19 もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、私たちは、すべての人の中で一番哀れな者です。 --  &new{2010-04-03 (土) 07:08:36};
- 復活がないと、主張している人たちがいる ⇒ どれだけ復活が理解に苦しむものなのかわかる --  &new{2010-04-03 (土) 22:30:43};
- 宣教は実質のないもの ⇒ 復活が宣教のカギ --  &new{2010-04-03 (土) 22:31:35};
- 信仰も実質のないもの ⇒ 復活が信仰のカギ --  &new{2010-04-03 (土) 22:31:57};
- パウロの人生観、 ⇒ 私たちは神について偽証、 パウロがこんなことはできない、 --  &new{2010-04-03 (土) 22:40:40};

#comment(,noname)

'''2. 20-23節を読んでみましょう。死んだ人の復活はどのようにして確信することができますか。また、どんな希望を持つことができますか。信者の復活はいつ、起こりますか。'''&br;
- 15:20 しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。&br;15:21 というのは、死がひとりの人を通して来たように、死者の復活もひとりの人を通して来たからです。&br;15:22 すなわち、アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストによってすべての人が生かされるからです。&br;15:23 しかし、おのおのにその順番があります。まず初穂であるキリスト、次にキリストの再臨のときキリストに属している者です。 --  &new{2010-04-03 (土) 07:10:36};
- 信仰の姿、 ⇒ 最後には私たちも、イエス・キリストが着た姿を持つようになる、、、復活を体験する --  &new{2010-04-03 (土) 22:44:40};

#comment(,noname)

'''3. 24-28節を読んでみましょう。キリストはどのようにして敵を滅ぼし、万物をその足の下に従わせますか。'''&br;
- 15:24 それから終わりが来ます。そのとき、キリストはあらゆる支配と、あらゆる権威、権力を滅ぼし、国を父なる神にお渡しになります。&br;15:25 キリストの支配は、すべての敵をその足の下に置くまで、と定められているからです。&br;15:26 最後の敵である死も滅ぼされます。&br;15:27 「彼は万物をその足の下に従わせた。」からです。ところで、万物が従わせられた、と言うとき、万物を従わせたその方がそれに含められていないことは明らかです。&br;15:28 しかし、万物が御子に従うとき、御子自身も、ご自分に万物を従わせた方に従われます。これは、神が、すべてにおいてすべてとなられるためです。 --  &new{2010-04-03 (土) 07:12:37};

#comment(,noname)

'''4. 29-34節を読んでみましょう。復活信仰をもったパウロはどのような生き方をしていましたか。しかし、復活信仰のない人々の生き方はどうですか。'''&br;
- 15:29 もしこうでなかったら、死者のゆえにバプテスマを受ける人たちは、何のためにそうするのですか。もし、死者は決してよみがえらないのなら、なぜその人たちは、死者のゆえにバプテスマを受けるのですか。&br;15:30 また、なぜ私たちもいつも危険にさらされているのでしょうか。&br;15:31 兄弟たち。私にとって、毎日が死の連続です。これは、私たちの主キリスト・イエスにあってあなたがたを誇る私の誇りにかけて、誓って言えることです。&br;15:32 もし、私が人間的な動機から、エペソで獣と戦ったのなら、何の益があるでしょう。もし、死者の復活がないのなら、「あすは死ぬのだ。さあ、飲み食いしようではないか。」ということになるのです。&br;15:33 思い違いをしてはいけません。友だちが悪ければ、良い習慣がそこなわれます。&br;15:34 目をさまして、正しい生活を送り、罪をやめなさい。神についての正しい知識を持っていない人たちがいます。私はあなたがたをはずかしめるために、こう言っているのです。 --  &new{2010-04-03 (土) 07:15:23};

#comment(,noname)

トップ   編集 差分 バックアップ 添付 複製 名前変更 リロード   新規 一覧 検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS