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この資料は、Dr. Mark Yang((本名はYang, Jusun(ヤン、ジュソン)。韓国・慶尚南道・昌原郡で1945年12月22日、父・ヤンソンロクと母・ユグムソンの間で一男四女の長男として生まれる。ヤンさんは1967年韓国・ソウル大学・文理科大学・社会福祉科に入学した。彼は大学2年生の時にイエス・キリストに人格的に出会い、大学4年時に牧会者としての使命を受けた。彼は1971年2月卒業時から大学生聖書読み宣教会(UBF)でフルタイム使役者として呼ばれ、5年間務めた。彼は1972年からは、軍の兵役を務めた。また、1976年から2006年までの30年間、韓国・高麗大学校の福音化のため、UBFアナム支部の責任者として働きながら、9個の支部を開拓し、230名あまりの宣教師を派遣した。1985年から1988年まで改革神学大学院で牧会学修士(M. Div.)過程を勉強し、1994年から1996年まで延世大学校連合神学大学院にて神学修士課程(Th.M.)を終了した。1999年から2000年まで1年間、Trinity Evangelical Divinity Schoolで修学した。2006年にはFuller神学校(Fuller Theological Seminary)に入学し、宣教学博士課程(Doctor of Ministry)を勉強し、2010年6月に卒業と同時に神学博士学位を取得した。ヤンさんは2006年3月からアメリカにあるUBF世界本部にて2010年10月まで、教育部長として働いた。ヤンさんはヤンアンナさんと結婚し、娘・ヤンテレサと息子・ヤンマガを得た。ヤンテレサはDr. Joseph Ahnと結婚し、Abraham AhnとAnnamarie Ahnを子どもとして、ヤンマガはキムヘスク(Rebekah)と結婚しMonica YangとSarah Yangを子どもとして得た。))の最近の講義資料を整理したものです。
この資料は、Dr. Mark Yang((名前はYang, Jusun(ヤン・ジュソン、現在はアメリカ市民権を持ち、Mark Jusun Yangが本名である。通称:Dr. Mark Yang)。韓国・慶尚南道・昌原郡で1945年12月22日、父、ヤン・ソンロクと母、ユ・グムソンの間で一男四女の長男として生まれる。ヤンさんは1967年韓国・ソウル大学校・文理科大学・社会福祉科に入学した。彼は大学2年生の時にイエス・キリストに人格的に出会い、大学4年時に牧会者としての使命を受けた。彼は1971年2月卒業時から大学生聖書読み宣教会(UBF)でフルタイム使役者として呼ばれ、5年間務めた。彼は1972年からは、軍の兵役を務めた。また、1976年から2006年までの30年間、韓国・高麗大学校の福音化のため、UBFアナム支部の責任者として働きながら、9個の支部を開拓し、230名あまりの宣教師を派遣した。1985年から1988年まで改革神学大学院で牧会学修士(M. Div.)過程を勉強し、1994年から1996年まで延世大学校連合神学大学院にて神学修士課程(Th.M.)を終了した。1999年から2000年まで1年間、Trinity Evangelical Divinity Schoolで修学した。2006年にはFuller神学校(Fuller Theological Seminary)に入学し、宣教学博士課程(Doctor of Ministry)を勉強し、2010年6月に卒業し、神学博士学位を取得した。ヤンさんは2006年3月からアメリカにあるUBF世界本部にて2010年10月まで、教育部長として働いた。ヤンさんはヤンアンナさんと結婚し、娘・ヤンテレサと息子・ヤンマガを得た。ヤンテレサはDr. Joseph Ahnと結婚し、Abraham AhnとAnnamarie Ahnを子どもとして、ヤンマガはキムヘスク(Rebekah)と結婚しMonica YangとSarah Yangを子どもとして得た。))の最近の講義資料を整理したものです。

** 序論 [#j237f961]
"キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働く力により、また、備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです。" エペソ4:14 

わたしはエペソ人への手紙、聖書勉強を通して、教会の意味について霊的な目が覚めるようになりました。わたしは教会に対する神の偉大な計画に圧倒されました。わたしは「教会とは何か?」「UBFのアイデンティティは何か?UBFは果たして教会としての確実なアイデンティティを持っているのか?それではUBFが教会であることをどのように理解できるのか?」のような質問をしていました。多くの聖書学者たちが「UBFは信仰と道徳的な姿、それから物質に対する透明な態度など、確かに健康な面があるが、聖書的な教会観が弱い」とコメントしています。

わたしはなぜ、彼らがUBFの聖書的な教会観に疑問を投げかけているのかに興味がありました。過去、確かにUBFは教会としての確かなアイデンティティがなかったことは事実です。わたしたちUBFはCCCやIVF、Navigatorsのような宣教団体としてのアイデンティティを持っていました。それから私たちは自ら「パラチャーチ」と認めていました。今はもちろん、教会としての確かなアイデンティティがあります。しかしながら、ある方たちは「家庭教会を中心とするのが教会なのか?」との疑問を持ちます。家庭教会は確かに教会なのです。イスラム諸国に一つの家庭が宣教師として派遣されたとすれば、その家庭は教会ではないのでしょうか。イエス様は「ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。(マタイ18:20)」と言われました。多くの家庭教会が神の御言葉を伝え、祈りをし、礼拝を定期的に捧げています。彼らは神の言葉に従順し、他の人たちと御言葉を交わしています。家庭教会の歴史が実を結ぶとすれば、当然ながら教会としての役割を担っていると言えます。長い期間、実を結ばないこともあるでしょう。しかしながら、そのような家庭教会も同じく教会なのです。しかし、教会としての役割を果たすことは難しいのです。その場合、わたしたちは祈りながら他の神の教会と協力することに神からの導きを求めるべきです。また、ある人たちは私たちが一般の教会のようになってはいけないと主張しながら、教会に対する否定的な意見を露わにしたりもしています。特に、若い人たちの中には「わたしはイエスは愛しているが教会は嫌だ」としながら、教会に対する良くない感情を表したりします。興味深いことに、もし彼らが教会を嫌っているのなら、イエスの体をも嫌っていることになります。わたしたちは彼らが教会に対する良くない経験から教会に否定的な意見があることを知っています。しなしながら、わたしたちは正しい聖書的な教会観を持つべきです。

わたしはエペソ人への手紙を勉強しながら、私自身も教会に対する否定的な意見があったことを悟りました。過去、わたしは聖書的な教会観に対する理解が浅かったため「教会の言葉」を批判的に使ったことがあります。例えば、ある人が神の訓練をないがしろにしていると「いいよ。教会にでも行きなさい。」と言った覚えがあります。これはUBFが地域教会よりも優位に立っているとの言葉で、それは私の高ぶりの原因でした。わたしはこれを深く悔い改めました。わたしはどのような場合でも教会に対する否定的な意見をもってはいけないことを悟りました。むしろ、教会は神が立てられた機関であり、キリストの新婦であるため教会に対してはもっとも好意的な意見を持つべきであると思うようになりました。そのため、わたしは教会の聖書的な意味について知りたいと切に願うようになりました。わたしは多くの教会に対する本を読みこなしました。教会とはとても複雑な主題なのです。わたしはこの資料でこの主題をすべて全部扱うことはできません。わたしはただ、教会に対する正しい聖書的な見解を持つことを願っています。21世紀において一番影響力のある教会の指導者といえば、John Stottを例に挙げることができます。彼は次のように言っています。「わたしたちはキリストの人であり、教会の一員でもあります。わたしたちはキリストに献身している人であり、なおかつキリストの体(教会)にも献身しているのです。教会は神様の永遠の目的の一番中心部に置かれています。教会は神様が後から必要に応じて作られたわけでもなく、歴史の中から偶然に生まれたものでもありません。むしろ、教会は神様の新しい共同体なのです。」また、聖書学者Kiperは次のように言っています。「教会はもっと良いもののために臨時的に代替したものではなく、神様の永遠な計画のただ中心部にあるのです。」

わたしはこのような問題意識をもって、エペソ人への手紙に基づいて「どのように健康な教会を建てることができるか」という主題の内容を整理したいと思います。この資料には、第一に、エペソ教会から現れた教会に対する隠喩表現、第二に、教会の特長、第三に、福音中心の教会、第四に、エペソの概要、第五に、どのように健康な教会を建てることができるか、について話したいと思います。

** エペソ人への手紙に現れる教会の隠喩的な表現 [#x6f53610]


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