長崎の御業報告

要節:ゼカリヤ 4:6「すると彼は、私に答えてこう言った。「これは、ゼルバベルへの主のことばだ。『権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって。』と万軍の主は仰せられる。」

長崎では2011年の一年間、神様は「権力によらず、能力によらず、私の霊によって」という言葉を持ってスタートしました。お祈りと御言葉の通り、この一年、神様は権力によらず、能力によらず、神様の霊にのみ、主の御業が進むことを痛感させられました。私のこの一年を報告するときに、神様の不思議な動き、前もって働く神様を報告するよう心に決めました。この一年を振り返りながら、神様は不思議な動きをしてくださいました。神様の御業です。この時間、神様がなされた長崎での御業を報告し、長崎における神様の願いとビジョンを見出すことができますように祈ります。

1.地の果てにまで派遣された同労者たち

一昨年、長崎の御業に於いて一番長く、神の訓練を耐え、祈りしてきた博士学位を手にした金カレブ宣教師とのご家族が東京センターに派遣されました。また、すでに弓削バイブルハウスに於いて一人さびしく礼拝を見守っていたザカリヤ牧者がエリサベツ牧者とともに新しい洗礼名を受け取ると同時に、三月、アメリカのニュージャージセンターに派遣しました。さらに、私たちと長いつながりを持っている天野兄弟がスタートを切った農場の忙しさに、特別な集会がない限りでは礼拝すら見守れない形で、日曜農場に派遣されました。長崎での礼拝は家族のみが見守る日々が続きましたが、それも子どもたちはクラブ活動や遠征など、学校の行に引っ張られ、ピアノを担当するサラのみがかろうじて安定した礼拝を守り通していました。これを「地の果てにまで派遣された同労者たち」と見るかどうかは私の勝手ですが、しかし、長崎の地がこのような運命にあること、そしてそのような形で神様の御業に仕えるべきであることを、悟るのです。これからも長崎で訓練された主のしもべたちが日本各地に、更には世界の地の果てにまで、使わされて美しいキリストの香りを発する群れに成長することを願っています。

2.見えない羊たちの動きと神様の働き

一年間、私たちとつながりを持った羊たちは安徳姉妹、三谷兄弟、久保姉妹、川内兄弟、田村姉妹、更には先ほども報告しました天野兄弟たちです。天野兄弟はこの一年間も聖書勉強を続けました。見えない形で主の御業は続きました。サラの友人、安徳姉妹が私たちと関係が深まり、すべての行事に快く参加してきました。見えない中での御業は神様が導いてくださいました。以前は、自宅が遠く礼拝にまめに参加することがありませんでしたが、この4月からは近い職場で働くことになりましたので、まめに礼拝に来ることを願っています。三谷君が行事の参加者としてその友人の川内君や久保、田村を連れてきていました。彼らもまた、この4月から地元のところで就職が決まっているので、行事ごと誘いながらキリストの香りを述べ伝えたいと思っています。なにより、私たちに見えない中で働く神様の様子は「久方」兄弟にありました。夏の集会に参加し最後まで恵みを受けました。夏の集会は初日から最後まで、雨の日々でした。そのおかげで、私たちはコマ目に対話し、コマ目に聖書勉強をしました。大分から参加した姉妹が同じく私たちの間にいて、神様の働きを見せてくれました。羊たちの動きは見えない形で成長していることを信じて、感謝しています。

Littleサラが大学四年間、私たちの同労者となり、ピアノ伴奏者として、牧者として、長崎の御業の祈りの母として使わされました。私にとっては長女ですが、神様からすればこの一年間も、長崎の祈りの母として尊く用いてくださいました。四年間自立した生活をし、安定感が増した主のお嬢さんになりました。この4月からは近くのところに職場を得、長崎の祈りの母として引き続き私たちの礼拝の主人として仕えられることを祈っています。

3.家庭教会を固くし、家族の絆を強めて

私は50を迎えた今年度、私の人生にスタートする神様の不思議な動きに興味関心を持って楽しむことを心決めていました。一年を振り替えて見ると、それは家庭教会の大事さを教えてくれましたし、家族の絆を強められたことを悟りました。以前、若い人たち、学生たちを見るたびごと、私自身を見つめているような気がしていました。彼らの中に私のときめきと若さも生きていて、彼らの失敗の中にも私の人生が映し出されていました。しかし近年、どんなときにもお年寄りが目に付き、行動もゆっくりとなりました。そろそろ私もこの世代の主人公である認識が増えてきました。さらに、一日一日を充実にしていきたい気持ちも増して、時々老人話のような発言をし、妻や子どもたちに笑われたりしました。物事を進める中にも慎重さが増し、話をする中でもたどたどしさが増えてきました。文字は虫眼鏡がないと見えなくなりましたし、固い食べ物は注意深く噛むようになりました。この一年間、私は大分、お年寄りになったような気がしています。それは失敗が多かったからだと理解しています。人の心を傷つける失敗、乱暴な発言、自分には甘いくせに人や子どもには厳しく、勝手さが増した一年でした。しかしながら不思議なことに、これらの失敗が信仰の深みを増してくれた気がしています。神を信じることになったありがたさ、御言葉により行動を決める喜び、見えない神様が手に届くような深みはそのような失敗から得られた宝のような気がします。

私のメッセージを聞く人たちは家族のみになった今年の礼拝、私は短いですがはるかに深みある礼拝のメッセージが掛けましたし、心から喜びを持ってメッセージの十字架を負うことができました。私の家族に主のしもべとしての香りが必要であることにも気付かされました。一番の同労者であるサラ宣教師を、だれよりも大事にしなければ、と思う年寄りになりました。家族一人一人を彼らの目線から見つめる神様の訓練も受けました。私が一番怒るばかりにいる長男のダビデ君は私が一番ほっとして喜ぶジョエンちゃんの最高の仲良しであることを見つめるたびごと、私も目は間違っているのかもしれないと気付かされる一年でした。ふっと、思うようになりました。私が人生の中で神様により縁結びができ、関係するようになる人はごくわずかであること、その中でも一番大切にしなければいけないのは女房で、家族であること、更にはUBFの宣教師として呼ばれたものとして、縁結びにより近くで見守るようになった幾人かの羊たちであること。世の中狭いなぁ、と口癖のように言っていたのは、きっとこのような限られた神様の器の中に私が生きていることを改めて悟るようになりました。

長崎の御業を守ること、礼拝を真実に捧げること、関係性のある羊たちの一人一人の名前を口にして祈ること、特に、一番の同労者である妻、子どもたちの為に祈ること、何より、今現在、神様が私に任せてくださった十字架を、真剣に取り組むこと、これが神様の願いであることを悟るようになりました。

3.2012年はコリント人への手紙第一13章「愛のメッセージ」を持ってスタート

私たちに今、一番足りないキリストの徳目と言えば、愛だち見ています。私が一番好きな言葉は「神を信じなさい」ですす、「信仰により」です。しかし、一番嫌いで実行できない言葉といえば「あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい」という言葉です。そこで今年、長崎センターでは「こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。」という言葉を持って新年を迎えようとしています。信仰も、希望も、私の心をどきどきさせますが、なぜか、愛と言えば自信がありません。今年、私の心に、長崎の皆様に、子どもたちに、近所の人々に「愛の使者」として成長できますように祈ります。まずは、女房のサラ宣教師に認められる愛の使者になりますように、また、子どもたちに父親の愛がぎっしりと彼らの心に書き記されますように祈ります。羊たちの心に愛の使者として接近できますように祈ります。

2012年度、祈りの課題 1.12弟子、一人のアブラハムサラが生まれますように 2.A兄弟、A姉妹、M兄弟、H兄弟が成長しますように 3.今年、愛のメッセージが長崎から日本に、世界に広がりますように 4.子どもたちが牧者として、同労者として成長しますように


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