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** 2011年日本UBF新年御言葉第1講 メッセージ --> [[問題紙>2011NewYear01q]] [#z3b0e19f]

準備中
|SIZE(20){万軍の主の霊によって}|

Messanger : MSN David.J.

御言葉:ゼカリヤ 4:1-4:14&br;
要 節:ゼカリヤ 4:6「すると彼は、私に答えてこう言った。「これは、ゼルバベルへの主のことばだ。『権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって。』と万軍の主は仰せられる。」

2010年も最後の礼拝を迎えました。2000年という年が来た時、もう2000年という信じられない世紀に入ったのだ、と思っていました。それがもう10年も過ぎて、2011年度を迎える時期になりました。時間の過ぎてゆくものは早いものです。私からしてみれば、教育学部に赴任して10年目を迎える年となります。いろいろと後悔が残りますが、しっかりとこの一年を振り替えて、新しい年を迎えたいところです。

さて、今日の御言葉の内容はゼルバベルの神殿のお話です。神殿とは今のことでいえば、教会のことです。ソロモンの教会がダビデの志により、ソロモンが建設したものであるとすれば、ゼルバベルの教会は神様ご自身がご計画され、ユダとエルサレムの民を用いて建てられたものです。主はこう仰せられたからです。『権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって。』神様の霊によって作られたゼルバベルの教会にはイエス・キリストが足を運び、神を崇めたところです。しかし、一方ではその教会のことで、イエスさまはこう言われています。マタイ21章13節、「『わたしの家は祈りの家と呼ばれる。』と書いてある。それなのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしている。」マルコ13章2節、「この大きな建物を見ているのですか。石がくずされずに、積まれたまま残ることは決してありません。」

日本の内村鑑三さんが作ったとされる「無教会」はこれらの教会の建物よりも、信者たちが作り上げる教会を大事にし、教会という言葉を使わず、集会という集まりで礼拝をしていますが、教会、そのものの弊害を打破し、真の集まりを目指している点では意味深いものがあります。しかし、いずれにしても教会は神様がおつくりになるもので、人間が否定したり、形を別のものにするわけにはいきません。神様ご自身がおつくりなられる「ゼルバベルの教会」とはどんなものなのか、今日の御言葉を通して新しく発見できますよう祈ります。

今日の御言葉はゼカリヤが見た8つの幻のうち、第5の幻についてです。

1節をご覧ください。「私と話していた御使いが戻って来て、私を呼びさましたので、私は眠りからさまされた人のようであった。彼は私に言った。『あなたは何を見ているのか。』」ゼカリヤは眠りにかかっているような状況で、幻を見ていました。御使いの質問に、ザカリヤは答えました。「私が見ますと、全体が金でできている一つの燭台があります。その上部には、鉢があり、その鉢の上には七つのともしび皿があり、この上部にあるともしび皿には、それぞれ七つの管がついています。また、そのそばには二本のオリーブの木があり、一本はこの鉢の右に、他の一本はその左にあります。」
ゼカリヤが見た幻は何を意味するのでしょうか。4節を見ると、御使いにゼカリヤ質問しました。「主よ。これらは何ですか。」ゼカリヤは幻の意味が分かりませんでした。御使いはゼカリヤにこう、答えました。「あなたは、これらが何か知らないのか。」ゼカリヤは言いました。「主よ。知りません。」すると御使いは答えてこう言いました。「これは、ゼルバベルへの主のことばだ。『権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって。』と万軍の主は仰せられる。大いなる山よ。おまえは何者だ。ゼルバベルの前で平地となれ。彼は、『恵みあれ。これに恵みあれ。』と叫びながら、かしら石を運び出そう。」

ゼルバベルは神殿の再建をスタートさせた人物でした。しかし、その神殿の再建はなかなか思い通りに進みませんでした。長い年月かかかりました。多くの妨害者が現れました。多くの時間、多くのお金、多くの人々の努力が必要でした。うまくいきそうにも見えませんでした。もしかしたら、このまま失敗に終わるかもしれない、とも思われていました。しかし、御使いはゼルバベルにこう仰せられました。『権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって。』

さらに、主の言葉がゼカリヤに与えられました。「ゼルバベルの手が、この宮の礎を据えた。彼の手が、それを完成する。このとき、あなたは、万軍の主が私をあなたがたに遣わされたことを知ろう。だれが、その日を小さな事としてさげすんだのか。これらは、ゼルバベルの手にある下げ振りを見て喜ぼう。これらの七つは、全地を行き巡る主の目である。」ゼカリヤが見た幻は、教会を意味するものでした。神様がお住みになる神殿を意味するものでした。教会は全地を行き巡る主の目のようです。教会は神様の基準で全地を判断するメジャーなのです。ゼルバベルの手により礎が据えられたように見えますが、事実、この主人は神様なのです。その完成も神様によるものです。教会の主人は神様であり、そのすべての働きも神様により動かされているのです。

長崎UBF教会も神様により建てられたのです。神様が主人となられ、そのすべてを導いておられます。人間の権力により、教会は作られたのだと思ったりします。あるいは人間の能力により、美しい教会が存在するようになったのだと思ったりします。確か、その通りです。しかし、本当の教会は、本当の長崎UBF教会は権力によるものではありません。能力によるものではありません。権力によるものは滅び、能力によるものは崩れ去ります。しかし、万軍の霊により作られた教会は崩れ去ることがありません。それは神様がご主人となられ、神様が親しく導かれるものです。神様が賛美を受け、神様が褒められるものです。

ゼカリヤはまた、御使い尋ねて言いました。「燭台の右左にある、この二本のオリーブの木は何ですか。」「二本の金の管によって油をそそぎ出すこのオリーブの二本の枝は何ですか。」

すると御使いは、私にこう言いました。「あなたは、これらが何か知らないのか。」私は言った。「主よ。知りません。」&br;4:14 彼は言った。「これらは、全地の主のそばに立つ、ふたりの油そそがれた者だ。」


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