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2011年長崎UBF、ヨハネの福音書、その8 --> 問題紙

いのちのパンであるイエス様

Messenger:MSN.David

御言葉:ヨハネの福音書 6章25節~59節
要 節:ヨハネの福音書 6章35節 「イエスは言われた。『わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。』」

私たち人間は、食べ物がなければ生きていけません。植物や動物も、いのちを持って生きているすべての生物は、食べ物がなければいのちが断たれます。すべての生き物において、食べ物はとても大切なものです。絶食はいのちを持っているすべての存在において死に至らせる力があります。食べ物はその意味で、生きていくうえで大切なものです。ですから、食べ物の問題を解決できる夫は愛されますし、食べ物の問題を解決できる人間は称賛されます。生き方の問題や価値観や人生観も、生きている中での議論です。ですから、食べ物の問題は切実な問題であり、真剣な問題です。

しかし、今日の御言葉でイエスさまは、このような食べ物の問題以上に、もっとも大事な問題について言及しています。イエスさまは言われます。「なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい。」「Do not work for food that spoils, but for food that endures to eternal life.」食べて、それで終わってしまう、そのような食物のために働くのではなく、食べるとそれが永遠のいのちにまで与えてくれる、永遠のいのちにまで頑張りぬく、そのような食物のために働きなさい、という意味です。それが何でしょうか。

25節をご覧ください。イエスさまは五つのパンと二匹の魚で、五千人を食べさせました。人々は驚きました。人々はイエス様を自分たちの社長、村長、王にしようとしました。イエスさまはこのような彼らから身を引きました。そして湖の向こう側にまで退かれました。彼らから身を引き、彼らとは関係のない町に身を引いていました。しかし、彼らはイエス様のいくところを探し、ついには、イエス様のいるところにまで来て、イエスを見つけたとき、彼らはイエスに言いました。「先生。いつここにおいでになりましたか。」彼らはイエス様に言いたいことがたくさんありました。相談したいこともたくさんありました。イエスさまは彼らの心を見抜いて、言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからです。なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい。それこそ、人の子があなたがたに与えるものです。この人の子を父すなわち神が認証されたからです。」

イエスさまは彼らがイエス様を通じて、パンを満腹する夢を見ました。食べ物には困ることはない、ことへの夢を見ました。イエス様に従えば、また、イエスさまと親しくすれば、きっと食べる問題は困らないだろうと、思っていました。しかし、イエスさまは言われました。「なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい。それこそ、人の子があなたがたに与えるものです。この人の子を父すなわち神が認証されたからです。」ここで、重要な言葉は「それこそ」です。食べ物は私以外でも十分候補者がたくさんいる、いやむしろ、自分たちの力を信じて進めても問題解決には困らない。しかし、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物は神により認証された人でなければならない。それこそ、人の子があなたがたに与えるものです、と言っているのです。イエス様に期待するものは、それこそ、神のわざなのです。

28節をご覧ください。すると彼らはイエスに言いました。「私たちは、神のわざを行なうために、何をすべきでしょうか。」イエスは答えて言われました。「あなたがたが、神が遣わした者を信じること、それが神のわざです。」神様が私たちに求める、永遠のいのちに至る道、神の業は、神が遣わしたものを信じることでした。イエスを受け入れることでした。そこで彼らはイエスに言いました。「それでは、私たちが見てあなたを信じるために、しるしとして何をしてくださいますか。どのようなことをなさいますか。私たちの先祖は、荒野でマナを食べました。『彼は彼らに天からパンを与えて食べさせた。』と書いてあるとおりです。」彼らは神から認証された証拠として、マナを与えたモーセように、何か、マナみたいなものを見せてほしいということで、食べ物を要求しました。マナによりモーセの真価が問われ、神のものであることが明らかになったように、そのように、何かを見せてほしいと言いました。すると、イエスは彼らに言われました。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。モーセはあなたがたに天からのパンを与えたのではありません。しかし、わたしの父は、あなたがたに天からまことのパンをお与えになります。というのは、神のパンは、天から下って来て、世にいのちを与えるものだからです。」モーセが与えたパンよりも、イエスが与えようとするパンは価値が違うものでした。マナよりいのちのパンであるイエスご自身は、彼らに命を与え、彼らに永遠のいのちを保障するものでした。

34節をご覧ください。そこで彼らはイエスに言いました。「主よ。いつもそのパンを私たちにお与えください。」彼らはそのパンを求めました。これはまるで、サマリヤの女が求めていた要求と同じものでした。「先生。私が渇くことがなく、もうここまでくみに来なくてもよいように、その水を私に下さい。」イエスさまはサマリヤの女には、夫を連れてくるように要求しました。女の罪の問題を告白し、神様の前に一人の罪びととして立つことを求めました。その人が、イエス様の与える水を飲むことができるからでした。決して渇くことがなく、永遠のいのちへの水がわき出る、永遠の泉は罪の問題をさらきだす必要がありました。

同じように、イエスはいのちのパンを要求する彼らには、イエスを受け入れ、信じることを要求しました。また、信じて受け入れる人々へのお約束をされました。35節、「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。」彼らは受け入れようとしませんでしたが、受け入れ、信じる人を神様がご用意していることをイエスさまは確信しました。イエスさまは言われます。「父がわたしにお与えになる者はみな、わたしのところに来ます。そしてわたしのところに来る者を、わたしは決して捨てません。わたしが天から下って来たのは、自分のこころを行なうためではなく、わたしを遣わした方のみこころを行なうためです。わたしを遣わした方のみこころは、わたしに与えてくださったすべての者を、わたしがひとりも失うことなく、ひとりひとりを終わりの日によみがえらせることです。事実、わたしの父のみこころは、子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持つことです。わたしはその人たちをひとりひとり終わりの日によみがえらせます。」永遠の命とは、信仰により得られる神様の祝福です。

6:41 ユダヤ人たちは、イエスが「わたしは天から下って来たパンである。」と言われたので、イエスについてつぶやいた。 6:42 彼らは言った。「あれはヨセフの子で、われわれはその父も母も知っている、そのイエスではないか。どうしていま彼は『わたしは天から下って来た。』と言うのか。」 6:43 イエスは彼らに答えて言われた。「互いにつぶやくのはやめなさい。 6:44 わたしを遣わした父が引き寄せられないかぎり、だれもわたしのところに来ることはできません。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。 6:45 預言者の書に、『そして、彼らはみな神によって教えられる。』と書かれていますが、父から聞いて学んだ者はみな、わたしのところに来ます。 6:46 だれも神を見た者はありません。ただ神から出た者、すなわち、この者だけが、父を見たのです。 6:47 まことに、まことに、あなたがたに告げます。信じる者は永遠のいのちを持ちます。 6:48 わたしはいのちのパンです。 6:49 あなたがたの先祖は荒野でマナを食べたが、死にました。 6:50 しかし、これは天から下って来たパンで、それを食べると死ぬことがないのです。 6:51 わたしは、天から下って来た生けるパンです。だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます。またわたしが与えようとするパンは、世のいのちのための、わたしの肉です。」 6:52 すると、ユダヤ人たちは、「この人は、どのようにしてその肉を私たちに与えて食べさせることができるのか。」と言って互いに議論し合った。 6:53 イエスは彼らに言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。人の子の肉を食べ、またその血を飲まなければ、あなたがたのうちに、いのちはありません。 6:54 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠のいのちを持っています。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。 6:55 わたしの肉はまことの食物、わたしの血はまことの飲み物だからです。 6:56 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、わたしのうちにとどまり、わたしも彼のうちにとどまります。 6:57 生ける父がわたしを遣わし、わたしが父によって生きているように、わたしを食べる者も、わたしによって生きるのです。 6:58 これは、天から下ってきたパンです。あなたがたの先祖が食べて死んだようなものではありません。このパンを食べる者は永遠に生きます。」 6:59 これは、イエスがカペナウムで教えられたとき、会堂で話されたことである。


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