[[Nagasaki UBF, Japan]]

* 長崎での20年間のLife Testimony [#ha647c80]

''神を信じなさい。Have faith in God.~マルコの福音書11章22節~''

あたしはこの4月6日の朝、1990年4月6日、東京の成田空港に到着して、日本の入国管理局の印鑑が押されたパスポートの入国カードを久しぶりに見つめていました。頭の中には、当時の緊張感が漂いました。29歳の私のかばんの中にあったのは旅行に必要な書類、飛行機チケット以外に、聖書がありました。そして、心の中には「神を信じなさい」という、マルコの福音書11章22節がありました。祖国の国際空港を離れるとき、私はまた、別の言葉を神のしもべから頂いていました。「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」使徒の働き1章8節の御言葉でした。

私は1985年7月にあったUBFのGRSB夏の修養会に参加して、「主はキリスト」だと告白しました。聖霊の導きでした。その時から私の人生は聖霊により導かれるものとなりました。不思議でした。信じられないものでした。疑いもありましたが、私の人生はまるで、アブラハムの信仰の出発のようでした。下宿先を離れるときにも、私は創世記12章1-3節の御言葉を頼りにしていました。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」下宿先を離れるのは、聖書のみことばがなければありえないことでした。

信仰生活して三年後、1988年、大学院入試に自信を持ってなかった私でしたが、修士課程に入学して2年間、まるで不思議な国のアリスのようになりました。指導教官には忠実でないものとして批判されました。指導教員が求める研究室生活には怠け者でした。しかしながら、私だけが修士課程に入っていた同期の三人の中で、一番乗りで修士論文を提出しましたし、最終試験にも私だけが合格して修了しました。これは神様の一方的な祝福でした。その上、同じ同期の一人から信仰深い友人を得ることもできました。神様の祝福は自分の妻を妹だとうそつきながら、失敗だらけの人生を生きていたアブラハムのように、咎だらけでしたがむしろ、金持ちになるという祝福を頂くものとなりました。私は修士の2年生の時に、今の妻と巡り合いました。これこそ、神様の祝福でした。たまにはアブラハムの姉のように、時にはアブラハムの妹のように、その人生の道のりを見守ってくれたサラをくださったからでした。

1990年4月6日、長崎に導いてくださったのも、聖霊の導きでした。当時、熊本大学の博士課程在学中であった大学の先輩から、長崎大学を紹介されたとき、私には主の言葉が訪れました。「神を信じなさい。」今でも、その時の心のわくわく感が伝わってきます。一人で長崎に渡ってきましたが、私には一人ではなく、神様の完全な保護を身にまとった皇太子のようでした。皇太子の家族のように、聖霊の導きに従い、妻と長女が長崎の生活に慣れ、長男が生まれた時、神様は未熟で足りない私に大学の職を与えてくださいました。みんなが驚きました。しかし、この祝福も4年後には力尽きでした。頑張ったのに見返りがないように見えました。神様には不平不満を漏らしていました。「神、主よ。私に何をお与えになるのですか。私にはまだ子がありません。私の家の相続人は、あのダマスコのエリエゼルになるのでしょうか。」「ご覧ください。あなたが子孫を私に下さらないので、私の家の奴隷が、私の跡取りになるでしょう。」私にはダマスコのエリエゼルが沢山ありました。自尊心のエリエゼルでした。自尊心を曲げることができませんでした。神様はいろいろとなでながら私を導いてくださいましたが、私は自尊心のエリエゼルを捨てることができませんでした。カナンをを離れる決心をしましたし、アブラハムのように、いざとなれば水も食料も豊富に見えるエジプトに飛び出す計画もしました。アブラハムにはエジプトの道が開かれていましたが、私にはすべての道が閉ざされていました。当時私は「私の人生は何でも思い通りに行かない」と不満を漏らしていましたが、それはむしろ神様の御恵みでした。私にはエジプトより、ベストの道があったからでした。

2000年の一年間、私は神様の厳しい訓練を受けました。誘惑の手が私の人生を脅かしました。酒を飲み、酒に飲まされる日々を送りました。酔っ払って入ってくる私の姿を見て、妻は泣きました。タバコも口にしました。お付き合いという言い訳をしながら、夜は料亭や飲み屋、カラオケ、クラブを転々としました。東京に行くと、新宿の歌舞伎町の飲み屋やクラブを転々としました。私は主のしもべとして、どん底に落とされていました。絶望感と悲しみが私を脅かすときに、神様は修士を撮ったばかりの若々しいカレブ宣教師を補佐官であり神様の監視役として横につけてくださいました。2001年、大学の職に戻りました。ちょうど7年後、2008年、安定した職の保証を得ました。そして、2010年、神様は私に言われました。「さあ、天を見上げなさい。星を数えることができるなら、それを数えなさい。」さらに仰せられました。「あなたの子孫はこのようになる。」

2010年、



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