** 2009年長崎UBF新年御言葉 メッセージ [#u89aac12]
&br;
|SIZE(20){死ぬまで忠実でありなさい}|


御言葉:ヨハネの黙示録2:1-11&br;
要節:ヨハネの黙示録2:10b「死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与えよう。」

Happy New Year!!

神様が新しい年に、黙示録の御言葉をくださいました。そして、長崎センターの要節として「死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与えよう。」という御言葉をくださいました。この御言葉の意味を学ぶことができますように祈ります。

今日の御言葉は使徒ヨハネが見たイエス・キリストのメッセージで、初代教会の七つの教会のうち、エペソ教会とスミルナ教会に与えられた神様のメッセージです。当時の教会は皇帝崇拝とユダヤ教とキリスト教の分離による苦しみと悲しみの中にいました。使徒ヨハネはその中にいる生徒たちに伝えるイエス・キリストのメッセージを、記録して、お互いに朗読しあうよう、この手紙を記録しました。ですから、この記録には当時の状況に生活の基盤を置いた信者たちにとって切実な問題であり、生活の問題を助けるものであり、今もなお続く信者たちのための貴重なメッセージが含まれています。

''第一に、悔い改めて、初めの行ないをしなさい。''

エペソ教会「ツラノ」という当時の哲学や修辞学の義塾の教室一角をお借りして、午前中は講義がありましたので、午後にバイブルハウスを開き、2年間御言葉の勉強に励み、開拓された教会です。使徒パウロはユダヤ教のシノゴク、つまり会堂で、イエス・キリストの出現と旧約の約束の実現を述べてきましたが、ユダヤ教徒の厳しい迫害や反対に耐えきれず、彼の話に耳を傾ける何人かの弟子たちを連れてきて、ツラノで弟子養成を始めます。2年間、その講座が続きますが、その結果、アジヤに住む者はみな、ユダヤ人もギリシヤ人も主のことばを聞いたと記されています。エペソ教会の成立はそのようなツラノ講堂での聖書勉強がきっかけで開拓されたのです。また、それに伴い、様々な奇跡がこのエペソに現れ、主の言葉はますます盛んに広まり、また力を増し加えていきました。その意味で、エペソはパウロの伝道旅行にとって特別なところでした。

このエペソは、あの有名な哲学者ヘラクリトス(ヘラクレイトス)が生まれ育った哲学の町でもあり、ローマ帝国のアジヤ州の首都として、商業・政治の中心地でした。今でもその当時の繁栄を示す円形劇場、大理石通、セルシウス図書館、アルテミス神殿跡が残っております。また、当時のキリスト教徒の聖地のような場所として、信者の巨人たちが集まったところでもあります。それで、今でも使徒ヨハネがパトモス島から釈放されたのち、過ごしたとされ、それを記念して建てられた、聖ヨハネ教会があります。また、イエス・キリストの母マリアが晩年を過ごしたとされ、今でもローマのバチカンからは毎年代表者の巡礼が行われている「マリヤの家」などが残っているところでもあります。このようにエペソ教会は当時の政治・経済はもちろん、アジヤの七つの教会の中でも代表格とされている教会がある町でした。

1節をご覧ください。「エペソにある教会の御使いに書き送れ。『右手に七つの星を持つ方、七つの金の燭台の間を歩く方が言われる。」神様が使徒ヨハネに、エペソにある教会の御使い、つまり霊的指導者に手紙を書いて送るよう指示されました。

2節と3節をご覧ください。「わたしは、あなたの行ないとあなたの労苦と忍耐を知っている。また、あなたが、悪い者たちをがまんすることができず、使徒と自称しているが実はそうでない者たちをためして、その偽りを見抜いたことも知っている。あなたはよく忍耐して、わたしの名のために耐え忍び、疲れたことがなかった。」神様はエペソ教会のことについて、彼らの行い、彼らの労苦、彼らの忍耐についてよく知っているといわれます。知っているとは彼らの行いや彼らの労苦、彼らの忍耐を深く認めておられることを意味します。エペソの教会は口先の言葉よりも行いを重視した信仰人の集まりでした。哲学者ヘラクレイトスを生んだ街の雰囲気に従い、理論が多く言葉が先走っていた中で、信者たちは言葉より行いを重視した信仰を大事に受け止めていました。キリスト教は理論ではなく実際であり、行いであることを彼らの信仰生活のもっととしていました。しかし、その分彼らの労苦は大きいものでした。ある者たちは心をかたくなにして聞き入れず、会衆の前で、自分たちの論理に従いこの道をののしったりしました。それだけではありませんでした。地元の人々が長い間信じていたアルテミスの女神を本当の神ではないと教えるキリスト教は、馴染んでいた女神との生活を真っ向から否定するもので、地元の人々によって厳しく抵抗されました。しかし、福音の力は劣ることがなく、女神の人形が売れなくなり、細工人たちの商売が妨害を受けるまでにいたりました。すると、商売人たちは大規模の集まりをして「偉大なのはエペソ人のアルテミスだ。(使途の働き9章28節)」と叫びながら反対運動を展開しました。そのような中でもキリスト教の信仰を守ることは危険を伴うことでした。苦しみが続きました。しかしながら、彼らは忍耐強く信仰を守り通しました。迫害の中でも、厳しい批判の中でも、信仰を守りました。それだけではありませんでした。彼らは信者たちを増やしました。また、悪いものたち、とくに、使徒と自称しているサクラ達を分別し、異なった教えを退けました。彼らはまるで、戦場の兵士たちのように、行い、労苦、忍耐をよく耐えていました。神様はこのような彼らの行い、労苦、忍耐を知っておられました。神様は私たち一人一人の、主の御名のために受ける行いと労苦、忍耐を見逃されることがありません。すべてをじっと見ておられます。すべてを観察しておられます。すべてを見抜いて、すべてのその目に記録しておられます。

このような誇らしいエペソの信者たちに神様は何と言われますか。4節をご覧ください。「しかし、あなたには非難すべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。」神様は誇らしいエペソの信者たちがその誇らしさをずっと保たせるために、彼らの致命的な問題点を指摘されました。それは、彼らが初めの愛から離れたことでした。離れたとは初めの愛ほど愛しなくなったことを意味します。また、離れたとは距離を置いたことを意味します。初めての愛が無条件的であったならば、今の彼らの愛は客観的でした。英語ではYou have foresaken your first love.とありますので、捨てた、忘れたと記録しています。聖書学者による注釈を見ると、この意味は偶然ではなく、故意に離れたことを意味すると、しています。かつてエペソ教会は愛のある教会として称賛されていました。パウロはエペソ教会の信仰と、すべての聖徒に対する愛とを聞いて、絶えず神様に感謝をささげていました。しかし、今、彼らにはその初めの愛がなくなっていました。冷えていました。いやむしろ、故意にその愛を捨てていました。神様はそのようなエペソの信者たちに何と言われましたか。「あなたは初めの愛から離れてしまった。」

5節をご覧ください。「それで、あなたは、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて、初めの行ないをしなさい。もしそうでなく、悔い改めることをしないならば、わたしは、あなたのところに行って、あなたの燭台をその置かれた所から取りはずしてしまおう。」神様は彼らに、どこから落ちたのかを思い出すようにされました。思い出すとは顧みることを意味します。思い出すことはいつから愛が冷えたのかを調べることを意味します。どんなことで愛しなくなったのかをチェックすることを意味します。これは所感((Life Testimony))を書くことを意味します。所感を書きながらどこから愛する気持ちが落とされたのかを思い出すようにという意味です。そして、それが分かったら「悔い改めて、初めの行いをしなさい」と言われます。初めの行いとは、神様に初めて出会った時の熱情と気持ちを取り戻すことを意味します。

何故、神様はエペソ教会に対して初めの愛を回復するようにと言われますか。5節の後半部をみると、それは教会の燭台を置かれたところから取り外さないためです。エペソの教会を神様の栄光を表す教会から取り外さないためです。エペソの教会が世の光として、塩として立派にその役割をずっと果たせるためです。神様は彼らがニコライ派の人々の行ないを憎んでいることをよいこととし、結論的にこう言われます。「耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。勝利を得る者に、わたしは神のパラダイスにあるいのちの木の実を食べさせよう。」これを見ると、エペソ教会に言われた御言葉はエペソ教会だけにとどまらないことを意味します。この警告とお話はエペソ教会のように初めての愛を忘れてしまった教会にも言われる、私たちにも適用される神様の御言葉であることを指します。「あなたには非難すべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。それで、あなたは、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて、初めの行ないをしなさい。」

''第二に、死に至るまで忠実でありなさい。''

エペソ教会が大都会の聖霊の働きが旺盛なところであったとすれば、スミルナ教会はむしろ何人かのユダヤ教の改宗者によって支えられる、貧しく迫害の苦しみに大変な信仰生活を営んでいる教会でした。スミルナはローマの皇帝崇拝が集中的に行われていた町でした。また、ローマの女神の神殿もあるところでした。その中でもスミルナの信者たちは皇帝崇拝を拒否し、ローマの女神に拝むことを拒否してきました。そのために受ける苦しみがありました。また彼らの生活の貧しさは神様もよく知っておられました。彼らの生活の苦しみも、多分にこのような皇帝崇拝やローマの女神を拒否したから得たものでした。彼らはスミルナの町の人たちから見放されていました。スミルナの町の人たちによって嫌がらせを受けていました。彼らはローマの市民として、皇帝崇拝が義務付けられていましたがそれを拒否して、キリスト・イエスだけを信じていました。イエス・キリストのみを拝む対象としていました。そのために受ける彼らの見えない迫害と白い目で見られる環境は息苦しく、心を縮ませていました。彼らが女神や皇帝崇拝に妥協しなかったがために、彼らは貧しい生活に強いられていました。彼らは多数の皇帝崇拝者、女神崇拝者たちの中に住む少数のキリスト教集団でした。彼らは信者なのかどうかも普段はわかりませんでした。彼らは隠されていましたし、表に見えないキリスト教の信者たちでした。彼らはいわば隠れキリシタンでした。

そのような彼らはユダヤ人だと自称している人々によってからかわれていました。無視されていました。批判されていました。堂々たる信仰人としての姿がないと言われながら、十数人が集まって礼拝していました。彼らは雰囲気に縮まり、自分たちを自虐していました。彼らの礼拝は親子、親戚、近所の人々数人が全部でした。多くの人々が集まるエペソの教会とは違って、しょんぼりとした教会でした。彼らはからかわれ、罵(ののし)られていました。

しかし、神様は彼らのことを何と言われますか。「わたしは、あなたの苦しみと貧しさとを知っている。・・しかしあなたは実際は富んでいる。・・またユダヤ人だと自称しているが、実はそうでなく、かえってサタンの会衆である人たちから、ののしられていることも知っている。」神様はスミルナの教会のことを、誰よりも知っておられました。よく分かっていました。彼らが貧しく、苦しみに預けられていることもよく知っておられました。しかし、神様からすれば彼らは富んでいる信者でした。10節をご覧ください。「あなたが受けようとしている苦しみを恐れてはいけない。見よ。悪魔はあなたがたをためすために、あなたがたのうちのある人たちを牢に投げ入れようとしている。あなたがたは十日の間苦しみを受ける。」彼らは苦しみを恐れながら生活をしていました。彼らは牢に投げ入れられる環境に処せられていました。しかも、彼らの生活は良くなるところか、彼らには十日間の苦しみが予定されていました。彼らには死に至るような厳しい環境が待ち受けていました。しかしながら、神様は彼らが実際は富んでいるものだと言われました。なぜでしょうか。それはその苦しみと恐れ、牢に入れられる環境と十日間の苦しみなどが、神様によって用意され、神様によって計画されたからでした。しかも、神様によって守られることまでしっかりと計画されているからでした。彼らは神様によってその人生が導かれている人々でした。彼らにとって苦しみと悲しみ、迫害と牢に入れられる悲しみは、彼らに必要なもので、神様の用意された彼らへの愛の表現でした。神様が特別にスミルナ教会に用意し、彼らだけしか体験できない神様の祝福の条件でした。それで神様は言われました。「あなたは実際は富んでいる。」

その彼らに神様は何を要求されていますか。10節の後半部をご覧ください。「死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与えよう。」神様は彼らのこれからの苦しみと悲しみを予言し、それを取り除こうとされませんでした。彼らに安全な道を切り開き、導くとも、慰労するとも、信者を増やせるとも言っておりませんでした。むしろ、神様は彼らに、どのような環境であっても、神様への忠実をささげるようにと要求されました。むしろ、死に至るまで同じ環境が続くとしても、御言葉に充実でありなさい、と言われます。環境や状況を恨まず、不平不満を言わず、エペソ教会と比較せず、現在、自分たちが実際はとても富んでいることに感謝をささげ、死に至るまで忠実であるよう、スミルナの教会の人々に求めています。

その時、彼らにはどんな約束がありますか。「そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与えよう。」スミルナの教会の人々には命の冠が用意されていたのです。彼らには迫害が待っていましたし、ユダヤ人だと自称している人々によってからかわれたり、無視されていました。信者として生きていたが為に、食べ物がないほど貧しく、アルテミス神殿のことで、皇帝崇拝のことで葛藤していました。しかし、彼らが死に至るまでキリストに対する信仰に忠実であるとき、主の与えてくださった使命に忠実であるとき、彼らにはいのちの冠が待っているのです。いのちの冠の主人は神様です。いのちの冠は、私たちの現在の様子や努力の度合い、世の地位によるものではありません。一方的な神様の恵みにより、神様がふさわしいと判断される、選ばれた人々に与えられる神様のプレゼントなのです。この「いのちの冠」はスミルナの教会の人々が、死に至るまで忠実であるとき、与えられる神様のプレゼントです。これが神様のスミルナ教会に対するお約束です。神様のお約束は絶対に破られることがありません。

メッセージの準備する時に、久しぶりに所感を長く時間がありました。そして所感を書きながら、私には初めの愛があったことを思い出しました。その愛は驚きでした。私の霊的な生まれ故郷、春川で私はもう一度生まれました。その時まで、わたしはどんなに頑張っても私の人生には希望がないと確信していました。精神的にはもう年を取ってしまった75歳のアブラハムでした。しかし、神様が春川センターのドアをノックしてから、私の人生に光を、希望を、夢をくださいました。私は別人になっていました。それは瞬時の出来事でした。イエス・キリストの血の力を信じたその時でした。「主はキリスト」と告白しただけで、私の人生は暗闇から光に変わっていました。イエス・キリストの御名の力は不思議なものでした。イエス・キリストの信仰は理論ではなく実際のものでした。私の人生は変わりました。サラ宣教師が、1月1日に、私に言いました。「ダビデ宣教師。これからも沢山の子供を産みましょうね。」「もう沢山ですよ。」しかし、これは霊的な意味がありました。神様は肉的に与えてくださった沢山の子もたちが、今年からは霊的に生まれる年になれるよう、祈り始めるという意味でした。私はそれにこたえようと、ダビデとマンツーマンの聖書勉強を始めました。とても恵みがありました。私が初めての愛を取り戻し、多くの人々にそのお恵みと驚きを述べ伝えることができますように祈ります。

神様が私を高校卒業後、春川に籍を置かれ、10年間、新しい創作物を作られました。日本宣教師として呼ばれた1990年4月から10年間、2000年3月まで、生活のため新聞配達も、アルバイトに強いられる日々でした。論文のためまともに寝床で寝れない日々が続いていました。しかし、神様は飢え死にさせず、立派に生活を営むように、立派に論文を仕上げるように、祈りの課題であった博士を取るよう、日本で職場を得るよう、助けてくださいました。2000年4月から、一年間、私は友人の会社に籍を置き、安息年を迎えました。この一年間は、体も心も次第に雪溶け水のように溶け、神様からの平安を享受し、安息の喜びを味わうようになりました。今でも私は、その時に見ていた風景を見るだけで、心の安らぎを感じます。

そして2001年、私は新しい神様のプロジェクトに参画しました。日本の大学生たちに福音を述べ伝えるためにお呼びになった確かな目的を達成するために、キャンパス生活を始めさせてくださいました。神様は黙々と神様のプロジェクトを進めておられたのでした。あわただしく、不安を覚えていた私とは違って、神様は海の底流のように、次から次へとそのご計画を実行しておられました。私はLife Testimonyを書きながら、私の人生にとって10年という節目があることに気付かされました。神様は10年間で、田舎生まれの私をソウルに、ソウルで育った私を10年後春川に、そして信仰の道に目を覚ますようにしてくださいました。そして、日本に派遣されてから10年間、日本で生きるための基礎訓練をされました。しかも、神様は一年間の安息年をボーナスとしてくださり、2001年、長崎のキャンパスミッションをスタートさせてくださいました。そして、今年、神様は長崎大学でのキャンパス宣教のための環境を完璧に用意されました。よっぽどのことがない限り、誰も、この環境を妨害できないようにしっかり防波堤を作られました。そして2010年、神様は私の人生において新しい節目の年を迎えるようにしていることに気付かされました。2009年はその準備をする年として迎えるよう、御言葉を与えてくださいました。「死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与えよう。」

日本で信仰生活をするのは、特に、宣教師としての生活は厳しく、まるでスミルナ教会のような状況に処せられます。苦難と貧しさが続きます。スミルナ教会のように、10年間の苦しみが予告される気がします。どこを見ても明るい様子はなく、ますます厳しい状況が続く一方です。しかし、神様はこのスミルナ教会のような私たちに、「わたしは、あなたの苦しみと貧しさとを知っている。・・しかしあなたは実際は富んでいる。」という御声を聞いているような気がします。外面的な祝福が祝福ではありません。目に見える祝福が祝福ではありません。むしろ、そのような祝福は私たちを高慢にさせ、地に落とされる罠になる可能性が高いです。日本のような苦しみ、貧しさが、実際は私たちを富ませるものです。神様はこのような私たちに言われます。「死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与えよう。」日本の教会は死に至るまで苦しみが、悲しみが続くかもしれません。貧しさが続くかもしれません。ユダヤ人だと自負する人々によってからかわれ続けるかもしれません。しかし、そうなるとしても、私たちには使命があります。神様が私たちに与えられたキャンパスミッションが、福音伝播の使命があります。今、私たちがやるべき仕事の使命があります。それを黙々と続くことが、私たちに求める神様の願いです。その時、私たちには命の冠が約束されています。華やかなことを夢見ることをやめて、死に至るまで忠実であることを誓うべきです。忠実とは、責任持って行うことを指します。神様が与えてくださった仕事に対して、主人意識を持つマスターになることです。

私は朝の祈りを忘れていました。私は日本に来てスタートした宣教報告の手紙を忘れていました。何よりも、私は長崎大学に対する神様のミッションを離れていました。私には、すっかり用意された宴会場にお客さんを招待することを忘れていました。「さあ、食事の用意ができました。雄牛も太った家畜もほふって、何もかも整いました。どうぞ宴会にお出かけください。」と長崎大学キャンパスを叫び回る一年になりますように祈ります。私たちが皆、心を合わせて宴会場のマスターになり、客を招待しますように祈ります。「さあ、食事の用意ができました。雄牛も太った家畜もほふって、何もかも整いました。どうぞ宴会にお出かけください。」



トップ   新規 一覧 検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS