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2009年長崎UBF Ten Step 2ndメッセージ --> 問題紙


人間、神の形

Messenger:MSN.Caleb

御言葉:創世記1:26-2:3
要節:創世記1:27「神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。」

私達は先週、この世の起源について学びました。聖書の初めての言葉である創世記第1章1節は宣言しています。「初めに神が、天と地を創造した」この短い一節の御言葉を受け入れるとき、私達の人生観、世界観が大きく変わります。今日は10stepの第2講目として、人を創造された神様について勉強したいと思います。今日の本文は大きく4つに分けられます。一つ目に、神様は人をご自身の形に造られました。二つ目に、神様は人に使命を与えてくださいました。三つ目に、神様は人をお造りになって「それは非常に良かった」と言われました。最後に、神様は創造の第七日目を祝福し、創造のわざを休まれました。今日の御言葉を通して、神様の前で私達の存在がいかに尊いものであるかについて、また私達に与えられた使命とはどういうものかについて学ぶことができますように祈ります。

Ⅰ.神様は人をご自身の形に造られました(1:26,27)

神様の創造のわざの中でクライマックスは人間創造です。神様は人を創造するために、6日間にかけてあらゆる万物を創造されました。神様はすべてのエネルギーの根源である光、太陽と月、夜空に輝く星、陸と海、それから種類にしたがってあらゆる植物や、種類にしたがってすべての動物を創造されました。このようにすべての自然万物を創造してから最後に人を創造されました。それは人が、すべての被造物の中で、最も重要な存在だったからです。まるで、結婚式の時、すべての用意ができたところに美しい花嫁が登場するようなものです。その時、司式者は「今日の主人公花嫁の登場です。」と言います。すると、みんなが起立して拍手で花嫁を迎えます。このように、神様は宇宙という舞台に人間が生きられるベストの環境を造ってから、最後の傑作品として主人公となる人間を造られたのです。人は創造の花であり、創造の完成、創造の栄光の冠です。それでは、神様は人間をどのように創造されましたか。

 26節と27節をご覧下さい。「神は仰せられた。『さあ、人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配するように』 神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。」とあります。

この御言葉により私達は、神様が人間を創造するに当たって、他の被造物を造る時よりも、より深く考え、特別な御旨を置かれていたことが分かります。神様は「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。」と仰せられました。ここで、われわれのかたちとは、「the image of God」 つまり神様のイメージ、神様の品性を表しています。神様のイメージには何がありますか。例えば、神様は愛です。人間には神様の愛のイメージがあるために、常に愛する相手を探し、また愛を求める心を持っています。また、神様は真理です。そのために、人間は世の中で正しいこと、変わらない真理を求める心を持ち、それに従って生きたがっています。何よりも人間がもっている最も大事な神様のイメージは、魂をもっていることです。魂があるがゆえに、人間は被造物の中で唯一神様と霊的なコミュニケーションができます。霊的なコミュニケーションとは神様に祈ることです。神様を求め、賛美することです。人間以外に祈る動物はいません。お猿さんも祈る真似はするかもしれませんが、自分の悩みや願望について神様に相談することはできません。生物学者の中には、さると人間の遺伝子が似ているからさると人間は親戚であると主張しています。親子で遊んでいるさるや温泉をしているさるたちを見ると本当に人間と似ているのは間違いないです。実際、チンパンジーと人間のDNAは98.9%似ていると言われています。しかし、この1.1%の違いこそが、チンパンジーが絶対人間になれないギャップなどです。チンパンジーが数百万年の間に人間という新しい種に進化したのではなく、チンパンジーは元々チンパンジーとして、人間は元々人間として造られたのです。どの時代、どこの国の史跡を調べても人間は神という絶対者を求めて礼拝した痕跡があります。これは人間が魂の所有者であることの証です。われわれ人間が他の被造物と違うところは、魂があり、神様を求める心を持っていることです。動物は、お腹がいっぱいであれば満足します。ライオンもお腹がいっぱいになれば優しくなります。しかし、人は口に入る食べ物だけでは満足しません。体の休みだけでは本当の疲れがとれません。魂を持っている人間は、神様と交わるとき、真の平安と幸せを得ることができます。人間が不幸になり、この世に犯罪が氾濫しているのは、人間が神様のイメージを失い、神様から離れたからです。破壊された環境を修復しようという動きが世界各地で起こっていますが、人間として破壊された神様との関係性を回復するのは、それ以上に大切なことです。私達がこの冬10stepの御言葉を通して、失われた神様のイメージを取り戻し、神様の中で価値と意味のある人生送ることができますように祈ります。

Ⅱ.神様は人に使命を与えてくださいました(1:26b,28)

それでは神様が人間を造られた目的はなんですか。26節後半部をもう一度ごらんください。「彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配するように」また、28節をご覧下さい。「神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。『生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。』」神様は世のすべてのものを支配させるために人間を造られました。人間を万物の霊長と言われていますが、その根拠もここにあります。生めよ、ふえよ、従えよ、支配せよと言われていますが、これは自然を人間の好き勝手に、どのように扱っても良いということではありません。破壊を意味するのではなく、よく守って管理せよという意味です。神様は、神様―人間―被造物という霊的な秩序を立ててくださいました。人間の心や世界が乱れているのは、この秩序が守られていないからです。敬うべき神様をすてて、管理すべき被造物を拝みの対象とすると人間は真の幸せを得ることができません。親は子供がかわいくてお菓子を買って上げますが、お菓子をもらった瞬間、子供は親よりお菓子に愛着します。しかし、賢い子供は親への感謝を忘れません。幼稚な話かもしれませんが、実際人間は、すべてを用意してくださった神様より、自分の欲求ばかりを求めているのです。しかし、本当に賢い人は、神様を求め、神様に感謝します。私達が毎日、使っている水や空気、太陽の光、あらゆる食物の根源はどこにありますか。今から10分だけこの地球に空気がなくなったら私達はどうなりますか。地球が急ブレーキをかけて10秒だけ止まったらどうなりますか。わずか数秒間の地震があってもパニック状態になります。私達は目の前のお菓子にだけ夢中になっている子供のように、あまりにも神様の存在を意識せずに生きています。しかし、神様―人間―被造物という霊的な秩序をよく守るとき、本当に祝福された人生を送ることができます。祝福と言えば、お金が目に浮かびがちです。宝くじに当たった人は祝福された人のように見えます。能力があって力を持っている人が祝福されていると思いがちです。経済的に豊かな国で生まれて祝福されていると思いがちです。最近、世界的な不況の中で、オーストラリアの小さな島で夢のようなおいしい仕事があって話題になっています。仕事の内容は、オーストラリア北部のハミルトン島の文化と美しさをPRする目的で、6カ月間ビデオのブログを通じてその観光を促進するというものです。具体的には海の魚への餌やり、プールの掃除、郵便物の回収のほか、スキューバ・ダイビングやハイキングをしたり、25以上の付近のリゾートの島々を体験することが求められます。島の豪華な家に住みながら半年間約1000万円がもらえるそうです。現在応募が殺到しているようですが、その仕事に選ばれた人は祝福されたと言うでしょう。

しかし、そのようなことも祝福かもしれませんが、聖書でいう祝福とは、神様から頂いた使命を一生懸命果たすことです。「神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。『生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。』」これは、神様ご自身でもできることです。しかしわざわざ人間に、この使命を与えられたのは、それだけ人間を愛し、人格的な関係性を持ってパートナーとして働くことを願っておられたからです。神様は使命と共に、人間のために食べる問題を解決してくださいました。

 29、30節をご覧下さい。「神は仰せられた。『見よ。わたしは、全地の上にあって、種を持つすべての草と、種を持って実を結ぶすべての木をあなたがたに与えた。それがあなたがたの食物となる。また、地のすべての獣、空のすべての鳥、地をはうすべてのもので、いのちの息のあるもののために、食物として、すべての緑の草を与える。』そのようになった。」とあります。神様は人に使命を与えられた後、食べる問題を解決してくださいました。多くの人々は何を食べるか、何を飲むかの事で心配し、不安の中で生きています。特に、最近のニュースを聞くと不況の影響で人々の不安が増していることが分かります。イエス様の弟子たちにも食べる問題がありました。イエス様は食べ物で心配している弟子達に言われました。「空の鳥を見なさい。種まきもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれでも、あなたがたの天の父がこれを養ってくださるのです。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。」「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」(マタイ6:33)。

神様は使命のある人の食べる問題、生活問題を解決してくださいます。そして、その人生を祝福してくださいます。私は最近、新しい職を探しています。しかし、年齢のバリアもあり、かなり厳しい状況の中で、不安を感じているのが事実です。イエス様の弟子たちのように4月から何を食べようか、どうなるのかと心配していました。しかし、神様は神の国とその義とをまず第一に求めるように、神様から頂いた使命を忠実に行うように言われます。そうすれば、それに加えて生活に必要なすべてを与えてくださると約束してくださいました。実際、神様は12年前に信仰だけを持って来日した私を不思議な導きで養ってくださいました。未知の世界、新しい環境に変わり、不安であった私に研究も仕事も家族もベストの形で与えてくださいました。自分の力では不可能のように見えても2年で学位が取れるようにただ祈ったとき、そのとおりに導いてくださいました。この神様に感謝します。そして、これからの生活環境もベストの方法で作ってくださることを信じます。

Ⅲ.神様は人をお造りになって「それは非常に良かった」と言われました(1:31)

31節をご覧下さい。「神はお造りになったすべてのものを見られた。見よ。それは非常によかった。夕があり、朝があった。第六日。」神様はものを創造されるたびに「それを良しとされた」と感想を言われました。ところが、第六日に人間をお造りになってからは「見よ。それは非常によかった。」「It was very good」と所感を発表されました。神様は人を見て極めて良かったと大満足されたのです。神様が人を造られたことによって、この世は傑作品になりました。ですから、もし人間が造られなかったなら万物は未完成の作品だとも言えるでしょう。それほど人間の存在は神様の御前で絶対的な価値と存在意味があります。人はどうして心が高ぶったり、劣等感を感じたりしますか。それは、神様の前で自分の存在意味を悟らず、人と自分を比較しているからです。昨夜聖書勉強の時間にも話しましたが、私達が良く知っている童話の白雪姫に登場する女王のセリフを覚えていますか。「鏡よ。国中で、だれが一番うつくしいか。いっておくれ。」すると、うそを付かない鏡は答えました。「女王さま。ここでは、あなたがいちばんうつくしい。けれども、白雪姫は、千倍もうつくしい。」これを聞いた女王はびっくりして、ねたましくなって、顔色を黄色くしたり、青くしたりしました。ついに白雪姫を殺します。もし、この女王が鏡の前に立たず、聖書を読んでいたら、白雪姫のストリーは大きく変わったかもしれません。彼女は神様の前で自分の存在を認識するより、人と比較し妬み、殺人にまで至ったのです。神様は人をタイヤキみたいにまったく同じ形に造りませんでした。双子であっても必ず違うところがあります。私という存在は世界でonly oneなのです。人の中には、肌色が黒の人もいれば、白の人もいます。足が長い人で病弱な人がいれば、足は少々短くても元気な人がいます。髪の毛がふわふわしてお腹の周りが太っている人もいれば、少々髪の毛の数が足りなくても体格が良い人もいます。歌が上手で運動神経が鈍い人もいれば、陸上選手でも音痴の人がいます。顔がきれいでわがままな人がいれば、あまり目立たなくても心が純粋な人もいます。要するに、この世の中には多様な人がいて神様はその一人一人を喜ばれ愛しておられます。神様は人間を同じ寸法の同じ性質をもつロボットの形で大量生産せず、一人一人に人格と特徴を持たせ、ロボットにはない自由意志を与えてくださったのです。私たちが神様の天地創造、そして神のかたちに造られた人間創造を信じるとき、人生が変わります。無意味、無感動、虚しい人生から救われて神のかたちを回復し、神の皇太子として堂々と生きることができます。創造主神様に非常に喜ばれた者として実る人生、勝利の人生を送ることができます。

Ⅳ.安息日をお与えになった神様(2:1‐3)

天と地とすべての万象を完成させた神様は何をされましたか。1-3節をご覧下さい。「こうして、天と地とそのすべての万象が完成された。神は、第七日目に、なさっていたわざの完成を告げられた。すなわち、第七日目に、なさっていたすべてのわざを休まれた。神は第七日目を祝福し、この日を聖であるとされた。それは、その日に、神がなさっていたすべての創造のわざを休まれたからである。」とあります。神様が第七日目に休まれたのは、疲れたからではありません。神様は六日間造られたものを楽しまれたのです。そして、人間との交わりを喜ばれました。これが祝福です。私たちも安息日には神様がなさった力あるわざを顧みて感謝し、神様の恵みを喜び楽しむ日として守るべきです。すると、神様の祝福と癒しが与えられます。

 教会に来て礼拝することは単純な宗教活動ではありません。前にも話したように、人間は魂をもっている存在です。体の休みは、温泉に行ったり、マッサージを受けたりすれば取れるかもしれませんが、魂の休みは神様との交際でしかとれません。心の罪は、激しい運動をしても、シャワーを浴びても消えません。神様の言葉の前に、罪の重荷を下ろし悔い改めるとき、すべての罪は赦され、雪のように白くなります。神様はそのために、私達に安息日をくださいました。

結論的に、神様はご自分のかたちに人を造られました。そして神様はそれを非常に喜ばれたことについて学びました。ですから、私達はこの神様の御前で新たに本来の自分の存在を発見し、神様の栄光のために生きるべきです。人の前で、人を意識して生きるとき、高慢になったり、劣等感で苦しんだりするしかありません。私達が神様の御前で、恵みと力に満たされ、活気のある人生を送ることができますように祈ります。

ハレルヤ

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Last-modified: 2020-12-26 (土) 22:07:23