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2011年長崎UBF、創世記勉強、その3 --> 問題紙

エデン、神が与えられた楽園

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御言葉:創世記 2章4節~2章25節
要 節:創世記 2章8節「神である主は、東の方エデンに園を設け、そこに主の形造った人を置かれた。」

今日の御言葉はエデンについてです。エデンは神様が人間に与えられた楽園のことを指します。神様が人間に与えられた楽園ですから、この場所は人間にとって最高の条件であり、最適な場所、幸せが取り備えたところを意味します。私たちにとって一番の幸せが保たせる場所、一番の幸せが維持できる場所、これを指して「エデン」と言っています。神様はエデンを設計し、エデンを人間のためにご用意されたのです。今日はこのエデンについて学びましょう。

2章4節をご覧ください。これは天と地が創造されたときの経緯であります。神である主が地と天を造られたとき、地には、まだ一本の野の潅木もなく、まだ一本の野の草も芽を出していませんでした。それは、神である主が地上に雨を降らせず、土地を耕す人もいなかったからでした。ただ、水気をたっぷり含んだ霧が地から立ち上り、土地の全面を潤していた。神様がおつくりになった自然環境は再考の状態でしたが、また、主人公はありませんでした。7節を見ると、その後、神である主は、土地のちりで人を形造りました。六日目で神は動物をおつくりになりましたが、それと同じ日に神は人間をおつくりになりました。それで人間は六日目に創られた動物と同じ形、同じ姿を保つようになりました。人は動物の一種なのです。しかし、7節を見ると人間はまた動物の中での特別に、神様が施したものがありました。それが動物とは違った特別な部分となりました。それは「その鼻にいのちの息を吹き込まれた」部分です。人間には動物とは違って、その鼻に神様の息が吹き込まれたのです。聖書は次のように言っています。「そこで、人は、生きものとなった。」

1章26節を見ると、人間は「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。そして彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配させよう。」とした特別な意義を持って創られました。人間は神のかたちを持ったものです。そして、神様がおつくりになったすべての生き物を支配する権限を与えられたのです。人間は神よりは劣る存在として、万物の上に立つ支配者なる存在になったのです。今日の御言葉を見ると、人間には神様の息が吹き込まれたとあります。そこで、人は生き物となったとあります。神様の息と生きることが通じています。神様の息は人間にとって生きることなのです。神様の息が閉ざされる時、人間は生きることができなくなります。

哲学者であり牧師であったキール・ケッコールは彼の著書「死に至る病」の中で、人間を死に至らせるのは体の病気ではなく、絶望であると定義しています。絶望とは希望がない、諦める、断念することを意味します。私はこれをこのように解釈しています。絶望とは一言でいえば、希望がない、信念がない。信じるところがない、信じ切れない、信じない、信仰がないことだと。牧師であったキール・ケッコールは人間が生きることは希望があることにつなげていますし、それが信仰であると定義していたのだと見ています。信仰とは神様が生きておられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じることです。また、信仰とは死者の中からの復活により、大能によって公に神の御子として示された方、イエス・キリストが私たちの罪のため十字架で死なれたことを、信じることです。これらの信仰は人間が生きることに繋がります。信仰が閉ざされてしまう時、人間は死に至ると、聖書は定義しています。

神様はこのような人間のために、人間のいのちを守る環境を作り、東の方にエデンの園をご用意されました。そして、そこに主の形造った人を置かれのです(8)。エデンはどんなに素晴らしいところとして創られましたか。その土地から、見るからに好ましく食べるのに良い木が沢山ありました。いつでも食べられて、いつでも美しい木に包まれていました。特別に旅行をしなくても、私たちはいつも良い食べ物で満足し、良い環境と美しい素晴らしい景色を背景に生活することができていました。しかも、園の中央には、いのちの木、それから善悪の知識の木とを生えさせていました。そして言われました。「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ。」これだけ厳しい言葉はありません。食べたら死ぬ、と厳しい警告を人間は思い出しながら、神様への感謝、神様への畏敬感を覚えることができました。この警告があるがために、人間は最高の状態、信仰の状態、信頼と感謝の状態が崩されずに、維持することができました。

それだけではありません。18節を見ると、その後、神である主はこう仰せられました。「人が、ひとりでいるのは良くない。わたしは彼のために、彼にふさわしい助け手を造ろう。」と。神様は人間が一人の存在ではなく、関係性を持つ存在、他人と協力し合って生きる存在、特に、男と女が力合わせて生きる存在、として創られたのです。そこに幸せと喜びを置かれたのです。アダムがあらゆる動物に名前をつける使命を果たしている時、アダムに一番ふさわしいエバを創られました。人からあばら骨をとり、人から作り上げられた女が生まれました。アダムに近付けると、アダムの感動がどうですか。「これこそ、今や、私の骨からの骨、私の肉からの肉。これを女と名づけよう。これは男から取られたのだから。」

男が女の隣にいて幸せを感じること、女が男と一緒にいて喜びを感じること、は神様がおつくりになった不思議な感情です。多くの文学や映画、多くの芸術作品がこれを題材にしています。幸せがそこにあるからです。この幸せは神様の作品です。

以上から、神様がご用意されたエデンの幸せについて学びました。私たちにこのような幸せを与えてくださいました神様に感謝します。


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Last-modified: 2020-12-26 (土) 22:07:23