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2011年長崎UBF、創世記勉強、その1 --> 問題紙

神が天と地を創造した

Messenger:MSN.David

御言葉:創世記 1章1節~25節
要 節:創世記 1章1節「初めに、神が天と地を創造した」

聖書は神様について、神様ご自身が人間の知恵や指先を借りて記録した書物です。この聖書は創世記から黙示録まで、旧約聖書が39冊、新約聖書が27冊の、全部で66冊の書物で編んでいます。この66冊の聖書の中には神様のお言葉が宝石のように輝いています。その最初の書物の創世記に、一番初めに宣布されているお言葉が何でしょうか。

「初めに、神が天と地を創造した。」このお言葉が意味することは何でしょうか。

それは、すべての物事の始まりは神によってできた、ことを意味します。時間の始まり、宇宙のはじまり、物質の始まり、動物や植物、海や山、月や星、季節やこの美しい世界の始まりが神様によってできたと、宣言しています。。私たちはすべての物事の始まりについてあまり真剣に問いません。ほとんどの人々はすべての物事の始まりは偶然にできたと見ています。人々はたまたまこの世に生まれ、たまたま日本人になり、偶然に出会った人々と暮らしているのだと見ています。偶然の産物としての父親母親がいまして、ごく偶然に私という存在が、この地球に存在するようになったのだと見ています。しかし、よくよく考えて見ると、私たちはこの偶然にできた命や運命を、ただ偶然として整理できない、あまりにも不思議な現象や緻密さ、不思議な調和に驚くのです。私たちの腕一本の中に流れる血管の数や働き、傷ついたら動き出す様々な対策の動き、季節をまたがる美しい山やお花の美しさ、花が咲くための昆虫との調査、私たちがふだんは全く関心も持てないありの世界も、調べれば調べるほど驚くほどの調和と緻密な設計図面が出来上がっていることに気がつくのです。昆虫記を書いたファーブルはこの不思議さと驚く世界を、昆虫記の中に記録し、私たちの目を昆虫の世界、その不思議と緻密さと感動の世界に導いています。もし、今、宇宙を往復するコロンビア号や世界の検索エンジンの中身を、知恵の低いお猿さんが見れば、ただただの偶然としか整理しようがないように、まったくそのように、私たちは私たちの人生を、この宇宙を、星を、月を、季節を、海や山の植物、生物を、偶然の単語に整理してしまっているのです。ほとんどの人々はこのように考えていますし、自分の人生も偶然の産物であり、これからの人生も偶然の重なりあいであるとみています。

しかし、聖書はそのような考え方に一針を打っています。「初めに神が天と地を創造した。」これは神様が初めから、その考えられないほどの知恵と想像をはるかに超える超能力で、私たちは計画され、設計され、天が、宇宙が、この地が、植物が、自然の生き物が、動物が、更には人間が造られたのだと宣布しています。現代科学に携わる多くの科学者たちはこれらの設計図面を見つけるたびごと、驚き、感嘆しています。人間のゲノム図面が明らかになった時、私たちはただただ、驚き口をあいているばかりだったのです。科学者たちは正直言えば、このような驚く設計図面をまねること以外には何もできないのです。初めに神が天と地を創造されたのです。そして、その後計画と設計図面が公開されたのです。それが自然であり、私たち人間の姿なのです。また、聖書はその計画書の一部であります。私たちがこの計画書、設計図面を緻密に見ているうちに、その計画書と中身が見えてくるのです。アインシュタインが光について注目し、相対性理論を作り上げた背景にはこの聖書が根底にあったのです。私たちが聖書を、真実な神様の御言葉として受け入れるとき、私たちは神様のお心を、ご計画を垣間見る喜びと知恵を得るのです。

今日の御言葉を見ると、神様は天と地をおつくりになってから、感想文を残しています。それは、「よしとされた」です。よしとされたとは、計画通り、思い通り、設計図面通り創られたことを宣布するものです。神様の手によって作られたもの、自然、生物、動物、魚、この宇宙、世界の調和は神様によって「よし」と合格点を付けられたのです。この世に作られたもので、失敗作はなく、すべてのものに「合格」「よし」と名付けられたのです。上によって創られたもので、合格判定されてないものはないのです。自然や上の作品はすべて、人間の目から見れば傑作品です。


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Last-modified: 2020-12-26 (土) 22:07:23