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2013年長崎UBF エペソ人への手紙 第3章 メッセージ

福音に仕えるもの

Messenger:MSN.David

御言葉:エペソ人への手紙 3:1-21
要 節:エペソ人への手紙 3:7「私は、神の力の働きにより、自分に与えられた神の恵みの賜物によって、この福音に仕える者とされました。」

今日の御言葉は、パウロが愛するエペソの聖徒達に書いた手紙の中でも、信者が持つべき心の姿勢について記録したものです。内容は三つに大別されます。

第一に、前代未聞の奥義、異教人伝道の恩恵です(1-13)。

パウロは今、ローマの監獄に入れられ裁判を待っている囚人です。人々は自分たちに福音を述べ伝えたパウロが牢に入れられたことについていろんな思いを巡らしていました。自分の人生を信仰の世界へと導いてくれた人が世の中で評価されることなく、むしろ裁かれる立場になる場合、私たちはどのような気持ちになるのでしょうか。きっと、信仰の世界についていろいろと疑問符を持つことでしょう。実に、エペソ教会はパウロを信仰の父としていたがために、このような考えを持っている人々が多かったに違いありません。

パウロはこのようなエペソ教会の人々に自分を弁明しています。その一つは自分が囚人となったのは人間的な罪科のための囚人ではなく、「イエス・キリスト」の囚人であることです。イエス・キリストを信じ、信頼することにより得られた冠としての囚人であると、今の立場を紹介しています。そこまで至ったのは神様の恵みによるもので、直接的な原因は前代未聞の奥義であると説明しています。3節、この奥義は、啓示によって私に知らされたのです、と前代未聞の、誰もが予想もつかない、知らなかった奥義を紹介しています。その奥義は啓示によって知らされたのです。パウロはその奥義を詳細に記録し、エペソの人々に書き送ったのです。それを読めば、パウロがキリストの奥義をどう理解しているかがよくわかるはずだと、しています。

それでは、その奥義は何でしょうか。5節、この奥義は、今は、御霊によって、キリストの聖なる使徒たちと預言者たちに啓示されていますが、前の時代には、今と同じようには人々に知らされていませんでした、と紹介しています。御霊の働きがなかった時代、人々はこの奥義を知りませんでした。御霊により人々は奥義を知るようになりました。6節、その奥義とは、福音により、キリスト・イエスにあって、異邦人もまた共同の相続者となり、ともに一つのからだに連なり、ともに約束にあずかる者となるということです。

奥義とは福音であるとしています。福音とはGood News、つまり良い知らせを意味します。とくに、パウロの福音は異邦人へのGood Newsを意味します。旧約聖書によれば、異邦人は滅びゆく存在です。まったく救いの可能性がゼロである存在、生きているが死ぬために生きているようなものです。彼らはいくら頑張っても、生まれから滅びゆく悲しい人生にすぎないのです。神の律法を持つ、その律法を守る、選ばれた種族、王である祭司、アブラハムの子孫であるユダヤ人だけが救いあげられる存在でした。しかし、パウロは御霊の働きにより、キリストの聖なる使徒たちと預言者たちにより、Good Newsが解き明かされたのです。それは異邦人であっても、イエス・キリストの十字架の死とその復活を心から信じることにより、救いが訪れたことです。そして、それを証明してくれたのがエペソの信者たちであり、イエス・キリストを受入れ、信じることにより救いを体験している人々でした。パウロが伝えた奥義とは、信仰による救い、信仰による体験、信仰による証人になることです。パウロはエペソの人々がみんな、この奥義の証人であるとしています。

そこで、パウロは次のように自己紹介をしています。7節、私は、神の力の働きにより、自分に与えられた神の恵みの賜物によって、この福音に仕える者とされました、と。そのため、今、ローマの監獄にいる囚人となったのだと説明しています。パウロは引き続き、この福音、前代未聞の奥義がキリストの測りがたい富であるとしています。8節、すべての聖徒たちのうちで一番小さな私に、この恵みが与えられたのは、私がキリストの測りがたい富を異邦人に宣べ伝え、とあります。パウロは奥義が、福音が、キリストの測りがたい富であると説明しています。しかも、キリストの測りがたい富であるとしています。福音は、奥義は、キリストの測りがたい富なのです。キリストの中にすべてがあるからです。健康な生き方も、病気からの逃れも、立派な人生の成功も、キリストの中にあるからです。その富は測り知れない富です。無尽蔵の富です。パウロは自分が、この、万物を創造された神の中に世々隠されていた奥義を実行に移す務めが何であるかを明らかにするためにほかなりません、と断言しています。

この世を支配している勢力に対して、神様は教会を通して、神の豊かな知恵が示されることを願っています。これは、私たちの主キリスト・イエスにおいて実現された神の永遠のご計画に沿ったことです。パウロは、この世を支配している勢力により策略により、監獄に入れられたのではないことを伝えています。それでパウロは13節で、ですから、私があなたがたのために受けている苦難のゆえに落胆することのないようお願いします、としています。パウロが受けている苦しみは、そのまま、あなたがたの光栄、信者たちの栄光なのです。

第二に、エペソの信者のための祈り(14-19)

パウロは引き続き、信者たち、教会のために祈っています。その祈りの課題を見ると、信者が究極的に学ぶことが何であるのか、何のために信仰生活をするのか、信じることにより得られる最高の善が何なのかについて学びます。

祈りの第一は、内なる人が強くなることです。「どうか父が、その栄光の豊かさに従い、御霊により、力をもって、あなたがたの内なる人を強くしてくださいますように。」パウロが信者たちのためにささげた祈りは、エペソの人々が御霊により、イエス・キリストの力を持って、内なる人が強くなることでした。これはエペソの人々を考えるときに、パウロの心から最初出てくる祈りの課題でした。エペソの信者たちにとって一番の求められる資質でした。また、パウロからしてこの祈りの課題は実現可能なものでした。エペソの人々が御霊により、力を持って内なる人が強くなるとき、真の信者としての姿を保つことを確信していました。私は今年度、祈りの中で、この御言葉を、教会の要節としました。一人ひとりが御霊により力を持って、内なる人が強くなりますよう、祈ります。また、パウロの切なる祈りをいただく気持ちで、一人ひとりの内なる人が強力に強くなりますように祈ります。

祈りの第二は、信仰による生き方です。「こうしてキリストが、あなたがたの信仰によって、あなたがたの心のうちに住んでいてくださいますように。」信仰は信者の根本であり、土台です。信仰によりキリストは私たちの心に住んでいてくださいます。パウロの第二の祈りは信仰により、エペソの信者たちの心にキリストが住んでいてくださる、ということです。

祈りの第三は、愛に根ざすことです。「また、愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、すべての聖徒とともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。こうして、神ご自身の満ち満ちたさまにまで、あなたがたが満たされますように。」愛はすべての上に勝るものです。信仰と希望と愛はいつまでも残ります。その中でも愛は一番なのです。人知をはるかに超えたキリストの愛とは十字架の愛です。犠牲の愛であり、従順の愛です。素直に受け入れる最高の愛であり、神様への絶対的な愛です。十字架にこめられたこのキリストの愛に、私たちの人生が根ざすこと、これがパウロの切なる祈りであり、エペソ教会の人々が目指すものだったのです。

第三に、栄光の神に祈り(20-21)

最後にパウロは栄光の神に祈ります。「どうか、私たちのうちに働く力によって、私たちの願うところ、思うところのすべてを越えて豊かに施すことのできる方に、教会により、またキリスト・イエスにより、栄光が、世々にわたって、とこしえまでありますように。アーメン。」

この祈りは今もなお、信じる私たちの上に働きます。私たちの人生を導く力となります。今年、私たちの心に、パウロの祈り通り、内なる人が強くなり、信仰の生き方を持って、愛に根ざすことができますように祈ります。

ハレルヤ


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Last-modified: 2020-12-26 (土) 22:07:23