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2012年長崎UBF Ten Step 2ndメッセージ --> 問題紙


人間、神の形

Messenger:MSN.David

御言葉:創世記1:26-2:3
要節:創世記1:27「神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。」

創世記は神のインスピレーションにより記録されたものです。出エジプト記31章18節を見ると、十戒を記録したのも神の指である、と記録しています。「こうして主は、シナイ山でモ―セと語り終えられたとき、あかしの板二枚、すなわち、神の指で書かれた石の板をモ―セに授けられた。」ですから、聖書の言葉は神様の秘められた奥義を説明しているのだと理解することができます。今日の御言葉の内容は神様の人間創造の部分です。つまり、聖書が説明する人間論なのです。人間について聖書は何を教えているのでしょうか。

第一に、神は人を、ご自分の形に造られました。

神様は六日間、創造の業をなさいました。その中でも一番最後に造られるのが人間です。神様の創造のわざの中でクライマックスは人間創造であることが分かります。逆にいえば、神様は人間を作るために六日間の創造活動をされたのです。神様はすべてのエネルギーの根源である光を、それから種類にしたがってあらゆる植物や動物、を創造されました。それから最後に人を創造されました。神様は宇宙という舞台に、さらに地球という舞台に、人間が生きられるベストの環境を造ってから、最後の傑作品として主人公となる人間を造られたのです。聖書は人が創造の花であり、創造の栄光の冠であるとしています。聖書は人間がどんなに優れたものよりも、一番力を入れ、工夫を重ね、主人公として作り上げたものであると宣言しているのです。

26節、27節を見ると、神は「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。」と宣言しています。「そして彼らに、海の魚、 空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配させよう。」とその目的をはっきりしています。さらに神は「神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された」とあります。

これを見ると、神様は人間を特別な存在として造られたことが分かります。神様は「われわれに似るように、われわれのかたちに」と言って、神のイメージで人間を作ったのだとしています。英語ではイメージ、神様の品性を表しています。神様は愛、神様は真理、何よりも、神様の特徴である魂の存在として造られたのです。魂があるがゆえに、人間は被造物の中でも唯一神様と霊的なコミュニケーションができるのです。霊的なコミュニケーションとは神様に祈ることです。神様を求め、賛美することです。人間以外に祈る動物はいません。お猿さんも祈る真似はするかもしれませんが、自分の悩みや願望について神様に相談することはできません。生物学者の中には、さると人間の遺伝子が似ているからさると人間は親戚であると主張しています。親子で遊んでいるさるや温泉をしているさるたちを見ると本当に人間と似ているのは間違いないです。実際、チンパンジーと人間のDNAは98.9%似ていると言われています。しかし、この1.1%の違いこそが、チンパンジーが絶対人間になれないギャップなどです。チンパンジーが数百万年の間に人間という新しい種に進化したのではなく、チンパンジーは元々チンパンジーとして、人間は元々人間として造られたのです。どの時代、どこの国の史跡を調べても人間は神という絶対者を求めて礼拝した痕跡があります。これは人間が魂の所有者であるがゆえに持つ証拠です。われわれ人間が他の被造物と違うところは、魂があり、神様を求める心を持っていることです。動物は、お腹がいっぱいであれば満足します。ライオンもお腹がいっぱいになれば優しくなります。しかし、人は口に入る食べ物だけでは満足しません。体の休みだけでは本当の疲れがとれません。魂を持っている人間は、魂の安らぎがない限り、真の平安と幸せを得ることができません。死刑囚の研究を続けた加賀乙彦さんは彼らの多くが魂の苦しみにさいなまれている様子を記録として残しています。加賀さんによれば、聖霊が、また悪霊が、人間の人生と将来とその死の世界までを主張しています。人間は彼が言っているように、魂の存在として造られたからです。

私たち人間は魂の場所があります。神様と呼吸を共にし、神様と意見交換をし、神様の願いを聞き、神様に希望を打ち出す、そのような存在なのです。この部分で一人一人成長しますように祈ります。

次に、神様は人に使命を与えてくださいました。

聖書は人間が造られた目的について「彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配するように」としています。神様は世のすべてのものを支配させるために人間を造られました。人間を万物の霊長と言われていますが、その根拠もここにあります。これを持って、神様は、神様―人間―被造物という霊的な秩序を立ててくださいました。神様がいて、人間ががいて、すべての創造物が存在するように造られたのです。人間は神様からずれば特別な存在、支配者、代理人、主要な人物として造られたのです。

それから、29、30節を見ると神様は人に使命を与えられた後、食べる問題を解決してくださいました。多くの人々は何を食べるか、何を飲むかが大事です。しかし、神様は使命のある人の食べる問題、生活問題を解決してくださいます。与えられた仕事、今の働きに専念する人々を、神様は決してないがしろにしていません。その食べる問題を解決してくださいます。私たちは何を食べるか、何を飲むか、を考える以前に、神様が今、私に与えられた仕事が何であるのかを真剣に考えるべきです。私がやるべき仕事が何であるのかを見つめるべきです。神様はその人々の食物を一番よいものとしてご用意されます。

第三に、神様は人をお造りになって「それは非常に良かった」と言われました。

31節をご覧下さい。「神はお造りになったすべてのものを見られた。見よ。それは非常によかった。夕があり、朝があった。第六日。」神様はものを創造されるたびに「それを良しとされた」と感想を言われました。ところが、第六日に人間をお造りになってからは「見よ。それは非常によかった。」「It was very good」と所感を発表されました。神様は人を見て極めて良かったと大満足されたのです。神様は人をタイヤキみたいに、人それぞれをまったく同じ形に造りませんでした。双子であっても必ず違うところがあります。私という存在は世界でonly oneなのです。人の中には、肌色が黒の人もいれば、白の人もいます。足が長い人もいれば、足は少々短い人もいます。髪の毛がふわふわしている人も、若干堅い人もいます。歌が上手な人がいれば、運動が上手な人もいます。顔がバランスを整えている人も、特別な形をしている人もいます。この世の中には多様な人が神様の創造の傑作品としてその美しさをアピールしています。その一人一人を神様は喜ばれ愛しておられます。神様は人間を同じ寸法の同じ性質をもつロボットの形で大量生産せず、一人一人に人格と特徴を持たせ、ロボットにはない魂を置かれたのです。私たちが一人一人素晴らしい存在です。「見よ、それは非常によかった」「Look, It was very Good!!」私たちが一人一人、神の王女、王子として堂々と生きることができますように祈ります。創造主神様に非常に喜ばれた者として実る人生、勝利の人生を送ることができますように祈ります。

最後に、神様は安息日をお与えになりました。

天と地とすべての万象を完成させた神様は、2章の前半部を見ると「こうして、天と地とそのすべての万象が完成された。神は、第七日目に、なさっていたわざの完成を告げられた。すなわち、第七日目に、なさっていたすべてのわざを休まれた。神は第七日目を祝福し、この日を聖であるとされた。それは、その日に、神がなさっていたすべての創造のわざを休まれたからである。」とあります。

人間は魂をもっている存在です。この魂の休みは神様との交際です。心の罪は、激しい運動をしても、シャワーを浴びても消えません。神様の言葉の前に、罪の重荷を下ろし悔い改めるとき、すべての罪は赦され、雪のように白くなります。神様はそのために、私達に安息日をくださいました。

結論的に、神様はご自分のかたちに人を造られました。そして神様はそれを非常に喜ばれたことについて学びました。ですから、私達はこの神様の御前で新たに本来の自分の存在を発見し、神様の栄光のために生きるべきです。人の前で、人を意識して生きるとき、高慢になったり、劣等感で苦しんだりするしかありません。私達が神様の御前で、恵みと力に満たされ、活気のある人生を送ることができますように祈ります。

ハレルヤ

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Last-modified: 2020-12-26 (土) 22:07:23