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2012年長崎UBF ルカの福音書 第2講 メッセージ --> 問題紙

バプテスマをお受けになったイエス様

Messenger:MSN.David

御言葉:ルカの福音書 3:1-38
要 節:ルカの福音書 3:21「さて、民衆がみなバプテスマを受けていたころ、イエスもバプテスマをお受けになり、そして祈っておられると、天が開け、」

今日はルカがすべてのことを初めから綿密に調べ、順序を立てて書いてある記録の中で、特に、イエスの登場の部分にあたります。時代は、皇帝テベリオの治世の第十五年、ポンテオ・ピラトがユダヤの総督、ヘロデがガリラヤの国主、その兄弟ピリポがイツリヤとテラコニテ地方の国主、ルサニヤがアビレネの国主であり、アンナスとカヤパが大祭司であったころでした。西暦30年代、今から約2000年前の記録です。

この言葉の背景には当時のイスラエルの事情を詳細に説明しています。イスラエルはダビデの王国を最後に国の力が衰退し、アッシリア、バビロニア、ペルシア、ローマ帝国の支配下に入り、国としての存在感がありませんでした。しかし、ルカの記録にもありますようにユダヤ人の間には大祭司がいて、彼らには忘れてないものがありました。それは神様を頼り信じることでした。彼らの国はなくなり、人々は国籍が変わりましたが、彼らにとって変わらないものがありました。彼ら、ユダヤ人は神様を信じ頼る人々であることでした。彼らは悲しいときにも、苦しいときにも、国がなくなった時にも、人々の顔色が混血して変わっていっても、心の中に変わらない守るものがありました。それは神様が彼らの上にあり、神様が彼らとともにしていることへの熱望でした。彼らは会堂を中心に生活し、彼らには大祭司を大事にし、教会を生活の基盤に置くことを守り通しました。彼らには何の権力も、何の誇れる華やかさも、お金も持っていませんでしたが、彼らからくっきりとした色づいているものがありました。それは「神様」でした。彼らは天と地を創造し、彼らを守る神様を信頼しました。そして、その神様が喜ぶことについて考えました。神様への心を守り通しました。

起源前、722年北イスラエル王国が滅亡し、起源前、598年に南のユダが滅亡した後、彼らにはもうお国をなくして600年が経っていたのです。彼らにはイスラエルという国の存在すら完全に忘れていたのです。彼らはローマ帝国の属国として、昔々、エジプトの奴隷として生きていた時代の、まるでそのような状況の中にいたのです。彼らには誇れるものも、持っているものもなく、何一つ輝かしいところが見当たらない状況だったのです。しかし、ルカはその彼らについて、組織としては大祭司が彼らの社会の中に構造化されていたこと、更には、神の言葉が荒野にいたザカリヤの子ヨヤネに下ったと記録しています。彼らは国をなくし、国籍を変え、顔色も変ったのかもしれませんが、彼らの心の中には神様を信頼し、神様の言葉を喜び、更には神様の言葉が臨む心を持っていました。

この時代、神様は私たちを、またうちの教会の家族を、神の民として選び分けられ、選ばれた種族としてくださいました。私たちは国籍が異なるかもしれない、皮膚の色が違うかもしれない、持っている職業や働く場所が異なるかもしれませんが、神の民であること、神に選び分けられた特別な種族であることには変わりがないのです。私たちは国をなくし600年がたった時点ても依然として大祭司を大事にし、彼らの組織の中に構造化していたユダヤ人、神様の言葉が臨み、感動する人々が時代の流れを作っていたこと、統治者たちにもものをいう人々であったことを学びます。

この二月、アメリカのニュージャージ州を訪問しました。ある美しい街並みの中にあるユダヤ人の会堂を、私を案内してくれていた宣教師はこう説明してくれました。彼らはこの会堂の周りに家を建て住み、いつも、彼らのよりどころにしていること、また、彼らの家族や子どもたちを守り、彼らを支えていると。彼らは一緒に集まり、真ん中の広い土地を教会の土地として配慮し、遊ぶ時にも、祈る時にも、礼拝の時にも、更には楽しむ祭りの時にも、ここにいてここで生活を営んでいる、とのことでした。私たちも、神様を信じる人々が教会を中心に、集まり、祈りし、更には喜びの祭りをしながらこの世の中での生活を営むことが神の知恵であることを悟るのです。長崎に、美しい教会の周りに、家族たちが祈りし、集まり、更には祭りを楽しむコミュニティが形成されますように祈ります。

さて、神のことばが、荒野でザカリヤの子ヨハネに下りました。そこでヨハネは、ヨルダン川のほとりのすべての地方に行って、罪が赦されるための悔い改めに基づくバプテスマを説きました。彼に下った神様の言葉はこうでした。「荒野で叫ぶ者の声がする。『主の道を用意し、主の通られる道をまっすぐにせよ。すべての谷はうずめられ、すべての山と丘とは低くされ、曲がった所はまっすぐになり、でこぼこ道は平らになる。こうして、あらゆる人が、神の救いを見るようになる。』」と。これはイザヤの言葉でした。イザヤ40章3節、「荒野に呼ばわる者の声がする。『主の道を整えよ。荒地で、私たちの神のために、大路を平らにせよ。』」と。

これを見ると、神の言葉が下ったとは、ヨハネが聖書の言葉による感動を受けたことを指します。ヨハネは聖書の言葉による感動だけではありません。言葉の感動を行動に起こしました。ヨハネは、彼からバプテスマを受けようとして出て来た群衆に言いました。「まむしのすえたち。だれが必ず来る御怒りをのがれるように教えたのか。それならそれで、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。『われわれの先祖はアブラハムだ。』などと心の中で言い始めてはいけません。よく言っておくが、神は、こんな石ころからでも、アブラハムの子孫を起こすことがおできになるのです。斧もすでに木の根元に置かれています。だから、良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。」

バプテスマのヨハネの使命感は特別なものです。悔い改めによる福音を徹底して実行したのです。その対象は目に見える罪人の限らず、神様の前に立つ罪人を対象にしていました。群衆は尋ねました。「それでは、私たちはどうすればよいのでしょう。」ヨハネは群衆の悔い改めのふさわしい生活の実を結ぶために「下着を二枚持っている者は、一つも持たない者に分けなさい。食べ物を持っている者も、そうしなさい。」と、具体的な悔い改めの実を結ぶように助けました。取税人たちにも、具体的に「決められたもの以上には、何も取り立ててはいけません。」と、取税人として生きている中で、具体的な悔い改めの実を結ぶように助けました。群衆は群衆でできることを、取税人は取税人でできる具体的な実行計画を求めました。兵士たちには「だれからも、力ずくで金をゆすったり、無実の者を責めたりしてはいけません。自分の給料で満足しなさい。」と方向性を与えました。バヨハネの悔い改めによるバプテスマの福音は、罪を悔い改め、悔い改めにふさわしい実を結ぶ具体的なものでした。群衆は群衆の立場で、取税人は取税人の立場で、軍人は軍人の立場で、更には政治指導者は政治指導者の立場で、悔い改めにふさわしい実を結ぶメッセージを伝えました。

ヨハネのメッセージには力がありました。バプテスマのヨハネのメッセージは自分で実践をし、具体的な実を結んでいたがためでした。救い主を待ち望んでいた群衆はヨハネについて、もしかするとこの方がキリストではあるまいか、と考え始めました。ヨハネをキリストと考えているほどでしたので、彼の力と名声がどれだけ強く、驚くほどのものであったのかが分かります。しかし、ヨハネはその力を誇りとせず、さらに力のある方の預言をします。本物のキリストについて、16節で次のように証言しています。「私は水であなたがたにバプテスマを授けています。しかし、私よりもさらに力のある方がおいでになります。私などは、その方のくつのひもを解く値うちもありません。その方は、あなたがたに聖霊と火とのバプテスマをお授けになります。」と。

ヨハネのバプテスマは水によるものでした。しかしながら、人々は変わりました。人々は勇気づけられました。人々は夢を見るようになりました。生活が変わりましたし、こころが和らぎ、苦しんでいた頭痛や魂のさいなまれから逃れていました。人生を余裕を持って生きる力が生じました。人生の中で夢を持つ人々が増えました。生きる力がわきました。しかし、ヨハネは言っています。「私は水であなたがたにバプテスマを授けています。しかし、私よりもさらに力のある方がおいでになります。私などは、その方のくつのひもを解く値うちもありません。その方は、あなたがたに聖霊と火とのバプテスマをお授けになります。」と。イエス・キリストのバプテスマはヨハネによるバプテスマ、つまり、人間的な努力、水による罪の流し、生活の具体的な変革とは異なるバプテスマです。イエス・キリストのバプテスマは聖霊と火によるバプテスマです。その人生が根本から変わり、新しい創造物になるバプテスマです。すべての罪が焼き尽くされ、完ぺきな救いをもたらすバプテスマです。永遠の救いの保障であり、永遠の命への保証書が手渡されるものです。驚くことに、イエス・キリストの御名を受け入れ、信じる人は救われます。しかし、受け入れない人は裁かれます。「手に箕を持って脱穀場をことごとくきよめ、麦を倉に納め、殻を消えない火で焼き尽くされます。」国主ヘロデは、ヨハネに責められて済みましたが、イエス・キリストの前ならどうなるのでしょうか。焼き尽くされます。

ヨハネはキリスト力に圧倒されていました。ヨハネはキリスト時代の到来を切実に求めていました。キリスト時代の到来は時間と空間を超える罪の赦しと新しい創造の始まりであることを、ヨハネは確信していました。ヨハネが予言したように、私たちの時代はキリストが働く時代です。キリストによる救いは完璧で永遠です。イエス・キリストの御名を賛美します。

ハレルヤ

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Last-modified: 2020-12-26 (土) 22:07:23