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2012年長崎UBF ルカの福音書 第1講 メッセージ --> 問題紙

神と人とに愛されたイエス様

Messenger:MSN.David

御言葉:ルカの福音書 2:22-52
要 節:ルカの福音書 2:52「イエスはますます知恵が進み、背たけも大きくなり、神と人とに愛された。」

今日からルカの福音書を勉強します。ルカの福音書はお医者さんであり歴史家でもあったルカが記録したものです。ルカはこの記録の創のところに次のように記録しています。「私たちの間ですでに確信されている出来事については、初めからの目撃者で、みことばに仕える者となった人々が、私たちに伝えたそのとおりを、多くの人が記事にまとめて書き上げようと、すでに試みておりますので、私も、すべてのことを初めから綿密に調べておりますから、あなたのために、順序を立てて書いて差し上げるのがよいと思います。」と。

長崎の郷土史家に「古賀十二郎」という人物がいます。長崎学と言われる学問の始祖とも言われているのですが、長崎についてこれだけ調べて記録を残した人はいないと言われている人物です。大正14年の1925年、長崎市の市史・風俗編をまとめた記録が有名で、長崎について何かと説明しようとするならば、必ず出てくる人物です。ルカは同じように、イエス・キリストについてはこれだけ調べた人物がいないほど、イエス・キリストの生まれた背景や生き様を綿密に調べて記録として残しています。それが「ルカによる福音書」なのです。このルカによる福音書を勉強すると、私たちはイエス・キリストについて詳細に理解できるのです。今日から、イエス・キリストに焦点を当てて、ルカの福音書を勉強していきたいと思います。

2章22節からご覧ください。イエス・キリストの生まれについて記録していたルカは、イエスキリストが生まれて八日目の日からイエスという名前で呼ばれるようになったことと記録しています。そして、「モーセの律法による彼らのきよめの期間が満ちたとき、両親は幼子を主にささげるために、エルサレムへ連れて行った。」とあります。レビ記の11章を見ると子どもを産んだ女性は八日目に子どもの割礼をし、名前を付けてから、男の子を産んだ場合33日間、女の子を産んだ場合66日間休養されていました。つまり、子どもを産んで40日間、あるいは73日間の約2ヶ月半、休養期間を設けていたのです。マリヤも同じように、律法の定めにしたがって休養した後、主の律法「母の胎を開く男子の初子は、すべて、主に聖別された者、と呼ばれなければならない。」と書いてある内容と、「山ばと一つがい、または、家ばとのひな二羽。」と定められたことを犠牲をささげるために、エルサレムに上りました。子どもが100日近くなったことでしょう。そのとき、エルサレムにシメオンという人がいました。この人は正しい、敬虔な人で、イスラエルの慰められることを待ち望んでいました。彼はとても敬虔な人でした。聖霊が彼の上にとどまっておられました。彼は主のキリストを見るまでは、決して死なないと、聖霊のお告げを受けていました。

イエス・キリストが母親、父親とともに犠牲をささげるためエルサレムに上った時でした。シメオンが御霊に感じて宮にはいると、幼子イエスを連れた両親が、その子のために律法の慣習を守るために、はいって来たのでした。すると、シメオンは100日近くなった幼子、イエス・キリストを腕に抱き、神をほめたたえて言いました。「主よ。今こそあなたは、あなたのしもべを、みことばどおり、安らかに去らせてくださいます。私の目があなたの御救いを見たからです。御救いはあなたが万民の前に備えられたもので、異邦人を照らす啓示の光、御民イスラエルの光栄です。」と口出したのです。シメオンの話しをはじめ、父ヨセフと母マリヤは幼子についていろいろ語られる事に驚きました。また、シメオンは両親を祝福し、母マリヤにこう言ったのです。「ご覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人が倒れ、また、立ち上がるために定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。剣があなたの心さえも刺し貫くでしょう。それは多くの人の心の思いが現われるためです。」と。これはイエス・キリストの苦難の人生を預言するものでした。イエス・キリストの十字架の道のりを見守っていたマリヤの苦痛を預言していたのでした。 ルカが調べたものはそれに留まりませんでした。36節を見ると、当時、アセル族のパヌエルの娘で女預言者のアンナという人がいました。この人は非常に年をとっていました。処女の時代のあと七年間、夫とともに住みましたが、その後やもめになり、八十四歳になっていました。そしてエルサレムの宮を離れず、夜も昼も、断食と祈りをもって神に仕えていました。ちょうどこのとき、彼女もシメオンの預言の言葉を聞いていて、神に感謝をささげ、そして、エルサレムの贖いを待ち望んでいるすべての人々に、この幼子のことを語りました。イエス・キリストが犠牲のしきたりに従ってエルサレムに上った時の出来事は父ヨセフと母マリヤを驚かせました。しかも、八十四歳になるアンナの語りは彼らをさらに驚かせていました。イエス・キリストの人生の道のりは、永遠の、永遠の昔から定められた神様の御心ざしだったのでした。

神様からしてみれば、私たちの一人一人の人生も永遠の、永遠の昔から定められた人生を生きているように思われます。私たちの努力や力の限りによらず、その定めは変わりがないのです。しかし、その神様の願いに沿って生きるかどうかは、私たちに任せられた特権であり、自由意志の部分です。神様はこの特権、自由意志を操作しようとされません。神様の定められた道のりを歩むかどうかは、私たちに与えられた神様からのプレゼントなのです。選択の特権が私たちに与えられているのです。神様は私たちがご自分の定めとご計画の道のりを歩むことを願っていますが、強制はされません。願っていますが自分の意思で、自分の決心により物事を進めることを許しています。その道のりがその人生において最高の道のりであり、神様の栄光が現れる近道でありますが、その道のりを自分の手で、自分の意思で選択することを願っています。そして、その人生が神様の栄光を表す、素晴らしい人生になることを願っています。どのようにして、私たちは神様の願う道を的確に調べ、選択することができますか。その第一条件は神様を意識することです。神様がおられること、神様が私たちの人生に関与しておられること、今もなお、私の人生の道のりを見守っていることを確信することです。そして、その神様の願いに沿って生きることが人生の目標であることを確信することです。神は愛ですから、その愛に感動することです。祈りを持って神様の願いが分かるように、今、私が神様を喜ばせるためにどのような選択をすればいいのか、どんなことをすればいいのか、何を選択すればいいのかを神様に求めることです。そして、神様の導きを信頼して、動くことです。神様の言葉をつかんで歩くことです。私たちは常に、神様の働きと不思議な関与を体験するのです。

さて、29節、イエスの父ヨセフと母マリヤは主の律法による定めをすべて果たしたので、ガリラヤの自分たちの町ナザレに帰りました。そして幼子・イエスはすくすくと成長し、強くなり、知恵に満ちて行きました。神の恵みがその上にあったからでした。神様の恵みが私たちの上にある時、私たちは知恵に満ちた人生を生きることができます。強くなりますし、成長します。私たちは神の恵みが私たちの人生の上にありますよう、祈り求めるべきです。聖書を勉強している人々の上に、その人生に、私たちの隣人のために、友人のために、また家族のために祈るべきです。彼らが神様の恵みに満たされ、生きることができるように祈るべきです。

41節をご覧ください。イエスの両親は、過越の祭りには毎年エルサレムに行っていました。イエスの両親は熱心なユダヤ教の信者でした。彼らは神様のために時間を使っていました。神様が願うことを惜しまず行いました。イエスが十二歳になられたときも、両親は祭りの慣習に従って都へ上り、祭りの期間を過ごしていました。一週間続くこの祭りの期間中、彼らは旅先のエルサレムで暮らしながら不便な生活をしていたことでしょう。一週間の祭りが終わり、帰路についたが、少年イエスはエルサレムにとどまっておられました。「両親はそれに気づかなかった。」と、43節には記録されています。イエスは特に、手のかかる子どもではなかったようです。いつも、必要な時に、必要な場所に現れる、心配のないこどものようでした。心配もせず、帰路につきましたが、イエスが一行の中にいないことを、一日の道のりの後に明らかになりました。父ヨセフも、母マリヤもあせたことでしょう。親族や知人の中を捜し回ったが、イエスの姿は見つかりませんでした。心配になってイエスを捜しながら、エルサレムまで引き返して、そしてようやく三日の後に、イエスが宮で教師たちの真中にすわって、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけました。両親はイエスを見て驚き、母マリヤは叱りながら言った。「子よ。まあ、あなたはなぜ私たちにこんなことをしたのです。見なさい。父上も私も、心配してあなたを捜し回っていたのです。」どんなに心配していたのか、特に、母親のマリヤの心配は大きかったようです。

それもそのはず、十二歳にもなれば、家事や帰路についている家族のために色々と手伝ってくれることを期待していたことでしょう。なのに、帰路にもつかず、まったく相談もなしに、エルサレムに留まり、教師たちと議論をしているイエスを見かけたとき、マリヤの気持ちは怒り心頭だったのです。「子よ。まあ、あなたはなぜ私たちにこんなことをしたのです。見なさい。父上も私も、心配してあなたを捜し回っていたのです。」

しかし、イエスのは両親に言われました。「どうしてわたしをお捜しになったのですか。わたしが必ず自分の父の家にいることを、ご存じなかったのですか。」イエスは十二歳の時からすでに、神を意識し、神を信頼し、神に関心がありました。それだけでなく、神に仕えていくことを決心していたようでした。また、父や母の心配と不信についても、心配無しとコメントでもありました。イエスは父の家にいるべきでした。これからは神様に預け、神様に育ててもらうべきでした。イエスはヨセフやマリヤの子供ですが、それ以前に、神様の御子であることを、父ヨセフと母マリヤは理解すべきでした。十二歳にもなる子どもですから、神様に任せ、神様の子供として育つことを心かけが必要でした。子どもたちをいつまでも自分で育てていこうとする心を悔い改めて、神様に育ててもらおうとすることが信仰人の父親、母親の役目です。神様が私たちの子どもたちを、育ててくださいますように祈ります。

しかしながら、イエスは自分の考えを固執することはありませんでした。父ヨセフ、母マリヤといっしょにエルサレムを去り、ナザレに帰って、両親に仕えられました。エルサレムで神に仕える仕事に就きたいという願いがありましたが、父と母が願うところで、場所にこだわらず、エルサレムでの気持ち続けました。ナザレで父と母につかえながらも、神様の願いと神様への関心を緩みませんでした。ルカはこのようなイエスの姿とともに、立派な母マリヤの姿についてもコメントしています。51節を見ると、母はこれらのことをみな、心に留めておいた、とあります。心にとめたとはいつかは、イエスをエルサレムの神殿にささげるべき、神のものであることを心にとめていたことを意味します。頼もしいイエスが自分のものではなく、神様のものであることを心に書き記していたのです。また、心にとめていたとは、神に仕えたいと思っていたイエスの心や動きをしっかり見守っていたことを指します。こどもの関心事や願いを観察力をもって見守っていたのです。母マリヤはその後、イエスの強力な支援者となりました。そのイエスはますます知恵が進みました。また、背たけも大きくなり、神と人とに愛された。神と人とに愛されたとは、神に愛され、人にも愛されたことを意味します。神を愛する子どもととして成長して、人を愛する人として成長したことを指します。母親、父親たるものはこどもが神を愛し、人を愛し、また、神に愛され、人に愛されるように育てるべきです。人に愛され、神に愛される順番ではなく。。。

私たちが、また、私たちの子供たちが、まずは神様を愛し、人を愛する人となりますように、また、神様に愛され、人にも愛される人になりますように祈ります。


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Last-modified: 2020-12-26 (土) 22:07:23