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2011年長崎UBF、ヨハネの福音書、その26 --> 問題紙

わたしを愛しますか

Messenger:MSN.David

御言葉:ヨハネの福音書 21章1節~25節

ヨハネの福音書の最後の章になりました。神様がヨハネの福音書を最初から最後まで、目を通してくださるよう、導いてくださいましたことを感謝いたします。ホームページに毎週のメッセージを残していますが、恥ずかしい気持ちがぬぐえないのはメッセージを書いて初めて、二十年たっても同じです。最後のメッセージですので、恥ずかしくないようにしてくださいますよう祈ります。

さて、最後のメッセージのタイトルは「わたしを愛しますか」にしました。これは正確には『ヨハネの子シモン。あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか。』です。多くの弟子たちがいましたが誰よりも、私を愛しているのか、とのご質問です。また、「この人たち」として訳していることばの英語表現を見ると、theseとなっていて、これらのこと以上に、という意味でもあります。人間だけではなく、所有している財産や地位、知識等も含まれることでも解釈できます。イエスさまはペテロに質問したのです。あなたはこの人たち以上に、これらのこと以上に、私を愛しますか、と。何故、イエスはペテロにこのような質問をしたのでしょうか。私はイエスがペテロをペテロ以上に愛していたからだと理解します。ペテロを誰よりも愛していたがために、ペテロに同じ質問をぶつけて、その愛に対する態度を要求しているのだと見ています。イエスはペテロを誰よりも、愛していたのです。ペテロがイエスを三度否認したとしても、イエスのペテロに対する愛情は変わりがなかったのです。イエスはペテロが同じく、イエスを愛してくれることを願っていたのです。何故でしょうか。ペテロにはイエスの遺言を残したかったからです。絶対伝えたい願いがあったからです。ペテロにイエスは最後の遺言を伝えています。その内容は何でしょうか。

21章1節をご覧ください。 イエスが弟子たちの前に2回目となる現れがあった後、イエスはテベリヤの湖畔で、もう一度ご自分を弟子たちに現わされました。その現わされた次第はこうでした。シモン・ペテロ、デドモと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナのナタナエル、ゼベダイの子たち、ほかにふたりの弟子の7人が一緒にいました。シモン・ペテロはそこで、彼らに言いだしました。「私は漁に行く。」ペテロは漁師でした。ペテロが漁をやめたのはイエスの言葉の力を体験してからでした。イエス様の言葉には力がありました。聞くだけでも感動的でしたが、つらい時、悲しい時には勇気づけられました。道が見えないときに、迷う時にはともしびのように、彼らの導き手となりました。イエスの言葉は彼らの生きるためのエネルギーでしたし、なくてはならないものでした。彼らはイエスに出会ってから、食べるために生きる存在から、使命とやらなければいけない仕事のために生きる存在となりました。彼らにはやる気がありましたし、食べる心配をしたことがありませんでした。彼らにとってイエスの言葉は糧食でした。食べ物でした。しかし、イエスが十字架につけられ、死なれたのち、彼らは食べる問題に困りはてていました。イエスの言葉を失ってから、彼らは食べるために汗を流さなければいけないことを感じました。そこで、シモン・ペテロが弟子たちの仲間たちに言いだしました。「私は漁に行く。」すると、彼らも同感して「私たちもいっしょに行きましょう。」と、ペテロの決断に賛成票を投じました。ペテロだけでなく、7人の弟子たちは今、使命のために、言葉のために生きる存在から、食べるために生きる存在と転落してしまいました。

創世記の3章の記録を見ると、アダムとエバはパラダイスにいました。彼らは何の不自由なく、裸であったがお互いに恥ずかしく思いませんでした。彼らを幸せにし、不自由を感じず、動物の名前をつける創造的な仕事をし、夜はぐっすり眠ることができたのは、神様の言葉を守ったからでした。薗の中央にある木の実を食べてはならない、との言葉は彼らの幸せの根源でした。しかし、彼らが神様の言葉を疑いを持って見始めた時、蛇の誘惑に陥りました。その結果、彼らは職のために生きる存在となりました。「あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついに、あなたは土に帰る。」彼らにはもはや、神様の言葉が生きる根源として働きませんでした。彼らは糧を得るために生きる存在となりました。彼らは土から取られ、土に帰る自然人となりました。神様の言葉を守り、永遠に生きる存在から堕落してしまったのでした。

ペテロとほかの弟子たちが、イエス様の言葉を失った時、イエス様の言葉が人生の導き手にならなくなった時、彼らは食べることにも困り、食べることを心配する自然人となりました。しかしながら、彼らの前に裸る現実は厳しいものがありました。小舟に乗り込んで夜通し働きましたが、その夜は何もとれませんでした。

大学3年生になった時、私ははじめて、聖書の言葉に従って教会の友人たちと一緒に自炊生活を始めました。下宿先のおばあさんに申しわけない気持ちでいっぱいでしたが、一度でいいから、聖書の言葉を人生の生きる動機にしてみようと決心していました。その時つかんだ言葉はアブラハムを使命人として呼んだ言葉でした。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。」その時、私は生れ故郷お父の家が下宿先で、私が示す地は教会の兄弟たちと一緒に自炊生活をする家でした。その結果は見事なものでした。下宿代は通帳にたまる一方で、気にしていた成績も気にならなくなりました。親と信頼関係が築かれただけでなく、人生に夢が膨らみました。私はその時初めて、研究者になりたいと公然と公表する勇気を抱き始めました。初めての不思議な体験をした覚えが、今でも新鮮です。聖書の言葉の力が見事に的中して、私の心には不思議な喜びと自信感に満ち溢れていた記憶が今でも生々しいです。

ペテロが、また、その弟子たちがイエスの言葉を失い、食べる問題にとらわれ心配して、力いっぱい働きましたが、彼らの目の前には一匹も取れてないむなしい網だけでした。そして、夜が明けそめたとき、イエスが岸べにいました。けれども弟子たちには、それがイエスであることがわからなかったのでした。イエスが彼らに言われた。「子どもたちよ。食べる物がありませんね。」「舟の右側に網をおろしなさい。そうすれば、とれます。」彼らはなんとなく、叫ぶ男の声に従って網をおろしてみました。すると、何と、おびただしい魚のために、網を引き上げることができなくなりました。その子うえ刑を目の当たりにした、イエスの愛されたあの弟子がペテロに言いました。「主です。」

長女が大学入試のために心配していた時、神様のかすかな声がありました。その時、私と女房は「主です」と叫んでいました。長男坊が入試を準備していますが、最近、神様のかすかな声が聞こえました。また、これに私も、女房も「主です」と叫んでいます。主は私たちのすべての生活空間の中で働きます。仕事場で、入試を準備する生徒の上に、小学生や幼稚園生にも、神様は働き指示を出しています。私たちは食べるために夜通しで働くことも大事ですが、それ以前に、主の声を聞くために、心を低くし、謙遜に祈るべきです。主の声に従って一日をスタートすべきです。イエスが「舟の右側に網をおろしなさい。そうすれば、とれます。」という声を耳にすべきです。その時、私たちは私たちの力以上に働く神様の動きに驚きます。おびただしい魚のために、網を引き揚げることのできないほとの主の働きを体験するのです。

シモン・ペテロと他の弟子たちはイエスの声を聞くようになりました。その時、イエスがすでに準備しておいた炭火とその上に載せた魚と、パンがあるのを見つけました。イエスの声を身近なところで聞き始めました。「あなたがたの今とった魚を幾匹か持って来なさい。」「さあ来て、朝の食事をしなさい。」弟子たちはその働く方が主であることを知っていたので、だれも「あなたはどなたですか。」とあえて尋ねる者はいませんでした。主が彼らの目の前で働いていました。イエスは来て、パンを取り、彼らにお与えました。また、魚も同じようにされました。イエスが、死人の中からよみがえってから、弟子たちにご自分を現わされたのは、すでにこれで三度目でした。

彼らが食事を済ませたとき、イエスはシモン・ペテロに言われました。「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか。」ペテロはイエスに言いました。「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われました。「わたしの小羊を飼いなさい。」

ペテロはイエスさまと会話するようになりました。ペテロはイエスがどれだけ自分を愛していたのかを、思い起こしました。そして、イエスに告白しました。「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。」お互いに愛の関係性が成立した時、イエスは彼にお願いの言葉を口にされました。「わたしの小羊を飼いなさい。」これが三度続きました。「わたしの羊を牧しなさい。」そして、三回目に「わたしの羊を飼いなさい。」と。

この言葉はペテロが「漁に行く」と宣言していた生活人、自然人から、神様の言葉を見つめ、そのお声を聞き入れる、使命人になったことを意味します。自分の力、自分の考え、自分の計画を前面に立てて、人の声や人の提案には目を光らせながらも、神様の言葉や声には耳をそらしてなかったペテロでしたが、ペテロはやっと、かすかに聞こえる神様の声、イエスのお願いの言葉を耳にすることができるようになりました。ペテロは若かった時、自分で帯を締めて、自分の歩きたい所を歩く生活人、自然人でした。しかし年をとると、自分の手を伸ばし、ほかの人の意見を大事にし、その中に聞こえる神の声に充実する人となりました。ペテロの使命は「わたしの小羊を飼いなさい。」「わたしの羊を牧しなさい。」そして、三回目に言われた「わたしの羊を飼いなさい。」という言葉に集約されます。

私は今日のメッセージを準備しながら、聖書勉強中に、特に「わたしの」というイエスの言葉が大きく聞こえました。「わたしの小羊を飼いなさい。」「わたしの羊を牧しなさい。」「わたしの羊を飼いなさい。」イエスにはまだまだ、守るべき羊がたくさんあります。それはイエスご自身の人生をささげて、買い取った人々です。信仰により悪魔のささやきから抜け出させたい羊たちです。イエスからしてみれば、飼うべき羊、牧すべき羊が沢山ありました。イエスはまだまだ残っている仕事を、使徒ペテロにお願いしました。

信者とはどんな人々ですか。一つ、神様の声と言葉に導かれる人生です。岩盤のような神様の言葉の上に人生を設計し、その上に家を建てる人々です。その人は「水路のそばに植わった木のようです。時が来ると実がなり、その葉は枯れることがありません。その人は、何をしても栄えます。」ペテロがこの言葉に充実した時、ペテロは時代の父となりました。この人間社会を引っ張る原動力となりました。光となりました。

耳を澄ませば、神様は私たちにもささやかれます。聖書の言葉を持って、自然の空気から、咲く花から、落ちる紅葉の葉っぱから、ナイアガラのような滝の音からも、ささやくせみの声や鈴虫の羽化多良も、私たちはささやく神様の声を聞くことができます。その声があれば、私たちは生きることができます。私たちは人生を勝利に導くことができます。

神様、私たちに、今日も、神様の御声をお聞かせください。ペテロに言われたあの声を、私たちにもお聞かせください。「わたしの小羊を飼いなさい。」「わたしの羊を牧しなさい。」そして、心を痛めながら聞くしかなかった三回目の声「わたしの羊を飼いなさい。」を。


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Last-modified: 2020-12-26 (土) 22:07:23