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2011年長崎UBF、コロサイ人への手紙、その3 --> 問題紙

キリストの中に根差しなさい

Messenger:MSN.David

御言葉:コロサイ人への手紙 2章1節~23節
要 節:コロサイ人への手紙、2章7節 「キリストの中に根ざし、また建てられ、また、教えられたとおり信仰を堅くし、あふれるばかり感謝しなさい。」

コロサイ人への手紙はパウロが一度も訪ねたことがなく、お会いしたことがない人々に向けての手紙です。パウロはこの手紙を持って、コロサイの人々に何を伝えたいと思っていたのですか。今日の御言葉を通して、パウロが伝えたい、重要な事実を学びますよう祈ります。

2章1節をご覧ください。パウロはこの手紙を、コロサイの人々と、ラオデキヤの人たち、そして直接、お顔を拝見したことのない人々のために記録しています。パウロはこの記録を書くこと自体、苦闘をしているとしています。つまり、大事なお話をするために様々な苦難の中でも、この手紙を書いているのです。それでは、パウロがこんなにも苦闘をしながら伝えたい、これほど大事なことが何ですか。

2節、それは、この人たちが心に励ましを受け、愛によって結び合わされ、理解をもって豊かな全き確信に達し、神の奥義であるキリストを真に知るようになるためです、と紹介しています。パウロはこの手紙を持って、互いに心に励まされ、愛によって結びあわされ、理解を持って豊かな待った気確信に達し、神の奥義「キリスト」を知るようになるためだとしています。パウロは、このキリストのうちに、知恵と知識との宝がすべて隠されている、としています。

知恵、知識、宝、があれば、幸せは確保されます。神様の判断ができる知恵、私たちの人生を正しい道に導いてくれる知識、更に、安全安心を保障してくれる宝があれば、幸せは私たちのものです。パウロは「キリスト」が知恵であり、知識であり、宝だとしています。私たちは何が、知恵であり、知識であり、宝であると思うのでしょうか。哲学が知恵であると思う人がいます。体を動かす運動が知恵であると思う人もいます。言葉を選ぶことが人生の知恵だと思う人もいます。数学的なセンスや情報のテクニックがこの時代を生き抜く知恵であり、宝だと思う人もいます。若い、プロゴルファーの石川選手は「スピードラーニング、英会話」が知恵、知識、宝であると宣伝しています。確か、これらは知恵であり、知識であり、宝です。これらが私たちを幸せに導いてくれる一つの道具となりえるからです。同じように、パウロは知恵であり、知識であり、宝を紹介しています。それが「キリスト」です。そして、次のように勧めています。「彼にあって歩みなさい。キリストの中に根ざし、また建てられ、また、教えられたとおり信仰を堅くし、あふれるばかり感謝しなさい。」

キリストにあって歩むこと、キリストの中に根差すこと、キリストの中で立てられること、教えられ、信仰を固くすること、更には、あふれるばかりの感謝をすることは、具体的にはどんなことを意味しますか。キリストと深くかかわりながら生活し、その中に深く根ざすことを指します。少々難しく言えば、「人の手によらない割礼を受けたことを思い出すこと」です。「バプテスマによってキリストとともに葬られ、また、キリストを死者の中からよみがえらせた神の力を信じる信仰によって、キリストとともによみがえらされた」ことを確信することです。

私たち信者はイエス・キリストの誘いを受けた民です。伝統的なユダヤ人のように、人手による八日目の割礼ではなく、イエス・キリストによる聖霊の割礼を受けたものです。真の信者はみんな、キリスト・イエスの聖霊の割礼を受けた存在です。それだけではありません。信者はまた、キリストが葬られ、死者の中から蘇らされたことと同じように、罪と裁きの体から解放され、イエス・キリストとともに蘇らされのです。イエス・キリストの中で、罪の許しを得、信仰により、罪により死んだものが、生き返られたのです。私たちの罪は十字架の上に釘つけられ、私たちを支配していた権威と武装を解除してくださったのです。この事実に根差し、確信し、その信仰を固くし、その都度、あふれるばかり感謝しながら生きること、これが信者の知恵であり、知識であり、宝なのです。これがあれば、私たちは神の英知を持ち、暗闇のともしびを所有した、宝の持ち主なのです。あふれるばかりの感謝が絶えない、人生を生きることができるのです。

豚肉はダメだとか、土曜日が本当の安息日だとか、祭りや季節を守るべきだとかにこだわる、人々に惑わされることはやめるべきです。次に来るものの蔭ではあるものの、本体ではないのです。本体は「キリスト」です。キリストに根差すとき、食べ物のことで、祭りのことで、季節のことで、罪に定められることはないのです。食べ物より、祭りより、季節より、大切な「キリスト」に固く結びつこうとするのが最も大事です。そうすると、このかしらがもとになり、からだ全体は、関節と筋によって養われ、結び合わされて、神によって成長させられるのです。キリストにくっついている時、私たちは食べ物で失敗しても、大事な祭りを守れなくても、季節の動きに頓珍漢であっても、キリストにより養われ、主の結ばれ、成長するのです。私たちはもはや、「すがるな。味わうな。さわるな。」といった定めに縛られることなく、また、人間の好き勝手な礼拝の形式とか、謙遜とか、または、肉体の苦行などのゆえに賢いもののように見える教えに騙されず、キリストに根差すものとなりますように祈ります。

今日の教えは一つです。キリストに根差すことです。キリストを知ることです。キリストに建てられることです。キリストにあふれるばかりの感謝をすることです。これが、キリスト信者に求める神様の御心です。

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」という言葉は本当であり、真理です。


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Last-modified: 2020-12-26 (土) 22:07:23