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2011年クリスマス聖書勉強、その2 --> 問題紙

神の子と呼ばれるイエス様

Messenger:MSN.David

御言葉:ルカの福音書、1:26-56
要 節:ルカの福音書、1:35-37「御使いは答えて言った。『聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。ご覧なさい。あなたの親類のエリサベツも、あの年になって男の子を宿しています。不妊の女といわれていた人なのに、今はもう六か月です。神にとって不可能なことは一つもありません。』」

Merry Christmas !!

私の心に、また、皆さんの心に、イエス・キリストによる喜びが満ち溢れますように祈ります。クリスマスとはその喜びを満喫する日であります。その喜びとは、聖霊に満たされた喜びを指します。年に一度、このような喜びをお祝いする日が、クリスマスの日です。どのようにすれば、私たちは聖霊に満たされた喜びに包まれることができますか。今日の御言葉を通して、その秘訣をイエスの母、マリヤから学びますよう祈ります。

26節をご覧ください。「ところで、その六か月目に、御使いガブリエルが、神から遣わされてガリラヤのナザレという町のひとりの処女のところに来た。」とあります。これは御使いのガブリエルがバプテスマのヨハネを生んだ、ザカリヤとエリサベツに現れて、身ごもりのお便りを伝えてから、六カ月目を指します。ザカリヤとエリサベツに驚く知らせと神様への信頼を求めてから、六カ月、御使いのガブリエルはガリラヤのナザレという町の一人の処女のところに来ました。27節を見ると、この処女は、ダビデの家系のヨセフという人のいいなずけで、名をマリヤといっていました。ダビデの家系のヨセフといいなずけのマリヤとは、結婚を前提に婚約をし、一年間純潔を守る期間を持っている状態のことを指します。お互いに、一年後の結婚を準備し、心も、体も純潔を守りながら、新婚を準備するものでした。二人はどれだけ幸せだったのでしょうか。私とサラ宣教師はいいなずけの状態が短かったのですが、その間の喜びと幸せは経験してない人にはわからない喜びと幸せがあります。お互いに相手のことを考えて、相手から幸せを受け取り、また、相手に幸せを与えたいと思うのです。

その真に幸せを感じている時に、御使いは、はいって来ると、マリヤに言いました。「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。」と言われました。しかし、29節を見ると、マリヤはこのことばに、ひどくとまどいました。「これはいったい何のあいさつかと」考え込みました。マリヤはこれ以上の幸せは必要ありませんでした。また、環境が変わるのも嫌でした。このままが一番の幸せで、もうすぐ行われる結婚式を待ちに待つだけでした。しかし、このような中で聞かされた御使いの言葉は不安を覚えるのに十分なメッセージでした。「これはいったい何も挨拶かと」考え込みました。すると御使いが言いました。「こわがることはない。マリヤ。あなたは神から恵みを受けたのです。」御使いもマリヤの心の不安を理解していました。しかし、その不安は神からの恵みを受ける人たちが感じるものでした。

人は変化を好みません。変わらないままがずっと、都合がいいのです。状況が変わると人はどうも、不安を覚えるのです。特に、マリヤのようにヨセフとの結婚を控えている人にとってはもっとも変化に対する不安が大きいことでしょう。しかし、御使いは言いました。「こわがることはない。マリヤ。あなたは神から恵みを受けたのです。」御使いはマリヤに不安と心配もありますが、それ以上に、恵みが大きいことを教えています。メグミとは神様の計画を指します。メグミとは神様が人々のためにご用意することです。その意味で、恵みは人間の人知や計画、想像をはるかに超えています。人間からすれば不安だらけのもの、これが恵みです。

その神様からの恵みとは具体的にどんなものでしょうか。31節から33節の御言葉をご覧ください。「ご覧なさい。あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。その子はすぐれた者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また、神である主は彼にその父ダビデの王位をお与えになります。彼はとこしえにヤコブの家を治め、その国は終わることがありません。」

マリヤに臨んだ恵みは、男の子を生む、ということでした。これは青天の霹靂のような話でした。マリヤはこの話を聞いた途端「どうしてそのようなことになりえましょう。私はまだ男の人を知りませんのに。」と、驚きと不安、理解に苦しむ心の動揺を伝えました。これは単純に彼女だけに住む問題ではありませんでした。愛するヨセフとも深くかかわるものでした。マリヤからしてこのお話は理解できるはずがなく、むしろマリヤを心配と不安にさいなまれるようにしました。メグミとは私たちに幸せを与えると、思いこむことが多いのでしょうが、しかし、この御言葉を見ると恵みとは決して私たちの人間的な幸せや喜びに照準を当てているのではなく、神様の計画に照準が当てられていることが分かります。メグミとは神様の聖なるご計画が私たちの人生を通して実行されることであり、その御力が現れることなのです。メグミとは処女マリヤの胎内を通じて、御子・イエス・キリストが私たち人間とご一緒されることです。メグミとはマリヤの胎内から神様がインマヌエルすることです。メグミとはマリヤの幸せを一粒にして、30倍、60倍、100倍の実を結ぼうとする神様のご計画です。ヨハネはその恵みの秘訣を、ヨハネの福音書に高記録しています。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。」神様がもし、私たちの人間的な幸せを、その御業のために使おうとするのならば、私たちはマリヤのようにささげるべきです。マリヤはこういったのです。「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」

神様は私たちの人間的な喜びや幸せを一粒の麦に、30倍、60倍、100倍の実を結ぼうとすることがあります。神様が私のしばらくの休みを、しばらくの安定を、しばらくのほほえみを、神様の御業のために使おうとするのならば、私たちはマリヤのように、喜んでささげるべきです。「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」と。少々の疑問についても、御使いは詳細を示してくださったのです。「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。ご覧なさい。あなたの親類のエリサベツも、あの年になって男の子を宿しています。不妊の女といわれていた人なのに、今はもう六か月です。神にとって不可能なことは一つもありません。」マリヤに求められたのは、二つの信仰です。

一つは聖霊が臨むことと、いと高き方の力がマリヤの上に働いていることを信頼することです。

信仰とは神様がおられることと、神に近づく者には報いてくださる方であることを信じることです。マリヤに求められたのは、その中でも、聖霊の働きは想像を絶する力がある、ことを信頼することでした。その想像を絶する力のある方が行う技は、神の子と呼ばれるものを生むことです。神の子と呼ばれるものとは「イエス・キリスト」を指します。また、別の言い方からすれば、神様の子どもたちを指します。神の子と呼ばれる人々を、イエス・キリストを頂点に、たくさん産むこと、これが神様の願いです。私たちの幸せ、私たちの人間的な喜びを一粒の麦に、神の子と呼ばれる人々を増やしたいのです。それは神様の聖霊が臨むときに、可能です。いと高き方の力が私たちの上に働く時に可能です。マリヤはこのお話を素直に受け入れ、告白したのです。「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」マリヤの子の従順と信仰により、神の御子・イエス・キリストがこの世に生まれるようになったのです。

もう一つ、親類エリサベツに働いた神様の御業を綿密に調べ、一緒に喜ぶことです。

信仰の成長は神様の働いた証拠を見ることから始まります。エリサベツの証言を見ながら、マリヤは信仰を固めることができるのです。マリヤは御使いの、エリサベツについてのお話を聞いた時、すぐに立って、山地にあるユダの町に急ぎました。山地にあるとは、行きたくないところ、文化的な環境が整えられてないところ、あまり知られてないところ、神様が教えてくれたところへマリヤは急ぎました。そしてザカリヤの家に行って、エリサベツにあいさつした。「こんにちは、エリサベツお兄さん。」エリサベツがマリヤのあいさつを聞いたとき、子が胎内でおどり、エリサベツは聖霊に満たされました。そして大声をあげて言いました。「あなたは女の中の祝福された方。あなたの胎の実も祝福されています。私の主の母が私のところに来られるとは、何ということでしょう。ほんとうに、あなたのあいさつの声が私の耳にはいったとき、私の胎内で子どもが喜んでおどりました。主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人は、何と幸いなことでしょう。」

これはエリサベツの喜びであり、信者の喜びでした。また、マリヤの決断を見て、その喜びに包まれました。「主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人は、何と幸いなことでしょう。」マリヤはその喜びを語りました。「わがたましいは主をあがめ、わが霊は、わが救い主なる神を喜びたたえます主はこの卑しいはしために目を留めてくださったからです。ほんとうに、これから後、どの時代の人々も、私をしあわせ者と思うでしょう。力ある方が、私に大きなことをしてくださいました。その御名は聖く、そのあわれみは、主を恐れかしこむ者に、代々にわたって及びます。主は、御腕をもって力強いわざをなし、心の思いの高ぶっている者を追い散らし、権力ある者を王位から引き降ろされます。低い者を高く引き上げ、飢えた者を良いもので満ち足らせ、富む者を何も持たせないで追い返されました。主はそのあわれみをいつまでも忘れないで、そのしもべイスラエルをお助けになりました。私たちの先祖たち、アブラハムとその子孫に語られたとおりです。」

マリヤがこのように幸せを賛美することができたのはなぜでしょうか。それは自分の夢と宝、幸せを一粒の麦のように神にささげる決心をしたからです。神様がその人生に訪れ、聖霊を注いでくださったからです。神様の御力がその胎内に働いたからです。

私たちが今年、自分の夢や幸せを一粒の麦のように、神様に捧げ、30倍、60倍、100倍の実を結ぶことができますように祈ります。


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Last-modified: 2020-12-26 (土) 22:07:23