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2011年クリスマス聖書勉強、その1 --> 問題紙

主のために用意するのです

Messenger:MSN.David

御言葉:ルカの福音書、1:1-25
要 節:ルカの福音書、1:17「彼こそ、エリヤの霊と力で主の前ぶれをし、父たちの心を子供たちに向けさせ、逆らう者を義人の心に立ち戻らせ、こうして、整えられた民を主のために用意するのです。」

クリスマスが近づきました。いつも慌てるクリスマスではなく、早くから祈りを持って心の準備をし、真心からイエス・キリストに喜びたいところです。神様が、今年は、心からイエス・キリストを賛美するクリスマス会をご用意くださいますよう、祈ります。

今日の御言葉はルカが伝えるバプテスマのヨハネの誕生の物語です。5節の御言葉をご覧ください。「ユダヤの王ヘロデの時に、アビヤの組の者でザカリヤという祭司がいた。彼の妻はアロンの子孫で、名をエリサベツといった。」ユダヤの王ヘロデの時代とは、イスラエルがローマの植民地時代のことを指します。ユダヤ王としてヘロデがローマから派遣された王となり、ユダヤの王となっていました。ヘロデ王はエルサレム神殿を建築するなど、イスラエルに対しては回遊策を取るなど政策派でしたが、身内との仲が悪く、恐ろしい殺害が行われたと知られている人物です。

そのような、ユダヤにローマの人、ヘロデが王をしていた時代に、アビヤの組の者でザカリヤという祭司がいました。祭司といっても、栄えた時代の祭司とは違って、滅びた国の土俗信仰を守り続ける祭司・ザカリヤとその妻、エリサベツがいました。彼らは栄えた町には馴染めない人たちでした。時代遅れの生活ぶりと、聖書の言葉や会堂の定めに従って生きている彼らの生活は地味さが光っていました。あんなに神様に仕え、神様に充実した生活をしていたにもかかわらず、彼らには子がなく、エリサベツは不妊の女で知られていました。当時、不妊の女とは神から見捨てられた女、祝福を逃した女、女として資格がない女でありました。しかしながら、彼らの生活は乱れることがありませんでした。6節を見ると、二人とも、神の御前に正しく、主のすべての戒めと定めを落度なく踏み行なっていました。

神を信じる信仰生活は時代の流れや処された環境、悲しみが続く状況の中でも、神様がともにおられることを確信することです。その確信から離れることなく、むしろ、このような環境と状況をおつくりになった神様を認め、必ず、神様は祝福を持って私たちを見守ってくださっていることを信じ続けることです。ザカリヤとエリサベツはその意味で、真の信者、時代の光と言えるのです。年をとっても子がない不妊の女、エリサベツは状況と環境を見るたびごと、悲しみに包まれましたが、しかしながら、また、神様がおられることと、神様は報いを持って喜びを与えてくださる方であることを信じていたのです。

さて、ザカリヤは、自分の組が当番で、神の御前に祭司の務めをしていたが、祭司職の習慣によって、くじを引いたところ、主の神殿にはいって香をたくことになりました。彼が香をたく間、大ぜいの民はみな、外で祈っていました。ところが、主の使いが彼に現われて、香壇の右に立ちました。ザカリヤは不安を覚え、恐怖に襲われました。すると御使いは彼に言いました。「こわがることはない。ザカリヤ。あなたの願いが聞かれたのです。あなたの妻エリサベツは男の子を産みます。名をヨハネとつけなさい。その子はあなたにとって喜びとなり楽しみとなり、多くの人もその誕生を喜びます。彼は主の御前にすぐれた者となるからです。彼は、ぶどう酒も強い酒も飲まず、まだ母の胎内にあるときから聖霊に満たされ、そしてイスラエルの多くの子らを、彼らの神である主に立ち返らせます。彼こそ、エリヤの霊と力で主の前ぶれをし、父たちの心を子供たちに向けさせ、逆らう者を義人の心に立ち戻らせ、こうして、整えられた民を主のために用意するのです。」

神様の祝福は突然訪れるのです。どのような人たちに突然訪れますか。「ザカリヤ。あなたの願いが聞かれたのです。」という言葉から、私たちは神様の祝福は必ずあるもので、確信し、祈りし続ける人に訪れることを悟ります。確信と祈りは離れられない組み合わせです。信仰がなければ祈れませんし、祈り長ければ信仰があるとは言いづらいです。信仰人は祈る人であり、祈りをする人は信仰の人なのです。祈りがないのは信仰の無さを現すものであり、信仰がなければ祈りは続けられないのです。信仰人は祈る人です。そのような人に、神様の祝福は突然のように訪れます。しかも、考えられないほど驚く、びっくりするほどの量としても測れないほどの祝福が降り注がれます。私たちがもし、神様の祝福を求めるのなら、神様への願いが聞かされることを求めているのなら、祈るべきです。祈る人はザカリヤとエリサベツのように、突然、神様の測り知れない祝福で浴びせられます。

私には、今回のクリスマス礼拝、12月18日に行いますが、多くの人たちと一緒に喜びの歌と恵みを受けたいと願っています。サラが良い職場環境が整えられたところで社会生活をスタートすることができることを願っています。ダビデが大学入試でパスをし、新しい生活をスタートすることを願っています。アブラハム君、ヨセフ君が神様の栄光を現す人として成長することを願っています。三人の姉妹たちが美しく育つことを祈っています。サラ宣教師が元気で、十字架を担い、天野君など、何名かの兄弟、姉妹たちが、主の前に出てくることを願っています。何より、私が任せられた仕事、使命を全うし、神を喜ばせる人生を生きることを願っています。そのためには祈りが必要です。祈れば、神様は私たちに驚くほどの量で、突然の祝福をご用意しているからです。

また、「彼こそ、エリヤの霊と力で主の前ぶれをし、父たちの心を子供たちに向けさせ、逆らう者を義人の心に立ち戻らせ、こうして、整えられた民を主のために用意するのです。」との言葉から、イエス・キリストを迎える人には心の準備が必要であることを学びます。神様はイエス・キリストを迎え入れるために、人々の心を整えられたのです。神様は、バプテスマのヨハネをご用意し、人々の心を主に向けさせ、父や子どもたちの心をご用意されたのです。バプテスマは悔い改めを指します。心の改めは、イエス・キリストを迎えるための準備です。

今回のクリスマス、私たちが真実に祈りを持って準備するクリスマスとなりますように祈ります。また、今度のクリスマスは、バプテスマのヨハネのように心の準備をし、喜びが満ち溢れるための悔い改めが前もってありますように祈ります。真の喜びと賛美が、栗島素の日に、センターから流れますように祈ります。


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Last-modified: 2020-12-26 (土) 22:07:23