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御言葉:マタイの福音書 6章1節~34節 要節:マタイの福音書 6章33節
1. 1-4節を読んでみましょう。私たちが、善行をし、施しをする時には、何に気をつけなければならないのでしょうか。「隠れた所で見ておられる神様の報い」について、話してみましょう。
- 6:1 人に見せるために人前で善行をしないように気をつけなさい。そうでないと、天におられるあなたがたの父から、報いが受けられません。
6:2 だから、施しをするときには、人にほめられたくて会堂や通りで施しをする偽善者たちのように、自分の前でラッパを吹いてはいけません。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。
6:3 あなたは、施しをするとき、右の手のしていることを左の手に知られないようにしなさい。
6:4 あなたの施しが隠れているためです。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。 --
- 何が私の生活の基準か
1. 仕事
2. 人の目 --
- どんな報いが一番価値があるのか
1. どうしても、人からの報いが目に見えるし、良い評価だと思う。
2. しかし、聖書は神様の報いを求めるように、神様の恵みが一番価値があると教える --
- 施しの時の姿勢 ⇒ 神様からの報いを求めるべき --
2. 5-15節を読んでみましょう。祈りの姿勢、祈りの対象について、話してみましょう。イエス様が教えてくださった「主の祈り」の内容について、話してみましょう。ここで、まず第一に求めるべき、祈りの課題は何でしょうか。
- 6:5 また、祈るときには、偽善者たちのようであってはいけません。彼らは、人に見られたくて会堂や通りの四つ角に立って祈るのが好きだからです。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。
6:6 あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋にはいりなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。
6:7 また、祈るとき、異邦人のように同じことばを、ただくり返してはいけません。彼らはことば数が多ければ聞かれると思っているのです。
6:8 だから、彼らのまねをしてはいけません。あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです。
6:9 だから、こう祈りなさい。『天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。
6:10 御国が来ますように。みこころが天で行なわれるように地でも行なわれますように。
6:11 私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。
6:12 私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。
6:13 私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。』〔国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン。〕
6:14 もし人の罪を赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたを赦してくださいます。
6:15 しかし、人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの罪をお赦しになりません。 --
- イエスさまが教えたいことは、
1. 神様の報いは必ずある
2. 神様の報いは素晴らしい、人間のそのものとは違う --
- 人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの罪をお赦しになりません <-- どんな意味? --
- 神様からの赦しを受ける特権は、人の罪をゆるして初めて感じ取るもの、神様の祝福 --
- 祈る ⇒ 神様の前での自分 --
3. 16-18節を読んでみましょう。イエス様は、どのように断食するように、と教えておられますか。隠れた所で見ておられる神様について、話してみましょう。
- 6:16 断食するときには、偽善者たちのようにやつれた顔つきをしてはいけません。彼らは、断食していることが人に見えるようにと、その顔をやつすのです。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。
6:17 しかし、あなたが断食するときには、自分の頭に油を塗り、顔を洗いなさい。
6:18 それは、断食していることが、人には見られないで、隠れた所におられるあなたの父に見られるためです。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が報いてくださいます。 --
- 自分についての姿勢 ⇒ --
4. 19-24節を読んでみましょう。イエス様は、自分を宝をどうするように、と言われましたか。その理由は何でしょうか。「目が健全な時」と「目が悪い時」とでは、どのように違うのか、話してみましょう。人が二人の主人に仕えることができない理由は何でしょうか。
- 6:19 自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。そこでは虫とさびで、きず物になり、また盗人が穴をあけて盗みます。
6:20 自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。
6:21 あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。
6:22 からだのあかりは目です。それで、もしあなたの目が健全なら、あなたの全身が明るいが、
6:23 もし、目が悪ければ、あなたの全身が暗いでしょう。それなら、もしあなたのうちの光が暗ければ、その暗さはどんなでしょう。
6:24 だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。 --
- 財産 ⇒ これは神様に近い重いもの、主人 --
5. 25-34節を読んでみましょう。一般的に、人々はどんなことで心配するのでしょうか。心配に対する、イエス様の教えについて、話してみましょう。特に、「空の烏」と「野のゆり」を通して、いのちを大切にして養い、育てておられる神様について、話してみましょう。私たちが心配するのをやめて、求めるべきものは何でしょうか。「神の国とその義とをまず第一に求める」者には、どんな約束が与えられますか。
- 6:25 だから、わたしはあなたがたに言います。自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。いのちは食べ物よりたいせつなもの、からだは着物よりたいせつなものではありませんか。
6:26 空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。
6:27 あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。
6:28 なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。
6:29 しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。
6:30 きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。
6:31 そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。
6:32 こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。
6:33 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。
6:34 だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。 --
- 信仰の薄い人たち。 --> 神様は草も、私たちも、同じく大事にし、着飾ってくださる方、信じるべき、信仰の人ぼ途へ。 --