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2010年長崎UBF、マタイの福音書、その30 --> 問題紙

十字架につけられたイエス様

Messenger:MSN.David

御言葉:マタイの福音書 27章1節~66節
要 節:マタイの福音書、27章35節 「こうして、イエスを十字架につけてから、彼らはくじを引いて、イエスの着物を分け」

昨日はゼミ生たちと一緒に、久しぶりの焼き肉パーティをしました。長崎について興味のある人々の集まりには学生たちも長崎が関心事です。特に、長崎はキリスト教文化のメッカとして誇りがあるのに、長崎にする人々は意外と長崎のキリスト教文化について知らないものです。学生たちはそのことへ関心があり、卒業論文について取り組みたい希望を出す学生もいました。うれしいことです。さて、キリスト教と言えば、キリストの十字架と死、そしてその復活が目玉です。しかし、意外とキリスト教文化として前面に出たがるのは、文化としての優れた部分や、態度やマナー、人生観や価値観等が注目されます。私のメッセージにも、これらの価値観が大事で、考え方の良さをアピールすることが多くあります。しかし、最も大事なことは本質の十字架と死、そして復活にあります。イエス・キリストの十字架と死、そして復活がもたらす力は付随した考え方や価値観、すぶれた文化に比べられない不思議と言葉では表せない秘密が隠されています。

今日の御言葉はその中でも、イエス・キリストの十字架と死に関するものです。イエス・キリストの十字架の死は誰もが正当な形では実施できないものでした。根拠がありませんでした。ローマの兵士たちも、剣や棒をもった大祭司のしもべたちもイエス・キリストを逮捕し、嘲弄したあげく、鞭打ち、十字架にかけて殺す何の根拠も、理由もありませんでした。しかも、群衆のため公にはイエスを逮捕することすら許されていませんでした。しかし、そのきっかけを提供したのはイエス・キリストの12弟子の一人、ユダの反逆でした。理由は何と、銀貨三十枚が欲しくなったためでした。銀貨三十枚とは30シェケルと考えれば、120デナリです。1デナリが一日の賃金ですので、3か月分の労働者賃金です。今のお金で換算すると約120万円程度の金額になります。畑が買えるお金で、ひとりの奴隷が買える、今でいえば立派な農機を買えるお金だったようです。

しかし、逮捕されたイエスが縛られて、総督のピラトのもとに引き渡された時、ユダは、イエスが罪に定められたのを知って後悔したと、3節は記録しています。イエス・キリストの逮捕はユダの銀貨三十枚を愛した心からスタートしたのです。イエスが罪に定められたのを見て、ユダは後悔し、祭司長、長老たちにお金を返して、「私は罪を犯した。罪のない人の血を売ったりして。」と反論しながらイエスが罪に定められたことを引き返そうとしたのです。しかし、彼らは、「私たちの知ったことか。自分で始末することだ。」と言い返しました。イエスの逮捕は取り戻しのつかない海を渡ってしまったのです。交渉ができないことを悟ったユダは銀貨を神殿に投げ込んで立ち去り、宮の外に出て行って、首をつって自殺を図りました。祭司長たちはユダが神殿に泣け込んだ銀貨を取って、「これを神殿の金庫に入れるのはよくない。血の代価だから。」と言て相談し、その金で陶器師の畑を買い、旅人たちの墓地にしました。人々はその畑のことを指して「血の畑」と呼びました。マタイはこの悲しいできことについて、預言者エレミヤを通して言われた事が成就したのだと記録しました。エレミヤの記録は次の通りです。「彼らは銀貨三十枚を取った。イスラエルの人々に値積もりされた人の値段である。彼らは、主が私にお命じになったように、その金を払って、陶器師の畑を買った。」と。

このように、イエス・キリストの十字架の死の始まりはお金を愛した、12弟子の罪からスタートしたのです。しかし、イエス・キリストの十字架の死に至るまでの過程にはまたも、祭司長、長老たちの理不尽な妬みの罪が重なっています。ローマの植民地だったユダヤの指導者たち、祭司長、長老たちはイエスをユダの総督に訴えたのです。11節を見ると、その理由はイエスがユダヤの王だと自称した、とのことでした。総督はそれで、イエスに「あなたは、ユダヤ人の王ですか。」と尋ねました。イエスは彼に「そのとおりです。」と言われました。しかし、祭司長、長老たちから訴えがなされたときは、何もお答えにならなりませんでした。ピラトはイエスに「あんなにいろいろとあなたに不利な証言をしているのに、聞こえないのですか。」と弁明の機会を与えましたが、それでも、イエスは、どんな訴えに対しても一言もお答えになりませんでした。それには総督も非常に驚いた、とマタイは記録しています。イエス・キリストの十字架の死は12弟子の罪から始まり、ユダヤの宗教指導者、祭司長と長老たちの妬みの罪により強烈に進められたのです。総督ピラトは、ユダヤの伝統的な過越しの祭りに、群衆のために、いつも望みの囚人をひとりだけ赦免してやっていたので、今回、イエスを赦免するため、やくざバラバという名の知れた囚人か、イエスかを赦免の対象者として相談しました。「あなたがたは、だれを釈放してほしいのか。バラバか、それともキリストと呼ばれているイエスか。」18節を見ると、ピラトは、彼らがねたみからイエスを引き渡したことに気づいていた、とマタイは記録しています。彼らの妬みの罪がイエスを十字架の死に至らせたのです。しかし、20節を見ると、祭司長、長老たちは、バラバのほうを願うよう、そして、イエスを死刑にするよう、群衆を説きつけました。そして「あなたがたは、ふたりのうちどちらを釈放してほしいのか。」とする総督の質問に、「バラバだ。」と答えました。ピラトは彼らに言いました。「では、キリストと言われているイエスを私はどのようにしようか。」彼らはいっせいに言いました。「十字架につけろ。」「十字架につけろ。」「十字架につけろ。」ピラトは唖然として、彼らに言いました。「あの人がどんな悪い事をしたというのか。」しかしながら、彼らはますます激しく「十字架につけろ。」「十字架につけろ。」「十字架につけろ。」と叫び続けました。イエス・キリストの死は祭司長と長老たちに扇動されて盲目的に叫び続けた、揺れ動くもみ殻のような群衆の罪によるものでした。

24節を見ると、ピラトは、自分では手の下しようがなく、かえって暴動になりそうなのを見て、群衆の目の前で水を取り寄せ、手を洗って、言いました。「この人の血について、私には責任がない。自分たちで始末するがよい。」と責任逃れしようとしました。すると、民衆はみな答えて言いました。「その人の血は、私たちや子どもたちの上にかかってもいい。」民衆が責任を持つ、と言い張りました。ピラトは責任所在がはっきりしたことを認識したうえ、彼らのためにバラバを釈放し、イエスをむち打ってから、十字架につけるために引き渡しました。イエス・キリストの十字架の死は一人の無責任な総督、ピラトの誤った判断により実施されたものでした。民衆のためにバラバを釈放したとはいえ、イエス・キリストが鞭打たれ、十字架につけられるために引き渡されたのは、あまりにも悲しい、罪人たちの積み重ねた過ちの結果でした。

マタイが十字架への事実をここまで記録するだけでも、悲しみもだえていたことでしょう。しかし、マタイは引き続き27節から、総督の兵士たちの無知な行動を記録しています。27節をご覧ください。総督の兵士たちは、イエスを官邸の中に連れて行って、イエスの回りに全部隊を集めさせました。そして、イエスの着物を脱がせて、緋色の上着を着せました。それから、いばらで冠を編み、頭にかぶらせ、右手に剣の代わりにすぐにも折れそうな葦を持たせた。そして、彼らはイエスの前にひざまずいて、からかって言いました。「ユダヤ人の王さま。ばんざい。」「ユダヤ人の王さま。ばんざい。」「ユダヤ人の王さま。ばんざい。」また彼らは今度は、イエスにつばきをかけ、葦を取り上げてイエスの頭をたたきました。こんなふうに、イエスをからかったあげく、その着物を脱がせて、もとの着物を着せ、十字架につけるために連れ出しました。イエス・キリストの十字架の死にはローマの兵士たちの無知な行動、言動が絡まっていました。

イエスさまはもはや十字架を背負う力もありませんでした。出て行くと、シモンというクレネ人を見つけたので、彼らは、この人にイエスの十字架を、むりやりに背負わせました。ゴルゴタという所(「どくろ」と言われている場所)まで、十字架はシモンが背負い、ゴルゴタについたとき、彼らはイエスに、苦みを混ぜたぶどう酒を飲ませようとしました。彼らが見てもイエスの苦しみは耐えきれないものだったからでした。しかし、イエスはそれをなめただけで、飲もうとはされませんでした。イエスはその苦しみをすべて、力のある限り、ご自分の人生を掛けて背負うことを決心しておられました。

35節をご覧ください。「こうして、イエスを十字架につけてから、彼らはくじを引いて、イエスの着物を分け、」イエスはとうとう、十字架につけられました。十字架は古代ペルシアがエジプトの罪人たちを拷問、処刑するために考案されたもので、ローマに伝習され奴隷や罪人たちを死刑するときに利用されていました。十字架刑は両手をあげ、血が彼らの下に集まり、血の循環ができず、呼吸が速くなり急激な痛みと苦しみに耐えきれず、もっぱら早死にすることを望む人間にとって一番悲惨な刑罰です。この刑罰はあまりにもひどく過酷なものだったので、ローマ時代、ローマの市民権を持った人々には実施されることが許されなかったほどです。イエスは、このような十字架につけられたのです。

なぜ、何の罪のないイエス・キリストがこんなにも過酷な十字架につけられ、死ななければいけなかったのでしょうか。イザヤ預言者はイエス・キリストの来る前に、次のような予言をしています。「彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。」(イザヤ53章3-6節)

この聖書の言葉はイエス・キリストがお生まれになる何百年も前に、イザヤという人が予言し、イエス・キリストのおいでになることと、その働きを預言したものです。そこに描き出されているのは、苦難を受ける救い主です。私たちのために傷つけられ、砕かれ、その結果、私たちに平安が与えられるということと、又、打たれた傷によっていやされるということです。しかし、それは単に指導者たちの憎しみの結果もたらされた死ではなく、聖書は深いところで、人間の罪や悲しみ、苦しみ、そして死を背負ってイエス・キリストは死んだのだと教えているのです。そもそも、死や苦しみ、悲しみは人間が神に背いた結果、人間に対する神のさばきとしてもたらされたものです。人間は神に対して大きな負目をもって生きているのです。イエス・キリストは神に対する人間の負目をにない、神の人間に対するさばきを引き受けて十字架上で死んだのです。その結果、人間の負目はなくなり、神のさばきから解放されたのです。これがイエス・キリストの苦難と十字架上の死の意味です。ですからこのキリストの十字架を私のものと受け入れる人には救いがあるのです。

信仰の究極的な目的は、神様との良い関係づくりです。私たちはそれが正しい行動によるものであると考えたりします。礼儀正しい姿によるものであると思ったりします。しかし、聖書は次のように教えています。「キリストの中にある者と認められ、律法による自分の義ではなくて、キリストを信じる信仰による義、すなわち、信仰に基づいて、神から与えられる義を持つことができる、という望みがあるからです。」神様との正しい関係は、イエス・キリストの十字架によるのです。イエス・キリストの十字架の苦しみと死によりもたらされたもので、信仰により獲得されると教えています。私たちは信仰により、神様と正しい関係を持ち、平和と喜びを享受し、救いに至るのです。


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Last-modified: 2020-12-26 (土) 22:07:23