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2010年長崎UBF、マタイの福音書、その11 --> 問題紙

イエス様の十二弟子

Messenger:MSN.David

御言葉:マタイの福音書 10章1節~15節
要 節:マタイの福音書、10章7-8節 「行って、『天の御国が近づいた。』と宣べ伝えなさい。病人を直し、死人を生き返らせ、らい病人をきよめ、悪霊を追い出しなさい。あなたがたは、ただで受けたのだから、ただで与えなさい。」

イエス様には多くの弟子がいました。その中でもイエスさまは12名の弟子を、使徒、と名付けました(ルカ6章13)。特別に区別されました。特別に区別されたとは、特別にお呼びになられたことを意味します。弟子の中でも、彼らはイエスを代表とする弟子でした。彼らにはイエス様の権威が与えられました。彼らには特別な使命が与えられました。

今日の御言葉を通して、イエス様の十二弟子について学びたいと思います。

1節の御言葉をご覧ください。「イエスは十二弟子を呼び寄せて、」とあります。イエスさまは弟子たちの中でも12名を特別に、そばに呼ばれたことを意味します。この文脈からしてみれば、イエス様には12名だけでなく、多くの弟子たちがいたことが分かります。しかし、イエスさまはその中でも特別に、12名をそばに呼び寄せられました。イエスさまが12名の弟子たちを呼び寄せる前に、こう話しておられました。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。」イエスさまは働き手のためにお祈りをし、働き手のためにお祈りを頼んでいたのです。イエスさまは祈りをして、祈りを頼んで、そして祈りで終わることなく、祈りに基づいて12名を働き手として選ばれたのでした。

そして彼らに、汚れた霊どもを制する権威をお授けになりました。働き手を求めていたイエスさまが、12名の弟子たちに与えた権威は、汚れた霊どもを制する権威でした。イエスさまは霊どもを追い出し、あらゆる病気、あらゆるわずらいを直すための、働き手を求めておられました。また、12名の弟子をそのために特別に呼び寄せられました。あらゆる病気、あらゆるわずらいの中でも、汚れた霊により苦しめられている人々のために、12名の弟子が特別に呼ばれましたし、働き手として求められました。

私が担当しているコースの学生の中には毎年のように、休学者が生まれます。なかなか面談にも応じてくれないので、話すチャンスを持つことすら難しいのですが、一見、問題ないような学生ばかりです。原因を指して、イエスさまは汚れた霊によるもの、と断定しています。汚れた霊により操作されると、人は見た目とは違って、さまざまな苦しみに悩まされます。中でもひどくなると、心の悩みに眠れない夜を過ごし、睡眠剤を飲まずには寝られない人たちがいます。これは深刻な状態ですが、私たちは一人一人、同じような悩みが生じる場合があります。ちょっとした心配だったり、無気力になったり、劣等感に悩まされたり、何もかもが嫌になったりもします。汚れた霊はある特定の隙間を狙って、人に住みつきます。そしてその人々の心を攻撃するのです。

今日の御言葉を見ると、イエスさまは12名の弟子に、汚れた霊どもを制する権威をあ授けになったと、記録しています。どんなにひどい状態であったも、イエスさまは、また、イエス様の権威が授けられた弟子たちによっては、これらの汚れた霊が制されるのものであることを教えています。汚れた霊により悩まされている人々のことを見ると、私たちはどうすればいいのかが分かりません。折れたり、切れたりする病気はなんとなく、その可能性が見えますが、汚れた霊により操作される病気は手が出せないのです。悩まされている友人や同僚のことを、私たちは積極的に、イエス様に連れてくる必要があります。イエスの12弟子に見てもらう必要があります。なぜなら、聖書はイエスさまが、12弟子が汚れた霊を制する権威がある、とはっきり示しているからです。私たちはできませんが、イエスさまは、また、汚れた霊を制する権威が授けられた弟子たちによって、彼らの病気は癒されるからです。

さて、十二使徒の名は次のとおりです。ペテロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレ、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ、ピリポとバルトロマイ、トマスと取税人マタイ、アルパヨの子ヤコブとタダイ、熱心党員シモンとイエスを裏切ったイスカリオテ・ユダの12名です。ほとんどが漁師です。貧しい人々です。エルサレム大学の優秀な人材ではなく、ユダヤ人の中でも一番無視されていた取税人であったり、反発心の強い、熱心党員であったり、また、中にはイエスを裏切ったイスカリオテ・ユダまでもが含まれています。これを見ると、12弟子の選びは、イエス様の信仰による選択であったことが分かります。お祈りをし、身近にいる人々を、神様が与えられたことと確信し、彼らの中に12名を選ばれたのです。また、彼らが12弟子に選ばれたのは、彼らの信仰による決断の結果であったことが分かります。「わたしについてきなさい」とお呼びがかかったときに、「はい」と応えた単純な人々です。「わたしでほんとうにいいですか」と疑問符を出した人々と長々とお話をしませんでした。『畑を買ったので、どうしても見に出かけなければなりません。すみませんが、お断わりさせていただきます。』とか、『五くびきの牛を買ったので、それをためしに行くところです。すみませんが、お断わりさせていただきます。』とか、『結婚したので、行くことができません。』と言って断った人々のために心を悩ませませんでした。むしろ、イエスさまは考えました。『急いで町の大通りや路地に出て行って、貧しい人や、不具の人や、盲人や、足なえをここに連れて来よう。』12名の弟子はこのようにして選ばれた人々でした。しかしながら、12名は悪霊に悩まされている人々の病気を癒す権威が与えられました。くするではできない病気を、イエスさまは、また、イエスの12弟子は癒す権威が与えられています。長崎UBF教会を通して、多くの病気がいやされますよう祈ります。多くの病気がちな人々が集まり、癒される教会になりますように祈ります。

5-8節をご覧ください。イエスは、この十二人を遣わし、そのとき彼らにこう命じられました。「異邦人の道に行ってはいけません。サマリヤ人の町にはいってはいけません。イスラエルの家の滅びた羊のところに行きなさい。行って、『天の御国が近づいた。』と宣べ伝えなさい。病人を直し、死人を生き返らせ、らい病人をきよめ、悪霊を追い出しなさい。あなたがたは、ただで受けたのだから、ただで与えなさい。」

ここで、私たちは12弟子の生き方について学びます。それは、12弟子が行くべきところは異邦人やサマリヤの町ではなく、イスラエルであることです。

これは彼らが短いところの人々のために選ばれたことを指します。言葉が違う違法の町、彼らと敵対するサマリヤの町も大事ですが、それらよりも最も大事なことは、身近にいる人々のために、12名の弟子たちは選ばれたのです。イスラエルの家の滅びた羊たちのために、彼らは選ばれたのです。神様により選ばれたのですが、悪霊により滅びた羊たちのために、12弟子は選ばれました。神様により選ばれていますが、悪霊により苦しみ、悲しむ、身近な人々のために12名の弟子は選ばれました。私たちは周りの身近な人々、病んでいる人々、心の悩みを持っている人々に、12弟子を紹介すべきです。彼らの言葉を聴かせるべきです。彼らと聖書勉強をすべきです。彼らは権威ある御言葉、授けられた権威により、癒されるからです。一つの言葉がその体に注射される時、その人生は悩みから回復されます。元気を取り戻し、本来の仕事に復帰することができるのです。私たちが一人一人、身近な所に悩む人々と聖書勉強ができるように祈ります。

9節をご覧ください。イエスさまはまた言われます。「胴巻きに金貨や銀貨や銅貨を入れてはいけません。旅行用の袋も、二枚目の下着も、くつも、杖も持たずに行きなさい。働く者が食べ物を与えられるのは当然だからです。」弟子たちは当時の財布である胴巻きを大事にしていました。旅行袋と下着、杖を大事にしていました。これらはすべて、何があった時のための準備物でした。しかし、イエスさまは何かがあった時のための準備物を、あえて持たずに行動するよう、呼びかけました。準備するな、ではなく、あえて準備せずに行くよう、命じられました。これは胴巻きよりも、お金よりも、旅行用の袋よりも、下着や杖よりも、心の中に働く者の食べ物を与えてくださる方、神様への信仰を保つことを願っておられたからでした。それだけでなく、12弟子にはアリコの終身保障よりも、確実な神様の終身保証が付いていることを確信させるためでした。12弟子は特別な存在です。彼らには神様の特別な配慮が備えられていたのです。彼らはお選びになった神様の保証を、確信することが求められていたのです。

また、11-15節を見ると、イエスさまは彼らに、与えようとする人々がすでに用意されていること、しかし、彼らを妨害する人々も一緒に用意していることを説明されます。12弟子に求められているのは平安です。彼らのメッセージを受け入れる人々にも、受け入れない人々にも、12弟子たちは平安を述べ伝えるべきです。また、耳を傾ける人々とともに生活し、耳を傾けない人々とは足のチリを払い落すよう求められています。耳を傾けない人々と論争をしなくてもよい、とのコメントです。神様は12弟子に受け入れる人々を用意していることを、この御言葉をもって説明しています。

長崎大学の学生の3%の人々が世の塩のように、世の光のように、なることを私たちは祈っています。神様はその人々をご用意してくることと、受け入れる人々を準備していることを感謝し、周りに悩む人々、悪霊に苦しむ人々、心の病気に悲しむ人々、さびしがっている人々、彼らに御言葉を述べ伝えることができますように祈ります。彼らに癒しの魂か、許しと平和ンの喜びが訪れますように祈ります。この時代、私たちが長崎大学の使徒として選ばれたことを感謝し、彼らとともに信仰の成長を遂げることができますように祈ります。

ハレルヤ

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Last-modified: 2020-12-26 (土) 22:07:23