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2009年クリスマス聖書勉強、その3 --> 問題紙

飼葉おけに来られたイエス・キリスト

Messenger:MSN.David

御言葉:ルカの福音書、2:1-20
要 節:ルカの福音書、2:11-12「きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。あなたがは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」

Merry Christmas !!

今日は、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた羊飼いに訪れたイエス・キリストの誕生の物語です。ルカは何故、この事実を書物として残したのでしょうか。今日の御言葉を通してキリストイエスの意味を深めることができますように祈ります。

1節の御言葉をご覧ください。「そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストから出た。」とあります。時はローマの皇帝、アウグストの時代でした。皇帝アウグスト、本名、ガイウス・オクタビウス、ローマの最初の皇帝で、BC 31 - AD 14年までローマ皇帝として、ローマ帝国の最高の繁栄をもたらした時代の人物です。これほどローマ帝国が繁栄をした時代はないので、皇帝アウグストの時代、といえば、「Pax Romana」と呼ばれる文化的、政治的繁栄期を治めた政治家、また、その時代を意味します。ローマ帝国の最高の全盛期、イエス・キリストの誕生の街、エルサレムを統治していたシリヤの総督はクレニオでした。2節をご覧ください。「これは、クレニオがシリヤの総督であったときの最初の住民登録であった。」とあります。これを見ると、クレニオがシリヤの総督で会ったとき、住民登録は何度も繰り返されていたことがうかがえます。住民登録はローマ帝国がその植民地の人々の人数を把握し、一人一人において人頭税を課すためのものでした。

3節から5節までの御言葉をご覧ください。それで、人々はみな、登録のために、それぞれ自分の町に向かって行かなければいけませんでした。ここで、「人々はみな」と記録した文書から、それには例外が許されなかったことを、また、強制的に人口調査が行われていたことを物語ります。「イエスの父ヨセフも、今住んでいるガリラヤの町ナザレから、血筋のユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。」とあります。ヨセフは、ダビデの家系であり血筋でもあったので、生活の基盤を置いていたガリラヤの町ナザレから、先祖の土地、ベツレヘムに移動を強いられました。住民登録は本籍地で行われていたのでした。

5節をご覧ください。「身重になっているいいなずけの妻マリヤもいっしょに登録するためであった。」とあります。ヨセフはいいなずけ妻が妊娠している状態でしたが、登録するためにガリラヤの街、ナザレからダビデの街ベツレヘムに旅をしなければなりませんでした。妊婦は歩くのが大変で子供の体重を支える足には負担が多く、旅には適していませんでしたが、ルカは、その身重になっている妻マリヤを連れて、ヨセフは長い旅道を選ぶしかなかった時代背景を記録しています。皇帝アウグストの命令は誰一人例外なく、本籍地に行って、住民登録をしなければいけない、強制力がありました。

6節をご覧ください。「ところが、彼らがそこにいる間に、マリヤは月が満ちて、男子の初子を産んだ。」とあります。男子の初子とは当時のイスラエルの習慣からして、喜びの知らせであり、歓迎される出来事でした。旅先で男子の初子を生んだ、というニュースが流れても不思議ではないものでした。しかし、ルカはヨセフとマリヤの初子の誕生を迎えた様子を、次のように記録しています。「それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。」ここで私たちはいくつか、大事なルカの記録を吟味することができます。

第一に、ヨセフとマリヤの初子を、布にくるんで飼葉おけに寝かせた、ことです。

初子を飼葉おけに寝かせたことを、ルカはなぜ、記録しているのでしょうか。初子はふつう、大事に扱うものです。当時の飼葉おけはどんな雰囲気であったのか、想像できないものですが、一般的に考えて飼葉おけは馬小屋のための空間に置かれ、人間には適してない環境の、馬小屋の食事のために用意されたものです。馬小屋で、初子を生むしかなかったマリヤの心情はどうだったことでしょう。また、初子のために馬小屋しかご用意できなかったヨセフの心情はどうだったことでしょう。さらに、馬小屋の飼葉おけに寝かせられた運命的な生まれのイエス様は、その過去がどのように受け止められたことでしょう。私たちはいくら悲しい運命であっても、生まれた場所が人間のための場所ではなく動物のために用意されたばあ歩で生まれたことはないでしょう。しかし、ヨセフとマリヤの初子、イエス・キリストは布にくるまって、飼葉おけに寝かせられたのです。これには神様の願いと、神様の御心が込められていたのです。

ヨハネの福音書9章を見ると、イエスさまと弟子たちはある日、旅道の途中で、生まれつきの盲人を見られます。弟子たちは彼についてイエスに質問してこう言いました。「先生。彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか。」弟子たちは生まれつきの盲人の姿を、見るだけでも悲しく、かわいそうでしたが、その理由を、その人の罪、あるいはその両親の罪が原因だと思っていました。しかし、イエス様は弟子たちにこたえて言われました。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現われるためです。」罪を犯したのでもなく、両親のせいでもない、神様のわざがこの人に現れるために、この人は生まれつきの盲人としてこの世に存在するようになったのだと、イエス様は見ておられたのです。私たちの目には運命的な環境も、私たちの目には悲しい状況も、神様からすれば、神のわざが現れるための最適な状況なのです。

ルカは10節から12節の間に、イエス・キリストの飼葉おけでのお生まれを、御使いの声をお借りして、次のように記録しています。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。あなたがは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」飼葉おけは悲しみと運命の場所だと思いがちです。飼葉おけは悲しみのしるしだと思いがちです。しかし、御使いは、その飼葉おけが、救い主がお生まれになったしるしであると、言っています。民全体のためのすばらしい喜びの知らせ、であると言っています。

このような御使いのお話を耳にしたのは、羊飼いたちでした。特別に区別された人ではなく、ごく普通の人々に、聞こえて来る御使いの声でした。野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた彼らのところに、主の御使いが現れ、主の栄光が照らされ、御使いの声が聞こえました。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。あなたがは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」御使いの声は、特別に区別されたものに聞こえるものではありません。今、私たちに聞こえるものです。今私たちに聞こえる御使いの声があります。今、聞こえるメッセージがあります。私たちは今、御使いの声を隣り合わせにしているのです。

羊飼いたちはその声に、どんな態度を見せていますか。15節を見ると、御使いたちが彼らを離れて天に帰ったとき、羊飼いたちは互いに話し合いました。「さあ、ベツレヘムに行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見て来よう。」彼らは主の声を確かめようとしました。確かめようとしたとは、主の声を流してしまわず、心にとめていたことを意味します。その言葉の意味を探るために、努力していたことを意味します。「主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見て来よう。」クリスマスのメッセージは、イエス・キリストの誕生のメッセージは、主の声を素直に受け入れ、心に留めておく人々に訪れるものです。確かめようとした彼らは16節を見ると、「マリヤとヨセフと、飼葉おけに寝ておられるみどりごとを捜し当てた。」とあります。探し求めた彼らは、イエス・キリストに出会ったのです。彼らはこの上もない喜びに包まれたのです。

主の中で見つける「飼葉おけ」は運命ではなく、喜びのしるしなのです。救い主のしるしなのです。人生を取り換える根源なのです。私たちの生まれの飼葉おけはどこでしょうか。隠したくなる飼葉おけ、悲しくなる飼葉おけ、運命的な飼葉おけは何でしょうか。この時間、御使いの声を聞いて、素直に喜ぶ羊飼いになりますよう祈ります。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。あなたがは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」

第二に、ヨセフとマリヤは初子を生む場所を見つけられない、時代に生きていました。

初子を生む場所を見つけられない時代、とは人々の心が荒れた時代を指します。人々の心が冬の時代を指します。温かい宿屋で過ごしても、こころは寒い冬の風が吹き飛ぶ時代です。イエス様の父ヨセフと母マリヤの時代は、荒れた時代、心の冬の時代に過ごしていたのです。しかし、イエス・キリストはその父ヨセフ、母マリヤからお生まれになったのです。その時代の人々を通して生まれたのです。その時代の人々に必要なメッセージを供えられたのです。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。あなたがは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」

日本は寒い冬を迎えています。同じく、私たちも厳しい冬を迎えています。しかし、この時間も、神様は私たちに御使いのメッセージを伝えて、言われます。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。あなたがは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」

この時間、この礼拝を持って探してこらえるキリストは、私たちに救いをお約束されます。私たちに人生の保証をお約束されます。完璧な外套をお約束されます。私たちのご主人になることを宣言されます。そのしるしは、今、私たちに示す、布にくるんだ飼葉おけです。悲しみと苦しみのしるしがお約束のしるしです。救いのしるしです。完璧な救いの道のメッセージです。この時間、私たちの飼葉おけに秘められた神様の御恵みを見つけ出しますように祈ります。この時間、主の声を神様のメッセージとして受け入れますように祈ります。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。あなたがは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」

ハレルヤ

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Last-modified: 2020-12-26 (土) 22:07:23