2008年クリスマス礼拝 第2講(私たちのために生まれる一人のみどりご)

御言葉:イザヤ書9章1~7節 勉強資料 問題紙

要節6節 : ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。

 今日の御言葉はイザヤ預言者を通して神様がイスラエルに与えられたイエス・キリストに対する預言です。神様はイスラエルの民に、一人の嬰児をお与えになると約束されました。一人の男の子が生まれると予言されました。その名は、「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる、と予言しました。マタイはこの予言の言葉を引用して、それは「預言者イザヤを通して言われたイエス・キリストの誕生のことが、成就するためであった。」と記録しています。聖書はすべて神様の霊感によるものです。多くの信仰の先祖たちの中でも、特にイザヤを通して、神様はイエス・キリストのお生まれを予言されたのです。マタイはこの予言がイエス・キリストの預言であったことを霊感によりつかんだのです。この予言と実現から、私たちは神様について、イエス・キリストについて学ぶことができます。今日の御言葉を通して、イザヤを通じて与えられた予言の意味、また、神様について、イエス・キリストについて学びますよう祈ります。

9章1節をご覧ください。「しかし、苦しみのあった所に、やみがなくなる。先にはゼブルンの地とナフタリの地は、はずかしめを受けたが、後には海沿いの道、ヨルダン川のかなた、異邦人のガリラヤは光栄を受けた。」とあります。ここで、「しかし、。。。」とは8章の言葉を受けての話です。イザヤはイスラエルの民に要求をしていたのです。どんな苦しみがあろうとも、どんな悲しみがあろうとも、どんなに神様がみじめに扱われ、呪われても、非難されても、無視されても、イスラエルの民は、選ばれた選民は、その理由を「自分の神に訪ねなければならない」と言いました。「教えと証を尋ねなければいけない」としていました。「言葉に従って語らなければ」イスラエルの民には夜明けがないとしていました。暗闇からの脱出はないとしていました。イザヤの8章21-22節は次のように警告しています。「彼は、迫害され、飢えて、国を歩き回り、飢えて、怒りに身をゆだねる。上を仰いでは自分の王と神をのろう。地を見ると、見よ、苦難とやみ、苦悩の暗やみ、暗黒、追放された者。」事実、イスラエルの民はイエス・キリストが来られるまで、暗黒の時代を暮らしました。イザヤ預言者、マラキ預言者がいなくなってからバプテスマのヨハネが現れるまで、約400年間、彼らには預言者のいない、聖書先生のいない、彼らを導く霊的な指導者のいない暗闇時代を迎えました。彼らは暗闇と飢え、悲しみと怒りに身を任せていました。彼らは誰も言葉に従って語らず、神に訪ねることはしませんでした。彼らの生活に神様は存在しませんでした。彼らの生き方に聖なる姿は見受けられませんでした。彼らはごく普通の人、アッシリヤ、バビロニアの植民地、ローマ帝国の植民地の民や奴隷として生きていました。彼らから神様の香りも、聖なる人の姿も、聖書の香りもしませんでした。神に訪ね、神に語る姿はありませんでした。悲しみ、苦しみ、怒りと暴言が彼らの生活の一部となっていました。

しかしながら、イザヤは9章で話をしています。「しかし、苦しみのあった所に、やみがなくなる。先にはゼブルンの地とナフタリの地は、はずかしめを受けたが、後には海沿いの道、ヨルダン川のかなた、異邦人のガリラヤは光栄を受けた。」これはまったくの神様の恵みによるものでした。彼らには神に訪ねることも、言葉に従って語ることもできませんでした。彼らにはただ、人生の悲しい墓だけが彼らの人生の最後を迎えていました。彼らには神様の恵みを受け取る資格も条件もありませんでした。彼らには神様の厳しい裁きが残るのみでした。イザヤの涙組むお願いにもかかわらず、イスラエルの民たちは神様の言葉を無視し、しるしを求めることを拒否していました。しかしながら、イザヤが見た霊感による光景は予想とは違うむのでした。それは突然訪れる祝福でした。資格のない彼らに与えられる神様の恵みでした。人間的に考えて、苦しみのあったイスラエルに闇が注がれるべきでした。ゼブルンの地、ナフタリの地、海沿いの道、ヨルダン川のかなた、異邦人のガリラヤは滅亡されるべきところでした。ソドムとゴモラのように、姿を消すべきところでした。しかしながら、預言者イザヤが見た光景は、光栄を受ける光景でした。

イザヤは続く民たちの様子を描いています。2節をご覧ください。「やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が照った。」裁かれる民たちに光が照らされました。いやむしろ、神様はその国民を増やし、その喜びをまし加えられました。彼らは刈り入れ時に喜ぶように、分捕り物を分けるときに楽しむように、神様の御前で喜んでいました。それはなぜでしょうか。4節、「あなたが彼の重荷のくびきと、肩のむち、彼をしいたげる者の杖を、ミデヤンの日になされたように粉々に砕かれたからだ。」とイザヤは記録しています。これはまったくの神様の恵みのためでした。資格のない人々に与えられる神様の一方的な恵みのためでした。ここで私たちは神様について学びます。私たちの神様はどんな方でしょうか。

神様は恵み豊かな方です。

神様は資格を見て、様子を見て、形を見て、熱心と努力した姿を見て、与える方ではありません。神様は求める心、しるしを探す心を見られる方です。神様の言葉を素直に信じ、言葉を口ずさむ人々を喜びます。神様は熱心とやり方と見え方で判断されません。神様は純粋な心を評価する方です。私たちは忍耐力がなくて、続けられないものがあっても、病気がちで横になることが多くても、アメリカで生まれなかったために英語が下手でも、心が神に向いていれば祝福されます。評価されます。そのすべての基準は真実であり正しいです。世の基準とは違って、神様の評価は一番正しく、正義に基づくものです。

私が信仰生活を始めたとき、一緒に共同生活をしていたある青年がいました。彼は割と裕福な家庭で生活していたがために、親から仕送られるお金が銀行にたまっていました。彼はあるとき、これを定期貯金にしていましたので、どれぐらいたまっていたのかがわかりませんでした。あるとき、センターでピアノが必要だとの話を聞いたときに、彼は定期貯金のことが思い浮かびました。彼は銀行に行ってピアノが買えるぐらいではないのだが、お金があることに気付き、定期貯金を解約して、たまったお金をピアノ献金としました。センターにピアノが入ったのは多くの信者たちが集めたお金によるものでしたが、彼はうれしいものでした。それだけではなく、彼」が解約した定期貯金の知らせが親元に通知されたとき、彼は一気に、送られた金を使わないで貯金をしていた真面目な人として評価されました。その後、彼の親からは、信仰生活を一度も叱ったり疑ったりしませんでした。彼はそれ以降、神様の祝福がどのように与えられるのか、なんとなくつかんでいたようでした。彼は神様に献金をためらわずにする人となりました。神様は彼の人生を祝福してくださいました。しかし、彼はそれが癖になって、神様は形を見る方として誤解をしていました。彼は神様に喜ばしいことといえば、何かと形のあるものを作り上げる、ことだと思っていました。教会を立派に立てるとか、見える教会が美しくなれるとか、多くの人々が集まる教会になれるとか、というところに興味と関心を抱いていました。それが神様を喜ばしいことだと思っていました。しかし、彼の後の人生の中で祝福は続きませんでした。ある日、彼への祝福は止まったかのように見えました。

神様は彼の心を見られていたのです。神様は彼の預金通帳を見ていたのではありません。神様は私たちの心を見られています。神様は私たちの形、私たちの熱心、私たちのささげた時間にかけて祝福を与える計算をされません。神様の祝福はアンデレに与えられたように、民への憐れみを、驚くほど祝福してくださる、神様の方式により与えられるものです。神様は恵み豊かな方です。神様は形はどうでも、姿はどうでも、心が向いている人々を祝福されます。資格のない人々までも、神様は一方的に祝福する方です。イエス・キリストの来られた意味は一方的な神様の恵みを表すものです。イスラエルの民たちは心さえも捧げることすらできなかった、暗闇に座っていたのです。神様はそのイスラエルの民の心を吸い取られる方です。そして、祝福を施す方です。神様の恵みは一方的で想像を超えるものです。

その恵みの表現が、何でしょうか。

6節をご覧ください。「ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。」神様はイスラエルの民たちが心さえも向くことすらできないことを知っておられました。そして、彼らに嬰児を与える決心をされました。「ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。」この言葉から私たちは神様について、イエス・キリストについて学びます。

嬰児を与えられた神様はお約束を守る方です。

イエス・キリストは、「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。」です。

神様は救いの御業を万軍の主の熱心により成し遂げられます。

9:7 その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に着いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これをささえる。今より、とこしえまで。万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。


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Last-modified: 2020-12-26 (土) 22:07:23